偽りの向こうに
3


さっきから、時計ばかり見ている香。
全然針が進んでいないように思えて、まるで時を刻む速度が10倍遅くなったような気がしてならなかった。

「お先に失礼するわね」
「お疲れ様です」

『吉崎さんも一緒に』と言葉が出掛けたが、それも虚しく彼女はいそいそと帰って行ってしまった。
もっと早くあの週刊誌を見ていたら、香は食事の誘いなど受けはしなかっただろう。
この後、彼とどう接したらいいのか。

「どうした?まだ、仕事が残ってるのか?」

またしても、考え事をしていた彼女を覗きこむようにして見ている佐脇。
あまりに顔が近くて、思わず香は椅子を引いた。

「いえ」
「だったら、早く帰る支度して。昼も食べ損なって腹ペコなんだよ」

「そこで待ってるから」佐脇はさっさと出て行ってしまった。
さっきまで、あんなに時が経つのが遅いと思っていたのに、いつの間にか約束の時間を過ぎている。
香は急いで帰り支度を済ませて出ると、佐脇が壁に寄り掛かって待っていた。
思わず見とれてしまうほど、その姿は様になっていた。

「すみません、遅くなりまして」
「行こうか」

エレベーターを待っている間も乗り込んだ後も沈黙のまま、お互い何を話していいかわからなかったというのが正しいだろう。
プレイボーイでならしている佐脇でさえも、彼女に対しては今までのテクニックは通用しないと思っていたし、まずは信頼を勝ち得ないとならないのだから。
外に待たせていた公用車に乗ると、向かった先は五つ星ホテルの最上階にあるフランス料理の名店だった。
香も何度か利用したことがある高級店だ。
二人の顔を知っているギャルソンが案内したのは、この店でも一番の絶景が見える席。
テーブルの角を挟んで座ると前面ガラス張りの向こうには綺麗な夜景が一面に広がっていたが、それをゆっくり味わう余裕もないほど香りの心境は複雑だった。
自分の立場は誰よりも理解していたつもりだったが、今朝会ったばかりの男性が将来を共にする相手かもしれないなんて。

「随分、おとなしいんだな」

不意に声を掛けられて、反射的に顔を向けると彼と目が合った。
こんなに近くにいたのかと慌てて視線を窓の外へ泳がせたが、おとなしいなどとは今朝のことを言っているの違いない。
噛み付いたのは、人をまるで男性なら誰でも媚を売る女のような言い方をしたからであって。
本当はとてもおしゃべりなのだが、彼の前ではしゃぐつもりはない。

「これが普通です」
「そうか」

それだけ言うとメニューに視線を落とす。
余計なことを聞かれない方がずっといい。
つまらない相手だと思ってくれたら。
そんなことで諦めるような人でないことはわかっている。
東城を手に入れるためなら、何だってする男に違いないからだ。

「決めたのか?」
「え?」

メニューのことなどすっかり頭になかったが、せっかく美味しいものをいただけるのなら、その機会を逃す手はない。

「このコースにします」

適当に指差したメニューを順に見ていくと…。
これはまた随分と値の張るものを頼んでしまったが、副社長ともなればこれくらいなんてことはないはず。

「このコースを二人分」

オーダーを取りにきたギャルソンに伝えると、ワインリストから香も聞いたことがある高価な銘柄のシャンパンを追加した。
何かのお祝いでもないのにこんなに贅沢をしてもいいのだろうか?少しの間、また沈黙が訪れた。

佐脇 健介、32歳 独身。
両親は共働きという家庭に2人兄弟の長男として生まれ、生活は決して楽とはいえない環境にいたようだが、小さい時から勉強もスポーツも良くでき、両親のいない間は弟の面倒もみていたそうで、将来はかなり有望視されていたようだ。
奨学金を得て、大学を主席で卒業すると一流企業に就職したが、学生時代から始めていた株の運用で儲けた資金を元に起業したと、さっき見た週刊誌には書いてあった。
モデルや俳優になってもおかしくないほどの容姿、実際モデルのオファーは来ていたようだが、その気はないと頑なに断っていたらしい。
知らなかっただけで、相当女性関係も派手だったということ。
誰の力も借りずにここまでやってきた男は、とうとう東城を手に入れようとしていたのだ。
はっと我に返ると、目の前のグラスに注がれたゴールドのシャンパンがキラキラと輝いていた。

「どこか遠くに行っていたようだな」

グラスを持った彼が微笑んでいた。
ずっと見られていたのかもしれない。
変な顔をしていなかったか急に不安になったが、動じないように香もグラスを持った。
お互い何も言わず、ただグラスを近付けただけの素っ気ない乾杯。
シャンパンは焼けるように喉をきゅっと締め付けたが、その後は体が宙に浮いたように軽い。

「君のことを聞かせて欲しい。好きな食べ物とか、趣味とか」

意外な質問に危うく指でいじっていたグラスを倒しそうになった。
私のことを知りたいですって?
形式だとわかっているが、既に父から根掘り葉掘り聞かされているとばかり思っていた。

「父、社長から聞いていると思ってました」

初めに置かれたガラス皿の中央には我が物顔でフォアグラが鎮座していたが、実をいうと香はこれが苦手だった。
自分で選んでしまった以上食べないわけにもいかないので、適当にフォークでつつくと一口毎にシャンパンで流し込む。

「何も。本人から直接聞こうと思っていたし」

社長はあれやこれや娘のことを話したがったが、前もって聞いてしまうと先入観が…聞かなくても今までの経験から勝手に思い込んで失態を犯したが。
何気なく左頬に手を触れると、あの時の彼女の姿が鮮明に蘇る。

「副社長は私のことを知ってどうするんでしょう?
「これから仕事をしていく上でお互いを知ることは大事だよ」

それが仕事の上だけの話なら、そう口から出掛けたが、シャンパンで押し流した。

「でしたら、副社長のことを話して下さい」
「何から聞きたい?」

ニヤッとした表情を浮かべ、佐脇は空になった皿にフォークとナイフを並べて置いた。
そして、食事中だったが指を組んでテーブルの上で肘を突くと顎を載せてじっと見つめる。

父から何を言われているの?
週刊誌に書いてあったことは本当なの?
聞きたいことは山ほどあったが、どれも空を切って消えていく。
真実を知りたいのに知るのは怖い。
でも、一番聞きたいのは───。

私のことをどう思ったの?


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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