あぁ…美味しいものが、食べられると思ったのに―――。
妙にこの周りだけキマヅイ空気が漂っているのは、梨華達がいるすぐ右斜め前のテーブルに常務御一行様が席を取っていたから。
それも、ちょうど常務が二人に近い角の席に向かい合うように座っている位置からは梨華の顔が丸見え。
いつもなら、接待に使うお店には梨華が予約を入れているが、今日に限っては常務自らがするのでいいと言われていたのだった。
―――よりによって、常務もこのお店を予約していたなんて…。
せっかく選んだボルドーも巨哉(なおや)は車で飲めないし、無常にも味わう間もなく喉元を通り過ぎて行く。
そんなチラチラと崇(たかし)の方へ視線を向ける梨華が、巨哉(なおや)には気に入らない。
彼女と二人っきりで食事に来るなどということはそう滅多にあるものではないし、巨哉(なおや)にしてみればチャンスのはずだった。
なのに―――いや、逆にこれは絶好のチャンスなのかもしれない。
こうして二人でいるところを見せ付けることで、今後の展開が巨哉(なおや)にとって有利に運ぶことができると考えれば。
「何だか、私ばっかり飲んで。どうせなら、巨哉(なおや)も車を置いてくれば良かったのに」
「俺?俺はいいよ。梨華の飲んでる姿を見てるだけで十分だし」
「何それ」
「意味わかんない」と銀縁メガネ越しにも長い睦毛を伏せがちで、顎を少し突き出すようにしてグラスに口を付ける姿が妙に色っぽいなんて、彼女は全然わかっていない。
既にほんのりピンク色に頬を染める梨華をすぐ側でこうして見ていられるだけで、巨哉(なおや)にとってみれば自分が飲めなくても十分だったというのに。
「一人でこんなに飲んだら、大変」
「責任持って家まで送ってやるから。酔っ払っても大丈夫だって」
―――送ってもらえるのはいいけど…あぁ、常務にこんな姿を見られたら、酒豪だって誤解されるじゃない。
お酒はそこそこ飲める方だけど、だからといってワイン一本を一人で空けられるほど強くはない。
それに酔っ払って家に帰ったりしたら、お父様に何て言われるか…。
「また、そんなこと言ってぇ」
「なぁ。それよりさ、今度同窓会があるらしいぞ?初等科の」
「初等科?うそっ、ほんと?わぁ、男子に何年会ってないんだろう」
「えっと、えっと」と指折り数え始めた梨華だったが、初等科を卒業して以来一度も同窓会なるものをやっていなかったから、かれこれ10年以上会っていないことになる。
というのも、巨哉(なおや)と梨華は同じ系列の学校に通っていたが共学だったのは初等科までで、中等科から女子部に進学した梨華は、巨哉(なおや)以外の男子とはそれ以降一度も顔を合わせてはいなかったのだ。
懐かしいというより、すっかり大人の男になった同級生がどんな姿で現れるのか、変貌振りの方が気になるところ。
「みんなとは、10年以上会ってなかったんだぁ。巨哉(なおや)とはずっと一緒にいたから、そんな感じは全然しなかったけど」
「梨華は女子大に行ったしな。俺の方は、女子も結構大学では見掛けてたから」
併設の大学には共学と女子の2校があり、梨華は女子大を選んだが、同級生の中には大学(共学)を選んだ者も多く、巨哉(なおや)とキャンパス内で顔を合わせることもあったのだろう。
「どんな服を着て行こうかな」
「この前みたいにスーツじゃないのか?」
「えぇ〜久し振りにみんなに会うのに私だって、たまにはおしゃれしたいわよぉ」
仕事中は地味にしているが、それは梨華だってお年頃。
おしゃれして同級生に会いたいと思うのは、女心というものだろう。
「まぁ、俺が一緒だから許すか」
「え?」
小さな声で梨華はよく聞き取れなかったが、巨哉(なおや)としてはできれば彼女にはこのままでいて欲しいし、これ以上下手にライバルを増やしたのでは、たまったもんじゃないから。
そんな、楽しそうに昔話に花を咲かせている梨華と巨哉(なおや)を影からジッと見つめていた崇(たかし)。
契約も無事に交わし終え、目の前にいる右京コーポレーションの将来にとっても重要な人達でさえも放り出して二人の中に割って入りたい。
無意識のうちにそこまで思っていた自分に笑いさえ込み上げてくる。
…全く、俺はどうかしている。
崇(たかし)は気持ちを切り替えると、流暢な英語でこれからの互いの企業発展について熱く語り合った。
