【注】この作品はTHE JUNE内『Actor』に関連しておりますが、゛藁゛ゆり 様が書かれた別のお話です。
「ポテトもご一緒にいかがですかぁ〜?」
有名なファーストフード店で接客するなど、よもやまさか〜である。
『恋愛相談所』で助手を勤める水川ちひろは、対象者=林 芽衣子(はやし めいこ)に接触する為にファーストフードでアルバイトをしていた。
昨今の不景気ではアルバイト口もそう簡単には決まるまいと、軽い気持ちで出向いたら即採用!(どうやら、最初から決まっていたらしい…)で、接客の台詞もあやふやなのに店頭に立たされていたのである。
゛依頼人、恐るべし!゛
ちひろは何だか、資料のファイルが届いたときに大和が頭を抱えていた気持ちが理解できるような気になってきた。
゛対象者、林 芽衣子にも接触できているし…゛
「ちひろちゃん、大丈夫?」
その対象者=林 芽衣子は、アルバイトの先輩として、ちひろに指導していた。
いかに゛至れり尽くせり゛でも、ここまでくれば怖すぎる…。
けれど。いくら怖かろうが、ここまで来てしまった以上、目的は遂行せねばなるまい!
「あの、林さん…」
「芽衣子でいいわよ。同い年くらいだし?」
内気…というより、控えめな印象の林 芽衣子は、案外気さくにちひろに話しかける。
このアルバイトの成果かもしれない。
「わたし、二十歳なんですけど?」
「わたしもよ。早生まれだから、もう少し間があるけど」
゛知っています゛とは言えない、ちひろである。
「じゃあ芽衣子さん?」
「同い年っていうか、わたしの方が今は年下でしょう」
「…芽衣子ちゃん、でもいいですか?」
「芽衣子ちゃんにしてください」
心が癒されるような笑顔に、彼女が新人アルバイトを指導する役を担っている理由が分かった。
「ねえ、そろそろ足が痛くない?」
客足が落ち着いているので、それでも店内には聞こえないように、小声で芽衣子が尋ねる。
「痛いです!」
力一杯!小声で答えたちひろに、芽衣子が笑った。
「初めての時は、そろそろ足の痛みがピークなの。ストレスもあるし、ね?」
「ストレス、ですか?」
「接客は緊張するのよ」
その真っ正直な発言に、ちひろは首を上下して同意した。
林 芽衣子は、本当に癒し系の女性である。
25歳年上のオジサンも、そう思っているのだろうか?
「でも休憩時間は決められているから、勝手に休めないの。だからトイレでちょっとだけ足を休めて来るといいわ」
「…いいんですか?」
芽衣子が小声で囁く言葉にすぐにも同意しかけながらも、ちひろは周囲の様子を伺った。
どうやら一番客足が落ちる時間帯らしく、ちひろが注文を受ける客はいない。
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
そっと接客場所から抜け出そうとしたちひろの腕を、芽衣子が捕まえた。
「…やっぱり、ダメなんですか?」
先刻の嬉しいお言葉の反動で、ちひろは半分涙目で芽衣子に問う。
「そうじゃいの」
芽衣子は首を横に振ると、またもや小声で告げた。
「持ち場を離れてトイレに行くときはね、近くの人に言うだけじゃなくて、゛十番入ります〜゛って他の人に声をかけてね」
「十番、ですか?」
「そう」
至極真面目に頷く芽衣子に、その十番には何か意味があるのかと頭を捻る。
そんなちひろの様子に苦笑しつつ、芽衣子は溜息混じりに続けた。
「十番に限った事じゃ無いけど。甲子園の季節は九番だったし、ワールドカップの時季は十一番だったわねぇ〜」
十番の意味が、何だか分かったような、ちひろである。
「もしかして、五番とか、六番もあるんですか?」
ちひろの反問に、芽衣子は真面目な顔で肯定した。
ちなみに。五番はバスケで、六番はバレーのチーム人数である。
「じゃあ、もしかして十番ってゆーのは…」
呆れたような問いかけに、芽衣子は困ったような顔をして頷いた。
「…十番、入ります」
「了解しました」
口を一文字に結んだちひろは、入った個室で爆笑した。
十番=トイレは、ト=10をかけていたのである。
それに気づいたアルバイト(?)が、その季節や時期にちなんだスポーツの競技人数に当てはめて、楽しんでいたのだろう。
ひとしきり笑ってから、ちひろは自分の疲れが軽減しているのに気がついた。
゛芽衣子ちゃん、侮れない人…゛
芽衣子はわざわざこの時を選んで、ちひろに担当場所を離れるときの話をしたのだ。
