【注】この作品はTHE JUNE内『Actor』に関連しておりますが、゛藁゛ゆり 様が書かれた別のお話です。
都会の、それも高級マンションの窓の外。
箱庭のように小さいながらも贅を尽くされた、日本庭園があった。
趣味で作らせたモノである。
それだけのモノを簡単に作らせる財力があり、地位も、権力もあった。
だが、人の世はそれだけではない。と、知っている所有者の望むと望まざるとにかかわらず、それらを掌握する力―――。
天下を統一した猿が作った金の茶室ほど成金趣味では無い、侘(わび)と寂(さび)を邪魔しない程度に高尚な雰囲気の茶室――否。茶室というよりも、所有者の気分転換時のみに使用される個室である。
この時は珍しく、お客が一人。
季節柄の着物を優雅に着こなした亭主・所有者から、御点前を受けていた。
「いつもながら結構な御点前で」
お客――『恋愛相談所』の所長・吉原 大和(よとはら やまと)のお気軽な感想を笑っていなし、亭主・遥 未来(はるか みく)は茶碗の風合いを愛でながら後の始末をする。
その様子をしばらく眺めて、大和は訪問した用件を口にした。
「未来、頼みがある」
「いいわよ」
未来に一瞬の迷いも無く、゛頼み゛の内容を確認することも無く即答する。
自分から切り出した用件にもかかわらず、大和は戸惑いを隠せない。どうしたものかと、違い棚から桐箱を取り上げた未来の所作を無言で見つめる。
そんな大和には見向きもせずに、未来は言い切った。
「貴方は私の頼みを断らない、絶対に。ならば私に断る理由は無いわ」
その余りにも真っ直ぐで見事な潔い返答に、自分がまた負けてしまったことを悟った大和。別に勝負しているわけではないが、いつもいつでも、どんなときにも勝てた例が無いのが困る。未来は大和が絶対に適わない女性だった。
「未来」
「ん?」
「いい女」
不意打ちの大和の言葉に、桐の箱に茶碗をしまいかけた姿勢のまま、一瞬だけ目を見張る未来。それからゆっくりと口角を上げ、大和を見て断言した。
「当然」
やっぱり適わない、大和である。
* * * * * * * * * *
『恋愛相談所』所長の脳内作戦で、知らぬ間に゛間中さん対策゛を押し付けられてしまった助手のちひろ。
どんな裏技をつかったのか(大和は断固口を割らなかった)、森課長と古宮 佐保さんが二人そろって短期出張に行ってしまった。
一週間は帰ってこないという裏情報に、それこそ仁君は地団駄踏んで悔しがり、間中さんはそれを苦しげに見ていた。
そこで、間何さんを誘ってランチ・タイム――。
「状況が変わりそうじゃないですか?」
食後のお茶を飲みながら、ちひろが状況変化を持ち出した。
「一週間じゃ何にも変わらないわ」
どこか諦めたような間中さんに、協力体制に入ったちひろは尚も状況変化が如何に有効であるかを説く。
「でも森課長と古宮さんは居ません。今野さんの側にいるのは間中さんだけですよ?古宮さんは、間中さんを応援してくれたじゃないですか」
「――本当に応援してくれてると、思う?」
「応援してくれなくても、恋愛は戦争です」
「………」
本当に、゛恋愛は戦争゛だと思っているわけではない。だが間中さんの八方美人発言に、あえて彼女の選択を促した。
「意気地なしには勝ち目は無いって言いません?」
「……頑張ってみる」
悲壮な決断を口にする間中さんに、何だか自分が童話の中の悪い魔女にでもなったような気がする、ちひろだった。
◇
『恋愛相談所』の所長としては、助手ばかりに苦役を強いているわけではない。
大和も裏技を行使しただけではなく、今野氏対策である。ちなみに今野氏に゛裏情報゛を流したのは大和だった。
「どうして止めてくれなかったんだ!?」
怒り心頭の今野氏に、大和は冷静に切り返す。
「会社の方針にまで関与しておりませんので」
会社事情にまで(本当は裏技をつかった張本人であるのだが)与り知らぬであろう事は、今野氏にもわかっている。わかっていても、口にせずにはいられないのだろう。机に伏せた今野氏が絶叫する。
「これで佐保は森課長の毒牙に~~~!!!」
「古宮さんがしっかりしていれば大丈夫ですよ」
「本当に?」
大和を見上げる今野氏に、力強く頷いて肯定した。そしておもむろに、この状況利用を提案する。
「これは古宮さんとの関係を見直すチャンスです。何故、古宮さんがアプローチに応じないのか?その問題点は何なのか?しっかり考えてください」
「そうだね!佐保とは結ばれる運命なのに、どうして運命に逆らうんだろう?」
゛そりゃ運命じゃないからだろう……゛
今野氏に突っ込みを入れたいトコロを、グッと我慢する大和。これも一種の試練であろうか?
