Intersection
8


何処へともなく走り出した車の助手席で、梨華はただジッと前を見つめるだけ。
密室ともいうべきところで男性と二人っきり、慣れないこともあって何か言わないとと思っても、いい言葉が浮かんでこない。
―――常務、何か言ってくれないかしら?
妙に空気が重たいんだけど…。
そんな時、唐突に開かれた口に思わず梨華は彼を凝視した。

「蒼井 巨哉(あおい なおや)とは、どういう関係なんだ」
「え?」

―――うそ…常務は、巨哉(なおや)のことを知ってるの?
まぁ、彼は蒼井開発を将来継ぐ人だし、常務が知っていてもおかしくないとは思う。
だけど、どういう関係と聞かれても、ただの幼馴染だし…。

「幼馴染なんです」
「幼馴染?」
「えぇ、小学校から大学までずっと一緒で」

…幼馴染ねぇ。
仲がいいのも頷けるが、本当にそれだけなのか。
一秘書が誰と付き合おうと関係ないはずなのに、なぜか変に引っ掛かってしまうのは崇(たかし)自身にもよくわからない。

「この前、大学の同窓会があったんだけど、ちょうど同じホテルで彼を見掛けたんだよ。あちらは小学校の同窓会だったようだが、ということは君もあの中にいたってことかな」
「えっ、えっと…そっ、そうなんですか?」

―――うわぁっ、やだっ。巨哉(なおや)ったら、常務に見られてたわけ?
どうしよう…。
あの時、会場を間違って常務とぶつかった拍子にシャンパンをこぼしたのが私だってバレちゃったら、どうするのよぉ。
今と姿格好も全然違うし、何でこんなに地味にしてるのかとか…ううん、それより知らんフリしたことの方がマズイわよね。
爪が食い込むくらい握り締めていた手の裏にジトーっと汗が滲み出る。
別の話題に切り替えないと―――。

「あっ、常務。そこの角を右に曲がって下さい。家は、その先真っ直ぐいったところですので」

―――ほっ…。
『付き合ってくれ』なんて言われたから、てっきりどこかに連れて行かれるものだとばかり思ったけれど、どうやら運が良かったのか、すぐ先に梨華の自宅があった。

「君の家は、この辺にあるのか?」
「はっ、はい」

…随分と大都会の真ん中に家があるものだな。
今度こそ食事に誘おうと思っていた崇(たかし)だったが、彼女の家がこの近くにあるというのにわざわざ通り越していくわけにもいかない。
蒼井 巨哉(あおい なおや)と幼馴染だということがわかっただけでも、この場は進歩だと思うしかないだろう。
言われた通りに車を進めると、大きな屋敷の前で静かに止まった。

「すみませんでした。家まで送っていただいて」

崇(たかし)に気付かれないように梨華はふーっと息を吐くと、逃げるが勝ち!とばかりにシートベルトをとっとと外してドアを開け、片足を道路に付けた。

「いや、お疲れ。また、明日」
「お疲れ様でした」

バタンっ

ドアを閉めて梨華が窓越し頭を下げると、崇(たかし)も軽く会釈してその場を去って行った。

+++

「常務、佐久間インフォメーション・テクノロジーズの佐久間 様から、お電話が入っております」
「わかった。繋いでくれ」

午後に入ってすぐに梨華が取り次いだ電話に崇(たかし)は、仕事の手を止めた。

「もしもし、晴貴か?」
『悪いな、仕事中に』
「いいよ。で、どうだった?」

晴貴がIT関連の会社を興してからは、右京コーポレーションでも社内の基幹システムやイントラネットなどの構築を依頼していたが、この電話はその件についての話ではない。

『例の女性の身元が、わかったよ』
「さすが、晴貴」

どうも気になって、崇(たかし)は晴貴に調査を依頼していたのだ。

『あぁ。今すぐにでも教えたいが、俺もこれから会議に出なきゃならないんでね。取り敢えず連絡だけと思って。どうだ、今夜時間の都合はつくか?』
「もちろんだ」
『じゃあ、いつもの店に7時。予約は、こっちで入れておくよ』
「わかった」
『じゃあ、後で』
「わざわざ、ありがとう」

崇(たかし)はそう言って電話を切ると腕時計に目を向け、早く7時にならないものか、そればかりを考えていた。



崇(たかし)は6:30頃に会社を出ると、約束の店に車を走らせた。
若い者が普通に入れるところではなかったが、個室になっていることと仕事柄もあってよく利用する場所だった。
先に着いた崇(たかし)が、部屋で待ち構えているとすぐに晴貴もやって来た。

「ごめん、待たせた」

晴貴はスーツの上着を脱ぐと、続けて入って来た仲居がそれをすかさず受け取ってハンガーに掛ける。

「いや、俺もついさっき来たところだから」

崇(たかし)の言葉にふっと笑みを返すと、晴貴は座椅子に胡座をかいて座った。

「飲み物は何になさいますか?」という仲居の問いに普通にビールと注文し、「お料理の方は、佐久間様より板長のお任せと伺っていますがよろしいでしょうか?」と確認を取って部屋を出て行った。

「で、彼女はどこの誰なんだ?」

待ちきれなかった崇(たかし)が言葉を発したが、「まぁ、そう焦るなよ。一杯やってからでも、いいだろう?」と晴貴はもったいぶったように言う。
晴貴も崇(たかし)の気持ちがわからないでもないが、今日は日中かなり暑かったこともあって、とにかく一杯口にしたかった。
すぐに仲居が冷えたビールを2本持って戻って来たが、晴貴は仲居が注ごうとしたのをやんわりと断って部屋から出させ、崇(たかし)のグラスと自分のグラスに注いだ。

「取り敢えず、乾杯だな」

グラスをカチンと合わせた後、二人とも一気にグラスを空にした。
今度は、崇(たかし)がビールを注ぐ。

「森永 梨華 25歳。森永製薬の社長令嬢だ」

「蒼井 巨哉(あおい なおや)とは、母方の付き合いで幼馴染らしい。ちなみに今のところは恋人ではないそうだ。彼の方はかなりモーションをかけているようだが、肝心のお嬢さんの方はてんでその気がない。お前にとっては、チャンスと言えばチャンスだな」とグラスを空にした晴貴は、余程喉が渇いていたのか今度は手酌でビールを注いでいる。
最後はひと言余計なようにも思えたが、やはりそうだったのか…。
彼女を家の前まで送った時、立地といい、そのあまりに大きな屋敷に崇(たかし)は素早く表札をチェックしたのだ。

「江上商事会長と社長の就任パーティーに秘書を連れて行ったのを覚えているか?」
「あぁ、あの地味な」

てっきり、晴貴はホテルの従業員だとばかり思っていた彼女が崇(たかし)の秘書で驚いたが、?!そう言えば彼女も蒼井 巨哉(あおい なおや)と妙に親しそうにしていたような…。

「同窓会で俺にぶつかってシャンパンをこぼした彼女と、俺の秘書は同一人物だったんだ」
「はぁ〜っていうか、森永の令嬢が崇(たかし)の秘書かよ」

晴貴が声を上げたのと同時に「失礼します」と仲居が料理を運んで来たために話は一旦途切れたが、これで真相ははっきりしたということ。
そして、森永 梨華という女性が崇(たかし)の中でより一層気になる存在になり始めた瞬間でもあった。


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