静かな大人の雰囲気漂うバーのカウンター席に一人、さっきから女性の熱い視線を感じなくもないが、今夜はそんな悠長な気分でいられない訳がある。
「すみません、遅くなって」
約束の時間より早かったが、先に来ていた崇(たかし)にそう言って巨哉(なおや)は隣の席に腰を下ろすとお絞りを置いたバーテンダーにバランタインのダブルを注文する。
KAZAMA.Inc社長夫妻の銀婚式を祝うパーティーに出席してから一週間、あの時交わした会話は今度ゆっくり飲もうという崇からの誘いだった。
「いえ、こちらこそ、忙しいのに誘ってしまい申し訳ありません」
一足早くやっていた崇は、グラスに残っていた偶然にも巨哉(なおや)が頼んだものと同じ、バランタインを飲み干すと同じものを追加注文した。
いい男が二人並んで座っているだけで更に女性達の視線を浴びることとなったが、今の彼らにはどんな女性も目に入らないだろう。
「それじゃあ、乾杯」
「二人の未来に?それとも」
「ご想像にお任せしますよ」
お互いのグラスをカチンと合わせ、それぞれを口に含んだが、余裕の崇に対して、幾分巨哉(なおや)は分が悪いだろうか。
だからといって、ここで取り乱したりするような巨哉(なおや)ではない。
「梨華とは、上手くいってますか?」
「おかげさまで」
「まさか、今夜はそれを言うために俺を呼び出したんじゃないでしょうね」
「さぁ、どうかな」とさっきのように、やはりはぐらかしたような言い方で返す崇(たかし)に巨哉(なおや)は正直心の内を測りかねていた。
…一体、何が言いたいんだ。
グラスの中でカランと揺れた氷を見つめながら、そんな思いを悟られないように急いで次の言葉を捜す。
「俺の方も彼女とは上手くやってますから、ご心配なく」
「彼女って、この間のパーティーで連れていた?」
「さぁ」
今度は巨哉(なおや)の方が、ワザとはぐらかした言い方でかわす。
「そんなに簡単に諦めていいのか?君の梨華への想いは、それだけのものだったのか」
「どういう意味ですか?」
…梨華、か。
二人の関係から崇がそう呼んでもおかしくないはずなのに、なぜかそれは自分だけに許された特権だと思いたかった。
巨哉(なおや)だって、梨華に対する想いが完全に消えたわけではない。
むしろ、男らしくないと言われても否定できないほど今も未練タラタラだし、はっきりと彼女の口から言われるのが怖くて聞かずにいるというのに…。
「案外、あっさり身を引いてくれたなと思って」
グラスを半分ほど空ける、今日の崇はいつもよりペースが速いかもしれない。
「仕方ないでしょう。梨華の気持ちが俺に向いていない以上、どうしろって言うんですか」
…何なんだよ。
自分は梨華とよろしくやってるクセに人には諦めるのかとか、あっさり身を引いたとか、勝手なこと言いやがって。
今更、俺にどうしろっていうんだ。
巨哉(なおや)は崇以上にハイペースで勢い良くウィスキーを飲み干すと、バーテンダーに同じものを頼む。
「そういう飲み方は、良くないな」
「はは、今度は説教か…冗談じゃない。あんたに何がわかる。子供の頃からずっと梨華だけを見てきたってのに突然現れた男に掻っ攫われて。さぞ、おもしろいでしょうよ」
「笑いたきゃ笑えよ」そう言うなり、新しく前に置かれたウィスキーのグラスを一気飲みする巨哉(なおや)。
我ながら、こんなのはカッコ悪いと思うけれど、こうなったらとことんカッコ悪いところを見せてやる。
半ば開き直っている部分と本来なら敵のはずの崇になら、恥をさらしてもいいさえ思えてしまう。
「笑わないよ」
「えっ」
反射的に横に顔を向けた巨哉(なおや)に「笑えるはずがないだろう。同じ女性を好きになった相手を」と真っ直ぐ前を見据えたまま、崇はグラスを傾ける。
その姿は男の巨哉(なおや)から見ても、スマートで見惚れてしまうほど。
「だからといって、君に同情するわけじゃない。ただ、彼女のことを完全に断ち切れていないのに他の女性に手を出すのはどうかな」
「俺は…」
本当は、誰とも付き合ってなどいなかった。
パーティーでは体裁のためと二人の手前、多少の見栄もあっただろう。
それらしい女性に協力してもらっただけ、梨華が自分を見てくれないからといって、いくらなんでもそう簡単に別の女性に乗り換えられるほど、巨哉(なおや)は軽い男ではないつもりだ。
「俺がどうしようと関係ない。ここは百歩譲ってあんたの言う通り、潔く身を引いてやったんだから感謝して欲しいくらいだ」
「潔くね」
「喧嘩売る気かよっ」
カウンターテーブルに思いっきり拳を叩きつけた巨哉(なおや)に周囲の客も店員も何事かと視線を向けたが、崇だけは至って冷静な表情を崩さなかった。
「俺だって、彼女の気持ちがわからないんだ」
黙ってグラスに口を付け、「本当に俺でいいのかも」と淡々と話す崇にも、梨華の気持ちは自分に向いているようで、それが恋なのか、はっきりわからなかったのだ。
強引に想いをぶつけているだけで、本当は崇のことをどれだけ受け入れているのかも。
自分より、隣でずっと見守ってきた彼の方が彼女を幸せにしてあげられるんじゃないかと…。
「なんだ、急に弱音なんか」
女性の扱いには慣れているとばかり思っていた崇から、こんなふうに弱気な発言が飛び出すとは…。
妙に拍子抜けしてしまった巨哉(なおや)だったが、それだけ梨華に対して真剣に向き合っているという証拠だろうし、彼は思っているほど完璧な人間でもないのかもしれない。
「大丈夫、梨華はあんたに惹かれてるさ。何で俺がこんなこと…」
「俺みたいに大事にし過ぎてると、別の誰かにさらわれるぞ?あんたならそんなこともないか」と苦笑しながら、バーテンダーにミネラルウォーターを頼む巨哉(なおや)。
これ以上、取り乱すわけにもいかないし、崇とはもっとこう腹を割って話をしてみたいと思ったから。
ずっと思い続けてきた彼女を取られたというのに、今はその相手が彼で良かったとさえ。
…俺は、どこまでお人よしなんだ。
だから、『いい人ね』で終わっちまうんだろうなぁ。
自分のこの性格を恨んでも、やっぱり最後まで悪者にはなれそうにない。
「君に言われると、そんな気になってくるよ」
「あんた、右京コーポレーションの常務だろ?」
「それとどういう」
「自信持てってことだ」
これではどっちが年上だかわからなくなってくるが、巨哉(なおや)に言われると全てそんな気になってくるから不思議だった。
崇は初めて会った時から、恋敵でありながらも彼とはいい関係が築けるようなそんな予感がしてならなかった。
だからこそ、きちんと認めてもらいたいという思いもあっただろうか。
「これから、俺ん家来る?無理にとは言わないけど」
「いいのか」
「今夜はこう、ぶっ倒れるまで飲みたい」
「明日も仕事だろ?」
「一日くらい休んでも、会社はいつも通り動くさ」
「じゃあ、ここは右京さんの奢りってことで」とちゃっかり先に席を立つ辺り、何とも憎めないというか、親友の晴貴(はるき)とも違う、弟のような存在とでも言うべきか。
…俺も明日は休みか?
そういうわけにもいかないんだが、と思いながら崇も後を追って席を立った。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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