とりあえず仕込みは上々、仕上げは恋愛成就!―――予定。
◇
それから、今野氏は間中さんとよく行動を供にするようになった。仕事以外にも。
今野氏から゛女心゛についての相談に「女心は女に聞け!」と、大和の助言。その助言に従って幼馴染のちひろに直行すると、ちひろから同僚の間中さんへ。どんな手妻を使って今野氏を間中さんの方へちひろが差し向けたのか知らないが、大和が見た限り二人の雰囲気は悪く無い。
「決定打が欲しいところだよなぁ~」
どこかの野球監督のような総評を述べる大和に、ちひろは複雑な顔で進言した。
「あまり危険な決定打は、逆効果ですから」
「どうして?」
大和の反問に、ちひろは幼馴染の仁君が立て続けに(不慮の事故を含め)家族を亡くした事を語る。
「――だから大事な人を失いそうになると仁君は、いまだに萎縮してしまうんじゃないかと思うんです」
「つまり、失うぐらいなら手を出さない?」
無言で、ちひろは頷いた。
「で。今野氏は、何であんなに水川さんに執着しているんだ?」
それは今野氏に初めて会ったときからの大和の疑問だった。
今までその事に触れなかったのは、どんなに今野氏を叱りつけていても、その次の瞬間には、ちひろが気遣っていたから……叱った原因が今野氏を傷つけていないか、いつも確かめていた。
「仁君にとって私は、決して無くならない、変わらない存在だからです」
次々と家族を亡くして沈んでいる仁君に、ちひろは約束したのだ。自分は変わらない、どんなに離れていても決して居なくならない―――と。
「成程。絶対の存在か」
「その代わり、恋愛対象じゃなくなりましたけど……」
恋愛対象にしたら、絶対の存在を自ら変えてしまうから―――だろう。
何とも、徹底した妄信ぶりである。
゛まるでドラ○もんとの○太クン……゛
どうしても国民的アニメから離れられない大和だった。
だが現実には、の○太クンに成長してもらわねばならない。無論ドラ○もんにも、の○太クン離れをしてもらう。だからドラ○もん――ではなく、やたら眼差しがきつい(間違いなく、正確に大和の思考を読んでいる)ちひろに打診する。
「その逆効果、狙ってみようか?」
「所長!?」
「トラウマを乗り越えて結ばれる、これ以上の決定打は無いだろう」
「……間中さんを危険な目にあわせないで下さいね?」
「実際に危険な目にあわせちゃったらシャレにもならんよ」
良からぬ事を企んでいるに違い無い大和の思考など、ちひろの想定外だった。(つまり思考が読めない)何を企んでいるにしろ、平穏無事に……いや恋愛は平穏とはいい難いトコロがあるので、何とか無事にすめばいい。
そんな祈りにも似たちひろの心境を余所に、大和が訊ねる。
「間中さんは心臓に持病とかは無いよな?」
「はぁ~?」
間が抜けた声を上げたちひろを、いったい誰が責められようか?
