偽りの向こうに
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今日に限って、いつもより多くの視線を感じるのは気のせいだろうか?
香が本部長のところへ資料を届けに行った時も、総務へ接待費の申請をしに行った時も、自分が異常に見つめられているのを嫌というほど感じていた。
あの日だけは吉崎さんの助言があったにせよ、いつもの自分ではなかったが、それにしたって今は膝が見えるようなスカートではないし、ヒールも履いていない。
見られる理由が皆目見当もつかないのだ。

「香さん、ちょっと見た?」

吉崎が興奮して香を呼び止めた。
見た?といってパソコンの画面を指さしているが、一体、何が映っているというのだろう。

「なんですか?」

香は画面を覗いた途端、奇声を上げて固まった。
何よ、これっ!!
副社長は広報に話をつけるって言ったじゃない。
なのに何で、あの写真が載ってるわけ?
よりによって、副社長と秘書のキスシーンが全社員の目に触れることになろうとは…。
全く悪夢としか思えなかった。

「よく撮れてるわね。まるで、俳優さんみたい」

「とっても素敵」目にハートマークを浮かべて酔いしれている吉崎だったが、実際に目にした瞬間よりも、この画像は胸の奥がきゅんとなるくらいとても素敵なものだった。
今まで女性とのツーショットは数知れずの佐脇でも、香と一緒にいるところは格別だ。
これ以上、お似合いの二人なんてこの世には存在しないくらい、誰もが認めるカップルに違いない。

「そんなに褒めないで下さいよ」
「どうして?持って帰って飾りたいくらいなのに」
「そっ、それだけはやめて下さいっ」

恥ずかしいったらありゃしない。
今更気付いたが、この画像が流れたから香に対する視線がいつもと違っていたのだ。
なんということ!!
明日から会社に来られないじゃないっ。
それより、どうしてこの画像が掲載されたのかをきちんとしておかなければ。
香は副社長室へ真っすぐ向かうとドアをノックする。
相手のことなどこの際全く気にもせずに中へ入っていった。

「副社長」

呼びかけると佐脇は何事かという表情で香を見つめていた。
相変わらずイイ男だったが、今はそんなことなどどうでもいい。
信じていたのに。

「写真が載っているのはなぜでしょう?副社長から広報課へあの写真は使わないように言ってくれたのではなかったんですか?」

香がまくしたてるように言うと、佐脇もやっと状況が飲み込めてきた。
確かにキスシーンの写真は使わないように広報課へは話をしに行ったが、自分でそれを見た時に隠してしまうのはもったいないと思ったのだ。
それくらい二人は完璧に溶け合っていたのだから。

「言いに行ったのは間違いない。ただ」
「ただ?」

はっきり理由を聞くまでは一歩も引かない構えの香にどうしたら理解してくれるか、佐脇はそれだけを一生懸命考えていた。

「すまない。俺の力ではどうにもならなかった」
「どうにもならなかったって、副社長なのにですか?」

益々、不信感を募らせる香。

「そう、目くじら立てなくても。たかが、キスしてる写真くらいで」

たかが…。
何かがプチっと音を立てて切れるのがわかった。
この人にとってみれば、キスくらいたいしたことではないのをすっかり忘れていたのは不覚だった。
散々、週刊誌に撮られていた彼にとってはこんなキスくらい朝飯前、目くじら立てる意味すらわからないだろう。
しかし、平穏な日々を過ごしてきた香にとってみれば、これはスキャンダル極まりない。
東城の娘として恥をさらしてしまったことになる。
あぁ、お父様がこれを見たら…。

「副社長にとってはキスくらいどうってことないかもしれませんが、私にとっては大問題です。さっきから皆に好奇の目で見られているというのに」

ふと『これで、君とは今まで通りの良好な関係に戻れるわけだ』佐脇の言葉を思い出した。
こんなことになって、良好もなにもない。
どころか、不信感が増しただけではないか?

「これ以上、騒ぎが大きくなるようでしたら、副社長の秘書という職を辞さなければならないことになりますね」

最後の切り札を出された佐脇は返す言葉が見つからなかった。
彼女にはジョークは通用しない、恐らく本気で言っているのだ。
もしも、そんなことになったら社長に合わせる顔がない。

「何もそこまで。行き過ぎた行為だったことは認める。だけど、副社長として参加する初めてのイベントを盛り上げたかったんだ。本当はミスター東城に出たかったのに役員はダメだというから」

以前、『君が出るなら当然、俺も出る方がいいだろう?いずれ、東城の顔になる二人なんだから』と言っていたが、そんなことで今回のキス事件を巻き起こしたというのだろうか?
彼の魂胆はわかっている。
やはり、東城が欲しいのだ。
二人が親密な関係だとアピールして、父に取り入ろうとしているのかもしれない。
思えば、あの週刊誌の件だって、偶然を装った巧妙な罠だったのでは…。
考えれば考えるほど、全てが偽りに思えてならなかった。

「今すぐ、広報課へ画像掲載を止めるように言って下さい。併せて、私は今年のミス東城への出場を辞退させていただきます」

「失礼します」香はそれだけ言うと、何か言いたそうな彼を無視して部屋を出て行った。



「香さん、ミス東城の出場を辞退したって本当?」

ショックを隠しきれない吉崎は、香に何とか思い直すよう言葉を探していたが、どれも説得力に欠けるものばかりだった。
彼女が出なければ、例年にない盛り上がりが一気にしぼんでしまう。
それにあの画像も下げられてしまってがっかりだ。
あんなに素敵な二人なのに。
社員の誰もがプリンスとプリンセスの恋を羨望の眼差しで見つめていただけに残念でならなかった。
今までの副社長の派手な女性関係を知れば、誰だって警戒するに決まっているし、雑誌の記事にあったこの東城を手に入れるために彼女に近付いているという事実も否定できないのは確か。
でも、本当にそうなのだろうか?
あの日、副社長が大事な会議をわざわざエスコート役を買って出るために次の日に延期したとは思えない。
純粋に他の男性にエスコートさせるのが許せなかったからではないのだろうか。
どうしても、未来の社長とお嬢様の恋を正当化してしまいたい。

「これで、いいんですよ」

『これで』香は自分に言い聞かせるように言う。
あとは、今まで通りの関係に戻ればいい。
副社長と秘書の関係に。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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