足の痛みと一緒に、疲れも取れるように…。
゛この依頼の関係者…女性(まだ男性には会ったことが無い)は、侮れない人がいたり、(直接、会ったことはないけど)怖い人がいたり、 ―世の中には知らないことが一杯あるんだわ〜って思えたら、幸せよね…゛
思いもよらぬ世の中の広さにゲンナリしながら、ちひろは脹脛を叩いて足の疲れを発散させた。
だが、そう長時間トイレに引きこもっているわけにもいかない。
適度に身体をリラックスさせて、今日割り当てられたばかりの担当場所に戻ることにした。
「………!」
通路に面した小さな窓越しに、林 芽衣子の声がする。
誰の声か判別できても、言葉までは解らないが…。
盗み聞きするつもりは無いが、結果的には同じ事だと覚悟して、ちひろは窓の側に近づいた。
「―君のお父さんの遺産があれば、アルバイトをする必要は無いだろう。住まいだってもっとセキュリティがいい所があるのに…」
低めの声音が艶っぽい、男性の声である。
これは一聴惚れする女性がいるかもしれない。
悪いとは思いつつも仕事柄(?)、心の中で手を合わせて盗み聞き・継続。
「わたし、もう半年もしないうちに20歳になるんです。成人するんですよ?」
芽衣子が静かな声で、淡々と事実を告げる。
「…ああ、そうだね。林も、もちろん君のお母さんも喜んでいるだろう。注文しておいた着物がそろそろ仕立てあがるから、袷に来てほしい。成人式のお祝いだ」
「はい」
「そろそろ…ご両親の墓参りにも行かないと」
「…はい。分かってます」
声はすれども姿は見えず…。
ちひろは頭上の小窓が憎かった。
ここまで会話が聞こえれば、芽衣子が話している相手が件の25歳年上の保護者であることは容易に察せる。
ちょっとジャンプすれば、チラリとでも相手の男性の姿を拝めそうな小窓の位置だった。
後は実行するのか、しないのか…。
ちひろの決断は早かった。まさに即決!
後ろに2〜3歩下がって、窓際でジャンプ。
運良く、ちひろに背中を向けていた芽衣子の頭越しに、相手の男性の顔を見た。
そして運が悪いことに、相手の男性とバッチリ目が合ってしまった。
そのことに動揺したのと、足が痛いのとで、着地に失敗。
凄まじい…と言うほどでも無いが、結構大きな物音を立ててしまった。
しかし、それでも。ちひろは声を上げなかったのは、さすがである。
「そろそろ帰るよ。君を心配して様子を見に来たようだ」
「?」
男性のその言葉を、芽衣子は理解していないようだった。
だが、室内に入って来るような物音に、ちひろは着地に失敗して打ちつけた身体で無理やり立ち上がる。そして痛む部分に手を当てた。
「…ちひろちゃん、だったの?」
「ごめんなさい」
とりあえず、謝る。自分が良い事をしていたとは、思わないから。
「さっきの音は?」
ちひろの謝罪を軽く流して、騒音の原因を追究する芽衣子。
まあ、気になるだろう。
「…脹脛の痛みをとるのにマッサージしてから思い切りジャンプしたら、着地に失敗したの。頭上からって、窓の外から男の人の声が聞こえたときはどうしようかと…芽衣子ちゃんの、お客様の邪魔をしちゃった?」
まんざら嘘でもないちひろの言い訳に苦笑して、芽衣子は自分を訪ねて来た客の正体を告げる。
「さっきの人は、わたしの保護者なの」
「芽衣子ちゃん?」
「ちひろちゃんは見た?」
芽衣子は怒ってはいない。ただ、問うている。
だから、ちひろには嘘がつけなかった。
「…チラッと、見えた。ごめんなさい!」
思わず謝るちひろに、芽衣子は笑って首を振った。
「別に怒ってないわ。彼の事、どう思った?」
ここは正直に言った方がいいと、ちひろは判断する。
「大人の男性なのに、随分若い声だと思ったんだけど…」
「成程〜」
真っ正直な感想に、芽衣子は感心したようだ。
そして何でもない事のように、サラリと言い切った。
「わたし、彼のことが好きなの」
その言葉は、ピンク色の小物が好きとか言う好みの問題では無く、異性に対する女性の発言だった。
だから、ちひろも思わず応援の言葉を返す。
「頑張って!」
「ありがとう」
力むこと無く、ただ嬉しそうな芽衣子の笑顔が殊更印象的な、夕刻。
薄い闇色の帳の空で、白い月だけが見ていた。
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