そして大和の企みを聞いた後、呆れ果てたのも無理は無い。だが反対してもさしたる代案も無いちひろは、その企みを遂行する為に、行動を開始した。
◇
ちひろに呼ばれてやって来た間中 絵里子を待っていたのは、社内配達アルバイター。いわずと知れた、吉原 大和である。
書庫整理の時に見かけたことがあるだけの自分に警戒する間中さんに、大和は笑って告げた。
「水川さんは階下で待機してますから」
階下――らせん状階段の五階と四階の間で、ちひろが小さく手を振っている。
その覗き込んでいる直ぐ横を、荷台が転げ落ちた。悲鳴を上げる間も無く、間中さんは大和に抱き上げられる。
「大きな悲鳴を上げてくださいよ」
意味不明な言葉に何も考えることが出来ないでいると、反動をつけた大和の腕から空中へ……階下へ放り投げられた。
「きゃぁぁぁ~~~!!!」
ズボッ!
階下では、いつの間に出現したのやら、避難訓練用のスポンジが分厚いマットが間中さんを受け止めた。
「すぐに今野さんが来ますから」
動転している間中さんの耳に素早く囁くと、ちひろはマットの端を持ち上げ、マット上の間中さんを廊下へ転がす。
それを見届ける事も無く、避難訓練用のマットと供に消える、ちひろ――タイムを計っても、五秒とかかってはいないのではないかと思われる早業である。
「何があったんだ?!」
「荷台と女の子が階段から落ちたんです!」
轟音と悲鳴の、ダブルの非常事態音。
急いで駆けつけた疑問に、大和が答える同時に階下を覗き込む今野氏――正確には、荷台も間中さんも大和が落としたのであるが……。
「間中さん!」
落ちた相手を確認するなり、今野氏は階段を駆け下りる。問答無用でまだ動揺している間中さんを抱き上げると、出来る限りのスピードで駆け出した。その方角的には、医務室を目指しているのだろう。一部始終を見守っていた大和が、廊下に隠れていたちひろに訊ねる。
「君の幼馴染は、頭を打ったかもしれない人間を無闇に動かしちゃいけないと、知らないのかい?」
「――返す言葉もありません」
「それにしても。避難訓練用のマットの扱いは素早かったなぁ~。練習した時の最高速度より、二秒は速かった!」
「……来世は消防士を目指そうかなと、思います」
一連の実行犯達は、騒ぎに集まりだした社員に「もう心配ない」旨を伝え、荷台から落ちた荷物を拾い集めながらの反省会。
この場に間中さんと今野氏を時間差で呼び出したのは、ちひろ。姿を見せての、実行犯は大和。その際、間中さんにだけは影の実行犯のちひろも姿を見せた。
「会社の責任者に報告しますか?」
「いんや。実際の被害は無いから止めておこう。それに五階の責任者・森課長は、まだ出張中。晩御飯でも食べてから帰ろう」
晩御飯――色々と片付けるのに時間がかかってしまった為、確かに、もういい時間帯である。
ちひろも手早く帰り支度をすると、待っていた大和と肩を並べて近くの飲食店街へ足を向けた。
◇
「――明日、森課長と古宮さんが帰社するんですよね……」
手近なファミレスで注文を終えたちひろが、大和の裏技仕様の出張から帰るもう一組のカップルに思いをはせる。
今回の荒治療からの、現実逃避も入っているようだ。
「森課長と古宮さんの事は明日、帰って来たらわかるさ。それよりも、右隅にいるカップルを見てみろよ」
大和の言葉に従って右隅を見てみると、見覚えのあるカップル――今野 仁と間中 絵里子が人目を避けるように身を寄せ合って、仲睦まじ気に喋っている。
「あら、ま。これはウエディング・ベル?」
「ちょっと気が早くないか?」
荒治療が成功した事に安堵したちひろに、大和が突っ込む。と、ちひろは大和に向き直って断言した。
「仁君が結婚を急ぐ理由がまだ判明してないんですよ?今の仁君なら、結婚にまっしぐらです!」
幼馴染ゆえの、ちひろの妙な自信に反論できない大和。
ここは無難に話題を転換する。
「しかし、ま。依頼の半分は達成、と」
そう結論付けて、大和とちひろは運ばれてきた晩御飯に手をつけた。
* * * * * * * * * *
