Intersection
21


『常務、遅いな』

―――いつもなら、この時間にはとっくに出社してるはず。
壁の時計を確認してから、主のいない大きなデスクをジッと見つめる梨華。
そして、ふと思い浮かぶのはあのパーティーで会って以来、メールのやり取りさえしていない巨哉(なおや)のこと。
連れていた女性との関係も、彼が誰と付き合おうと今までなら気にも留めなかったのに…。

プルルルルル―――
     プルルルルル―――
          プルルルルル―――

デスクの上に出しっぱなしにしていたミニバッグの中の携帯電話が震え出す。
席を常務室内に移動させてからというもの、携帯電話は引き出しにしまっていたから、着信があってもお昼休みか定時後にしか気付かなかったのだが。

「えっ、常務?」

ディスプレイに“右京常務”の文字を見て、慌てて通話ボタンを押す。

「常務、おはようございます」
『あっ、あぁ…おは…よ…』

どうしたことか、声にいつもの元気が感じられない。
―――この電話…もしかして、体調が悪いとか。

「どうかされたんですか、体調でも」
『ちょっと右京さん、俺に代わって』

聞き知った声が重なって聞こえたと思ったら、電話機を奪う音。

『よう、梨華か?おはよう』
「は?その声は…巨哉(なおや)?!」

―――えっ、巨哉(なおや)がどうして、常務の電話に?!
一体、何がどうなっているのか、梨華にはさっぱり理解できなかったが、とにかく状況を確かめないと。

「ねぇ、どうして巨哉(なおや)が常務と一緒にいるのよ」
『色々あってさ。その話は長くなりそうだから、また今度ということで。取り敢えず、この調子では会社には行けないんで、右京常務は今日休みだから』
「ちょっ、ちょっと!!常務が休むってどういうことよっ。どこか、体調でも悪いの?」

頭の中で急いでインプットされた崇のスケジュールを順に並べる梨華、今日は運よく大事な会議も入っていないし、少々決済が止まる程度で、これも急ぎの場合は専務が代行することになっているが、それより常務の体の具合の方が気になる。

『あ?まぁ、悪いっちゃ悪いけど、心配しなくてもこんなの一日寝てれば治るさ』
「一日寝てればって」
『そういうことだから』
「そういうって、巨哉(なおや)っ」

ツーツーツー

―――切れちゃった。

暫くの間、携帯電話を見つめたままの梨華だったが、果たして二人の間に何があったのか…。
どう考えても仲が良いとは言い難い関係だったし、まさかとんでもないことでも…。
だとしたら、こんなふうに巨哉(なおや)が電話に出るのも変な話だ。
う〜ん、いくら考えても、さっぱりわからないわ。

ちょうど始業の鐘が鳴り響き、もう一度、主のいないデスクに目を向けると梨華はいつも通り変わらぬ自分のやるべき仕事に取り掛かった。

+++

『多分、この辺のはず、なんだけど』

ネットで調べた地図を片手に梨華は、あっちこっちと高級住宅街の中をさ迷い歩く。
どうしても今朝の崇(たかし)のことが気になって、仕事をテキパキと片付け、定時でオフィスを出た梨華は彼の住むマンションまで足を運んでしまったのだが…。

「あっ、ここ!!」

メモに書いてあったマンション名と同じプレートが埋め込まれた石垣を見つけて思わず声を上げてしまい、慌てて口を塞ぐと周りを見回した。
それにしても、さすが社長の息子で常務ともなればすごいマンションに住んでいるものだと感動すら覚えるほどだ。
―――だけど、男の人が一人暮らしをしているマンションに来るのってものすごく緊張するわね。
勢いで来たはいいが、何せ初めての経験なのと、それに勝手に来てしまったことで迷惑を掛けてしまうかもしれない。
せめて、メールでも出して確認してからの方が良かったかも。
梨華が、はぁと溜め息を吐きながらエントランス手前にある階段を上り始めたところで住人だろうか、開いた自動ドアから人が出て来た。

「梨華」
「えっ…巨哉(なおや)?!」

―――そう言えば…。
今朝の電話に巨哉(なおや)が出たことを思い出したが、こんなところで顔を合わせるのは偶然にしたってどうにもバツが悪い。

「右京さんなら、まだ横になってる」
「ねぇ。常務、どこか悪いの?」
「いや、心配させて俺がちゃんと言わなかったのが悪かったなぁ。単なる二日酔い」
「二日酔い?」

「昨日、飲み過ぎちゃってさ。いやぁ、俺もあんなに飲んだのは初めてだったよ。さっきまでゴロゴロしてたんだけど、さすがに帰らないとな」と苦笑する巨哉(なおや)でさえ、この時間になってもお酒が完全には抜け切っていない様子。
それよりも、既に夜だというのに寝ているという常務は果たして大丈夫なのだろうか?

「何でまた、二人でそんなに酔うまで飲んだりしたの?」
「まぁ、それは右京さんに聞いてみたらいいさ。じゃあ」
「えっ、巨哉(なおや)帰っちゃうの?」

―――帰っちゃうの?

「そりゃ、帰るだろ。二人の邪魔をするほど、俺は悪人じゃないからな」
「だったら、私も」
「あのなぁ、ここで梨華が帰ってどうするんだよ。何か?せっかく気を利かせてやってんのに梨華は俺が居た方がいいのか?」
「だって…」

―――二人っきりになるの恥ずかしいし、勝手に来ちゃったっていうのもあるし、どうせ二日酔いで寝てる人なんて相手してもしょうがないじゃない。
だいたいねぇ、そんなことで常務が会社を休んでもいいわけ?

「しょうがないな」

ポツリと呟くように言うと、巨哉(なおや)は再び背を向けてエントランス前にあるインターフォンで崇を呼び出す。

『蒼井君、どうした?忘れ物でも―――』
「いえ、お客様をお連れしたもので」
『お客様?』
「ほら梨華、早くこっちに来て」

「早く早く」と巨哉(なおや)が、梨華を呼び寄せる。

『梨華って…』
「常務、こんばんは」
『森永さん』
「すみません、勝手にこんなところまで来てしまって」
『いや、構わないけど』
「では、後は頼みましたよ。右京さん」

そう言って、巨哉(なおや)は開いた自動ドアの中に梨華をグィッと押し込むと、ガラス越しに頑張れよと軽く手を振って去って行った。
きっと、彼なりの梨華に対する応援のつもりなのだろう。
―――巨哉(なおや)ったら。
梨華はもう一度小さく溜め息を吐くと、エレベーターホールへと進んで行った。


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