+++
それからすぐに巨哉(なおや)の言っていた通り同窓会の招待状が届き、一ヶ月ほどしたある日曜日の午後、都内にある高級ホテルに若い面々が集っていた。
そこだけはまるで時間がタイムスリップしたかのように、あの頃の童心に帰ってはしゃいでしまう。
思えば、梨華がこうやって男子と入り混じって過ごした時期というのは初等科時代だけだったのだと。
「森永?」
半信半疑で声を掛けて来たのは長身の何かスポーツでもやっているのか、季節柄、スキーとか、スノボというところだろう。
ガッシリした体格の浅黒くてちょっと濃い目の彼。
「えっと…」
―――この顔は、確か…。
なにせ、子供の頃の顔形しか梨華の頭にはないものだから、片っ端から記憶の引き出しを開けてみる。
昨日の夜、卒業アルバムを念入りに見返したのだが、少年だった彼らを順に進化させて行くと…。
「あっ、長島君だ!」
「おぉっ、覚えてくれてたか」
「良かったぁ。森永はグッと大人の女になっちゃって」と心底嬉しそうに顔をほころばせたのは、長島 知徳(ながしま とものり)。
確かに背は高かったが、もやしみたいに真っ白でひょろっとしていた彼がこんなに男っぽく変化していたなんて。
でも、愛嬌のある堀の深い目は変わってなくて、そこが決め手だったと言っていい。
いつも、冗談ばかり言ってみんなを笑わせていた人気者。
「覚えてるってぇ。長島君ったら、いっつも笑わせるから」
「涙流して笑ってくれるのって、森永だけだったよな。俺、嬉しくてさ」
「ついつい、調子に乗ってさぁ」と話す長島にとって、クラスで一番、いや、学校中で一番可愛かった梨華が体をひっくひっくさせながら笑ってくれるのが嬉しくて仕方がなかったのだ。
今みたいにスポーツができるわけじゃなく、勉強もそこそこ、ちっともモテない自分にも変わらぬ笑顔を向けてくれた彼女が初恋の相手だったとここで告白しても、もう時効だからいいだろうか?
「ほんとにおもしろかったんだもん」
「ありがとう。俺さ、森永が初恋なんだ」
「えぇぇっ、ほんとにぃ?」
「ほんとほんと」とおチャらけたように言う長島だったが、あの頃そんなふうに思われていたなんて梨華は全然気付かなかった。
―――何だか、恥ずかしいかも。
「何、今頃告白してんだよ」
「おー蒼井、元気だったか?相変わらず、プレーボーイだなぁ」
「プレーボーイは余計だ」と長島の頭を軽く小突いた巨哉(なおや)は大学でも二人はよくツルんで遊ぶ仲だったが、今ではそれぞれ親の会社を手伝ったり継ぐ身。
忙しくて、そうそう会ってもいられなかったから、いい機会を設けてもらったと思う。
3人は、積もる話に時間が経つのも忘れていた。
◇
飲み過ぎちゃったかしら―――。
「ひやっ」
近くを通り掛かった男子が梨華にぶつかった。
ぶつかった反動で彼が持っていたシャンパンがこぼれてドレスに少しかかったが、さほど気にすることでもなさそうだ。
「あっすみません、ドレスは大丈夫ですか?」
「えぇ。私こそ、ボーっとしていて」
どこかで、聞いたような声―――。
梨華がバッグからレースのハンカチを取り出して拭いた後、そっと顔を上げて見ると何と…崇(たかし)ではないか。
―――うわぁ、常務っ。
何で、常務がここにいるのよ…っていうか、えぇぇぇっ?どうして同窓会の会場に常務が????
慌てて周りを見回してみるが、見知った顔どころか全く知らない人達ばかり。
一瞬、狐に摘まれたような錯覚に陥ったが、開いていた出入口扉の先に目を凝らすと小さく・・・・・初等科同窓会と書いてあるのが見える。
―――やだっ、もう…私ったら会場を間違った?
化粧室から戻って来て、右左対象に位置していた会場を間違えて入ってしまったのだろう。
梨華は極めて冷静を装って、逃げるようにしてその場を立ち去ろうとしたが…。
「あっ、待ってください。それではシミになってしまいます。こちらへ」
崇(たかし)が梨華の意思など無視するように腕を取ると、近くにいたホテルマンに状況を告げ、会場の外へ連れ出されてしまった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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