「……お手上げだよ」
昨日の事+事の顛末(今野氏&間中さんのカップル成立?)を念の為に報告した大和に、出張していた五階の責任者・森課長が愚痴る。
「いったい、どうしたんですか?古宮さんの本音とやらは?」
大和が合いの手を入れると、森長は本当に不本意そうに(だったら言わねばいいものを)言い募る。
「タイプじゃ無いんだと!」
「それは反駁できませんね」
遠慮の欠片も無い大和の物言いに、森課長は恨めし気である。が、野郎の視線など何ほどでも無い。
「他人事だと思って」
「他人事です。森課長、俺の兄弟でしたか?」
「………」
すっかり無口になった森課長に、ちょっとやりすぎたかと口調を緩める大和。
「本当に脈無しですか?微塵も、欠片も、粉末も?」
「……君ね、止め刺してどーするかな」
呆れ顔の森課長に、最早先刻までの憂いは無い。
「諦めない限りは大丈夫です」
「そうかな?」
「そうですよ」
結構、無責任に保障しつつ、ひょんな事から、もう一組のカップル未満の現状をゲットした大和だった。
◇
『恋愛相談所』で所長の大和と助手のちひろは、今回の依頼人・今野 仁から事後報告を受けていた。間中 絵里子と恋人になった事について、森課長と古宮 佐保について――。
当初の依頼とは違う依頼内容に忸怩たるものがあるような今野氏であるが、如何せん。大和とちひろにとっては、計画通りで何ら問題は無い。そんな事とは露知らず、長年の友人であり恋心を抱いてきた女性でもある古宮さんについて熱く語る、今野氏……。
「――だから佐保にも、もう意地は張らずに幸せになってほしいんだ。森課長については、誤解させていたところもあるからね。男としてけじめをつけたいんだ」
゛今野氏のくせに生意気な!゛
反射的に脳裏を過ぎったジャイ○ン的思考に、大和は天を仰いだ。
とうとう自分も国民的アニメに役柄を見出してしまったらしい。しかも配役は、あのジャイ○ンである。
「誤解させたって、どーゆー事?」
だがしかし。本来の本家本元(?)のドラ○もんは、の○太クンの熱い述懐に惑わされなかった。
「だから、それは、ね?ちひろちゃん?」
「つまり。古宮さんが森課長のアプローチを受けないのは仁君のせいなのね?」
「ちひろちゃぁ~~~ん!」
身も蓋も無く断罪するちひろに、今野氏になすすべは無い。
大和も森課長の憂いの原因を解明できた。
「もう!何て人なの!!」
ちひろに怒鳴られ、平身低頭な今野氏。
その姿はまさしくドラ○もんに叱られる、いつものの○太クン。
微笑ましいものを感じなくも無いが、大和には気きになることが一つ。
「――今野さんは本当に間中さんを口説けたんですか?」
この素朴な質問に、当の本人ではなくちひろが答える。
「間中さんなら仁君のいつもの調子でOKですよ!」
「いつもの調子ねぇ~?」
言い捨てたちひろと、それでもまだ疑問が残っている大和の視線がかち合う。
『――間中さんが無事で、本当に良かった!』
『あの、私、大丈夫ですから……』
『本当に大丈夫なのか?』
『だ、大丈夫、です』
『――今まで、ごめん!』
『あの?』
『間中さんに酷い事、してきた。もう許してはくれないかもしれないけど……』
『いいんです……気に、してませんから』
『好きだ』
『え?あ、……私も』
『間中さん、いや絵里子が好きだよ』
『私も、今野さん』
『仁、だよ。名前を呼んで、言って?』
『……仁さんが、好きです』
「――本人の目の前で、よくやるね君たち……でも概ね、そのとおりだよ」
今野氏=大和、間中さん=ちひろの配役で、二人が恋人になっただろう時の事を想像して再現すると、呆れたような今野氏の憮然とした様子からも、この想像は事実に果てしなく近いのだろうと思われる。
色々と企んだ『恋愛相談所』の面々は、とりあえず良かったと胸を撫で下ろした。
「じゃあ男のけじめをつける為に、古宮さんに事実を告白してきなさい」
「ちひろちゃぁ~ん!」
でも、やっぱり。の○太クンは、の○太クンだった。
◇
「納得できない……」
