Intersection
19


はぁ―――。

これで、今日何回目の溜め息だろうか。
巨哉(なおや)のことを考えると仕事に集中できない自分が、そして常務の言っていた通り、すぐに常務室内に梨華の席が用意されて、彼はすぐ斜向かいに居るとなれば…。

「どうしたんだ。俺が側にいたのでは、見惚れて仕事が手に付かないのかな?」
「はっ?そんなことは、ありません」

―――あるはずないじゃない。
自惚れもいいところ、とも言い切れないかぁ…。
慌ててパソコンの画面に身を伏せる梨華だったが、真剣に書類に目を通す姿や電話でのやり取りなど、初めて見る執務中の常務の顔は素敵過ぎて誰だって見惚れてしまうに違いない。

「ならいいが」

ただ、梨華にとって幸いだったのは仕事が忙しかったことで、そういうことを全部忘れさせてくれたことだろうか。

「常務、この目標値はもう少し下げた方がいいかと」
「いや、そのままで行こう。こういう場合は強気で出ないと。最初から守りに入っては向こうの思う壺だから」

それでも、いつものきびきびとした彼女ではないことに崇(たかし)が気付かないはずがない。
少なからず、あの日のことが関係していることも。

+++

月が変わってKAZAMA.Inc社長夫妻の銀婚式を祝うパーティーに出席していた梨華だったが、巨哉(なおや)はどんな女性を伴ってくるのだろうか?
あれからメールのやり取りはあるものの、顔を合わせてはいなかった。
お祝いの席だというのに何だか気が重い。

「君は一際、目を引いているようだな」
「えっ?」

風間夫妻を祝うためにたくさんの招待者が超高級ホテルの中でも一番大きなホールを埋め尽くしていたが、視線は残念ながら主役ではなく梨華と崇に注がれていた。
抑えたはずの黒のドレスは、彼女をより色っぽく大人の女性へと変貌させていたのだから。

「それは、常務のことじゃないでしょうか?」

梨華だって、タキシードに身を包んだ崇の隣に居るだけで、ドキドキしてしまうというのに。

二人は真っ先に夫妻のところへ挨拶をしに行ったが、ニューヨークから戻って日が浅い崇に会うのが久し振りだったのだろう、風間社長は彼を見るなり自ら歩み寄って来た。
とても穏やかな笑みを浮かべる社長の義彦氏と一歩下がって夫を支える婦人を見ていると自分も将来、二人のような夫婦になれたらと思わずにはいられない。
周りを見れば財界、著名人と錚々(そうそう)たる顔ぶればかりで、全ては社長夫妻の人柄なのだろう。
次から次へとお祝いの言葉を掛けに人が来るものだから崇と梨華もその辺で退散することにしたが、「風間社長、奥様も本日はおめでとうございます」という聞き知った声に梨華はハッとして振り返る。
―――巨哉(なおや)…。
隣には梨華も知らないスラっと背の高い綺麗な女性がいたが、さり気なく彼女が巨哉(なおや)の腕に自分の腕を組ませる姿はお似合いのカップルに見える。
どういう関係なんだろう…。
そこまで知る権利など、梨華にあるはずがないのに。

「常務」
「直接業務とは関係ないと言ったはずだ。だから、その常務という呼び方もやめてくれないか」

崇の腕が梨華の腰に回される。
―――いくらなんでも、こんなところを…。

「あの…じょ、右京さん。すみませんが―――」

梨華は咄嗟に近くにいたボーイから、トレーに載せて持っていたシャンパングラスを取るフリをして崇から体を離す。
その行動が、崇の中の触れてはいけないスイッチを入れてしまっていたなんて…。

「梨華」
「えっ…」

耳元で響くその声は、聞きなれた巨哉(なおや)のものではない。
再び腰に回された腕に強く抱き寄せられ、目の前にある崇の顔は怒っているような、でもとても愛しいものを見つめる優しい瞳に思わず釘付けになる。

「蒼井 巨哉(あおい なおや)に見られるのは、嫌なのか?」
「そういうわけでは…」

ないとは言い切れないというか、それは巨哉(なおや)だけでなくここにいる招待者全員に対して思うこと。
崇のような、この先、右京コーポレーションを継ぐ者がこんなことをすれば、梨華がそういう相手なのだと知らせているようなもの。
ただでさえ、痛いほどの視線を感じているというのにこれでは…。

「梨華」

この声は今度こそ、巨哉(なおや)のもの。
これだけ目立っていれば、いくら大勢の中に紛れていても、彼が気付かないはずがない。

「巨哉(なおや)…」

「随分、見せ付けてくれるじゃないか。なら、俺達も」とおチャらけたように言いながら巨哉(なおや)は隣の女性の腰に腕を回していたが、今の梨華には冗談で返せるほど余裕なんてなかった。
別に巨哉(なおや)の連れている女性がどうこう、もちろん全く気にならないと言ったら嘘になるが、それよりもただ、この微妙にズレてしまった関係が…。

「右京さん、挨拶が遅れました。この間はご迷惑をお掛けしまして」
「あっ、いえ」

突然だったせいか、崇も返事に困ってしまう。
同伴の女性とは親しい間柄に見えるが実際そうでないこともわかるし、彼の想いはまだ梨華に向いているはず。

「梨華を頼みますよ。まだまだお子様だし、何にも知らないお嬢様ですから」

―――はっ?お子様?何も知らないお嬢様って。
私はそんなんじゃっ。

「はい。彼女のことは、私に任せて下さい」

常務まで…。

「それでは」とその場から去ろうとした巨哉(なおや)を崇が引き止めると一言二言何かを交わしていたが、それより巨哉(なおや)は本気で言っているのだろうか?
もう、あの女性と…。

「常務、その―――」
「常務は、やめてくれと言ってる」
「右京さん、腕を放してくれませんか?」

人前でこう引っ付いているのは、どうにも居心地が悪い。
街でカップルを見掛けると羨ましいという思いが半分と、自分だったら絶対あんなことは人目に付くところではできないと思っていたから。

「ダメ」
「だめって…」
「こんなに綺麗な梨華を目の前にして、もったいない」

―――もったいないって…。
そういう問題…っていうか、名前も恥ずかしいから呼ばないでっ。

「あの…急に名前で呼ばないで下さい」
「蒼井 巨哉(あおい なおや)は良くて、俺はダメなのか」
「巨哉(なおや)は、昔から…」

―――気になるのだろうか?

「気になるんですか?」
「それは…当たり前だ。好きな子が、いくら幼馴染だからって男から馴れ馴れしく呼ばれてるのを聞いて平気でいられるか」

心なしか崇の顔が赤いような気もするが、梨華の方がもっと赤くなっていたなんて…。


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