あの仁君との問答の後、堂々巡りを見かねた大和の仲裁で、一応顔見知りでもあるちひろが古宮 佐保・対策をする事になった。
゛男のけじめ゛と言いながら何処までも逃げ腰の仁君の後始末など、到底、納得できようはずも無い。が、そこはちひろのしつけがなってなかったからだ――と、大和に力説される。何か激しく勘違いしている大和に、ちひろが負けた。
゛勘違いだけは解いておきたい……゛
でも大和が何を勘違いしているのか、ちひろには皆目見当もつかない。
よもやまさか仁君の事ではあるまいと、かなり無頓着。その無頓着のまま古宮 佐保に接触した。
「お久しぶりです、佐保さん」
「ちひろちゃん。仁と間中さんの事、聞いた?」
「はい」
「良かったわね」
普通の幼馴染以上の関係を知っている佐保さんの祝福の言葉に、ちひろは幾許かの寂寥と安堵感が交差する。それから促されるまま休憩室へ。しかし自販機の飲み物まで買ってもらうというのは、どうだろう?
「ひな鳥に巣立たれた親鳥の気持ち、かしら?」
「似たようなものです」
「でも、ちひろちゃんも彼氏をつくれるわよ?仁の事、隠さなくてもいいし」
「は?あの……」
自分の言葉を理解できない様子のちひろに、佐保は噛み砕いて説明した。
「ちひろちゃんと仁は幼馴染以上だから。恋愛感情が皆無なのはわかってても、幼馴染という言葉の意味以上の関係よ。ちひろちゃんに彼氏が出来ても、長く続かなかったでしょ?彼氏と揉める原因は、いつも仁で――」
見に覚えがありすぎる佐保の説明に、ちひろは放置してきたそれまでの彼氏、男友達との関係を鑑みる。ちひろにとって仁君はもう空気みたいなもので、それを一々気にする彼氏・男友達が心が狭いのだと、決め付けていた。
現在の彼氏である大和に関しては、仁君にも大和自身にも、お互いの存在を知らせてはいない、ちひろの無頓着ぶり……。
「仁が依存体質だから、ちひろちゃんじゃ無くて、仁に恋人が出来るまで、ちひろちゃんには彼氏は出来ないなって思ってたの」
佐保の述懐に、大和の勘違いを出来うる限り説明するつもりの、ちひろだった。ただし、大和はそれまでの彼氏達のように仁君の存在を知っても、ちひろに問い詰めるようなマネはしなかった。それが仕事に関係するまでは――。
「もう彼氏はいるの?」
「まあ、いるんでしょうね?」
すっかり考え込んでいたちひろに、楽しそうに訊ねる佐保。
ちひろは、その佐保に自分の現状を聞き返してしまった。それだけで佐保には、ちひろの彼氏との関係が知れてしまったのだろう。
「仁の事、出来る限り説明しなさいな」
「……ですね」
これでは、どちらが『恋愛相談所』の社員だかわからない。
その事に気づいて、ちひろは急遽、話題変更。本来の職務を遂行する。
「――佐保さんは、どうなんですか?」
「ん?恋愛?」
「仁君、佐保さんに゛年中恋愛中゛でしたから」
佐保が笑い出したのは、ちひろの物言いが言い得て妙、だったから――年中゛愛されてる状態゛というのは、随分、心地良いものだ。例え擬似恋愛だったとしても、慢性的な慣れになる。
「仁との時間は、とても満たされていたの。擬似恋愛だったけど、その事をわかってたけど辛い事があっても悲しい事があっても、受け入れられた。心が満たされてたから、それが出来た」
佐保が十年近くの時間を仁君と供に生きてきた事を、ちひろは知っている。だから心が満たされていたのは佐保だけじゃなく、仁君もだ。ちひろでは幼過ぎて出来なかったことを、同世代の佐保が補ってくれた。でも、それは恋愛感情では無かったのかもしれない。
「――佐保さんは、恋人は?」
「自分を壊すかもしれない恋愛は、ちょっとね?誰かさんのおかげで心が大分、無防備になっているから……でも彼は、暗闇にいた私の手をずっと握っていてくれたのよ」
過去の佐保に何があったのか――ちひろは詳しい事は知らない。が、同じく過去を抱えていた仁君と寄り添って生きてきたことを、知っている。
その佐保が自分を壊すかもしれないと、危惧するような恋愛?これは仁君が、森課長の事を誤解させたからであろうか?
ひたすら嫌な予感がする、ちひろ。
「ま。誰にでも春が来るわよ!」
その物言いが、゛あの仁にも春が来たのだから~゛と言っているように聞こえる。
だから慎重に、だけど確信を逃さないように、ちひろは尋ねた。
「仁君に何を吹き込まれたんですか?」
「……仁、だけじゃ無いわよ?」
仁君以外にも、佐保さんに善からぬ事を吹き込んだ輩がいたらしい。
小柄で控えめな雰囲気の佐保さんならば、十分以上にありえることだ。だから、ちひろは遠慮なく仁君の悪行を暴露する。
「仁君が言った事は嘘ですから。佐保さんを誤解させたんです」
「……森課長の事を、言ってるの?」
力強く頷いて肯定する。すると、佐保は弱々しく笑いながら新たな情報をちひろに提供した。
「森課長には常にセックスフレンドがいるんですって。恋人がいても複数のセックスフレンドがいて、それも嫌だけど、そのセックスフレンドの中には人妻もいるって。嫌よね?」
それは何ともスゴイ話である。で、この話に仁君が何処までかかわっているのか、ちひろとしては絶対に詳しく知りたく無い。なので無難が最善説を採用する。
「その噂、凄すぎてかえって嘘っぽいですよ?」
「でも、森課長も否定しないし」
「複数ですか?それとも人妻?」
「――セックスフレンドの存在」
それは早計だったのではないかと視線で問うちひろに、佐保の爆弾宣言。
「だって、本人にも会ったから……人妻でセックスフレンドの――」
◇
「――それは誰?」
古宮 佐保から聞いた森課長の御乱交を報告する『恋愛相談所』助手のちひろに、所長の大和が問い返した。
「誰って……わかりませんよ」
ちひろの返答に、大和は考え込む。
そして空を見つめたまま小さく洩らした。
「やりすぎたな、森課長」
「やりすぎって何がですか?」
大和の話についていけない――というよりも策略めいた独り言に、ちひろは身構える。どちらにしろ、あまり良い話とは思えない。
「今野さんの゛誤解させる話゛を助長させたのは、森課長だったって事だよ」
「はぁ~?」
自分の誤解を助長させてどうするのかと、ちひろは疑問の声を上げる。
「森課長が清廉潔白なんて戯言は言わない。けど、複数のセックスフレンドを持ったり、人妻をもセックスフレンドにするような道徳観念が欠如した人間じゃ無い。つまり、自称・人妻でセックスフレンドの女性は自作自演の森課長の元恋人か、古宮さんをゲットする為の森課長の演出か……俺は後者に一万円賭けられる」
「一万円賭けなくてもいいですから、その森課長の誤解、仁君の分も古宮さんに解いてきてください」
謎解き後、至極当然のように指名された大和。
策を弄しすぎたクライアントの為の『恋愛相談所』所長の出番やもしれないが、ここは誤解を解くだけでは恋愛成就とはいかない。さて、どうしたものか?
「んーこれは状況判断かなぁ~」
「所長!」
「いや、本当に様子見だって」
ちょっと難しい局面に投げかけた大和を、止める助手。
その後の所長の言い訳にも、ちひろの目は冷たいままだった……。
◇
その日の最後の社内配達便を配布し終えた時、たまたま通りがかった資料室。
人の気配は、また書庫整理が終わっていない為だろうか?
ドスンッ!
ダンボール箱が落ちる音に、大和は資料室の内の様子を窺った。
「……貴方みたいな人、私は絶対信用しない!」
「――わかった」
どうやら男女の修羅場、それも最終局面らしい。しかも女性は古宮 佐保。男性は森課長。タイミングがいいのにも程があるが、この五階でこれほど一触即発な男女はそうはいない。
「触らないで!」
「……その怪我は跡になるから、医務室に行って消毒した方がいい」
扉が閉まる音がして、廊下を一人で歩く音がする。森課長が退場したらしい。
何があったのか、想像するのも難くない。おそらく森課長が例によって例のごとく古宮さんに言い寄り、またしても玉砕したのだろう。
その後、古宮さんがすすり泣く声がする。
「――泣くくらいならあんな態度とらなきゃいいのに」
森課長が退出した扉の逆の扉から、大和が古宮さんの前に顔を出した。
「誰?!あ、社内便の、資料移動のときにも……」
大和の顔を覚えていたわけではなく、社内便配達の制服で、資料移動時に駆り出された力仕事要員である事も思い出したらしい。
「森課長も報われないヒトだね。策を弄して当て馬の女まで起用したのに、肝心の本命には……同じ男としては泣けるな、うん」
「当て馬の女って?」
古宮さんが食いついてきたのは、やはり゛当て馬の女゛だった。だから確証は無いものの、森課長の性格を判断しただけで言葉を綴る、大和。
「人妻のセックスフレンド」
「嘘、なの?!」
「あんた、あのヒトの社会的モラル何だと思ってんの?」
「……!」
大和の乱暴な言葉にショックを受けたように沈黙すると、踵を返して資料室から飛び出した。
「楽勝」
ニヤリと笑った大和が、携帯片手に古宮 佐保を追いかけた。
◇
「森課長!」
まだ廊下を歩いていた森課長を呼び止めた。が、何を言ったらいいのか、佐保にはわからなかった。
何も言えないでいる佐保を見つめて、森課長が訊ねる。
「医務室は?」
「あ!」
「行こうか?」
「はい」
しばらく森課長の後に付いて歩いていた佐保が、おもむろに口を開いた。
「あの私、森課長のセックスフレンドで人妻だっていう女性に会ったんです」
「ああ。彼女は大笑いして、やり過ぎたって言ってたよ」
「どうして?」
「古宮さんに関心を持ってほしかった。馬鹿な真似をしたよ!」
前方を歩く森課長が、吐き捨てるように言い捨てた。
その森課長の前に回りこんだ佐保が、決然と言い返す。
「私の好きな人を悪く言わないで!」
「……本当に?」
信じられないように確認する森課長に、瞬き一つで泣きそうになりながらも泣かないで、佐保は最後まで言い切った。
「今まで、ごめんなさい。私、とんでもない誤解をしていたの。でも、好き。ずっとずっと、好きだった……」
台詞の最後の方は、森課長の腕の中である。
◇
「一件落着!」
クライアントの恋愛成就を見届けた大和が、携帯で呼び寄せておいたちひろに振り向いて宣言した。
「所長の様子見って、出たとこ勝負ですね」
「状況判断って言ってほしいなぁ~」
依頼が成功した事で機嫌のいい大和に、ちひろは以前から聞きたかったことを訊ねた。
「所長は、私と仁君の事をどう思っているんですか?」
真摯なちひろの質問に、大和も誤魔化さなかった。
「恋愛と比較できない幼馴染。俺と――元カノと、ちょっと似たような関係」
「……だから、何にも聞かなかったんですか?」
「聞いて欲しかったのか?」
「――わかりません」
人の感情は、そう簡単に割り切れるものでは無い。
それが恋愛感情だったら、なおさらである。
だから二人は、『恋愛相談所』を営んでいるのだ。
「今野氏には二倍、依頼料を請求しなくちゃな!」
「任せて下さい!!」
二人は肩を並べて『恋愛相談所』へ帰社した。
END
NEXT
BACK
INDEX
TOP
Copyright(c)2009-2013 ゛藁゛ゆり 様, All rights reserved.