偽りの向こうに
4


「付き合っている女性(ひと)はいるんですか?」

はっ、自分でも言ってしまってからなんてことを口走ったのかと後悔してももう遅い。
ニヤニヤ顔が余計に緩んだのがわかったが、ここでひるんでしまっては彼に付け込まれるだけ。
酔った勢いなら何でも聞ける。

「いきなり、聞かれるとは思わなかったな」

二皿目に出されたのはオマールエビやホタテ貝をふんだんに使ったサラダ仕立て、これでもかとキャビアがのっている。
これは、香の大好きなものばかり。
質問したことなどすっかり忘れてフォークとナイフを持つと無言で食べ始めた。

「おいおい、俺のことはいいのか?」

全く聞いてないし…。
さっきのフォアグラはあまり好きそうではなかったが、エビやホタテには目がないらしい。
こんな些細なことでも彼女のことを知ることができて、こんなにも嬉しく思えるとは。
佐脇には驚きだった。

「副社長は食べないんですか?お腹空いているんじゃ。お昼も抜いたと言ってましたが」

「このエビ、すごく美味しいですよ?」余程気に入ったのか、既に食べ終えようとしていた。
かなり華奢な体つきをしているのに見事な食べっぷりだ。
こういう女性は嫌いじゃない、むしろその逆で、返って気持ちがいい。

「特定の女性とは付き合っていない」

食べるのに夢中になって何の話をしていたのかすっかり忘れていたが、そうだった、彼に付き合っている女性がいるのかと聞いたのだった。
しかし、この言い方は特定の女性はいなくても、その他大勢の女性はいると聞こえる。
週刊誌に書いてあったことは、あながち否定しないということね。

「軽い付き合いの女性は、たくさんいるということですね」
「随分な言われようだな。ま、否定はしないが」

しなさいよ。
少しくらい、否定したっていいじゃない。
こんな女っタラシの男が東城を継いで、いずれ、私はこの男の子供を産まなければいけないかもしれないのに…。
愛人を認めるような妻には絶対になりたくない。

「言っとくが、本命が現れれば話は別だ。俺はいい夫いい父親になる覚悟も自信もある」
「随分と都合のいい話ですね。口ではなんとでも言えます。急に変われるなんて信じられませんけど」

そんな虫のいい話を誰が信じるものですか。
本命が現れればって、社長の座に就くためにはこの私と結婚するしかないというのに?
香はソムリエを呼ぶと適当な赤ワインを持ってきてもらうように頼む。
シャンパンは飲み口は良いが、酔いが回るのが早いから。

「そんなに飲んで大丈夫なのか?」
「ご心配なく。これでも酒豪で通ってますので」

ふっと笑みをこぼす佐脇。
お嬢様が酒豪というのはなんだか新鮮な響きに聞こえる。
他のお酒もいける口なのだろうか?今度は気兼ねなく飲み明かしてみたいと思った。
そして、愚かにも乱れる彼女を見てみたいと。

「そろそろ、俺にも質問させてくれないか?」
「どうぞ、なんなりと」

ソムリエが手際よくワインの栓を開けると、香の前にあったグラスに少しだけ注いで味を確かめさせた。
グラスを一巡させて香りを楽しんだ後に口に含むときりっとした酸味が料理の味を引き立ててくれそうだ。
二人のグラスに注がれた深紅のワイン、今度はどちらからともなくグラスを合わせた。

「俺のことをどう思う?」
「は!?」

汚い話したが、思わずワインを口から吹き出しそうになった。
白いテーブルクロスを真っ赤に染めないで良かった。
そんなことより、どう思うって…それは一体、どういう意味で言っているのだろうか?
彼の表情を見る限り、真意を読み取ることはできない。

「私が好意を持っているようには思えないでしょう?」
「確かに。だけど、少しは意識してるんじゃないのかな?」

あのねぇ、自惚れるのもいい加減にしなさいよ?
誰が、あなたみたいな男性(ひと)を意識したりなんかするもんですか。
第三の皿はパイに包まれている、ナイフを入れるとこれはサーモンだ。

「どこから、そういった言葉が出てくるんでしょう。私は副社長と今朝会ったばかりなんです。そんなふうに思ったりしません」
「そうかな?そういう君の態度が既に意識している証拠なんじゃないのかな」
「なっ」

なんですってっ。
妄想もいい加減にして、香はワインを一気に飲み干した。
こんなに飲んだのは久し振りで、頭がふわふわしてくる。

「図星かな?」
「仮に百歩譲ってそうだったとします。それで、副社長は何が嬉しいんでしょう?」
「そりゃ、嬉しいさ」
「私を誘惑すれば、東城を手に入れられるからですか?」

酔った勢いとはいえ、この件に触れるのはまだ早かった。
とはいっても、遅かれ早かれ知る運命にあったわけだし、自分の知らないところで人生を決められるのも不愉快だから。
さすがの彼も唐突な言葉に困っているように見える。
そっちこそ、図星だったじゃない。
香は心の中で毒づいた。

「心配しないで下さい。私は誰も裏切ったりしませんから。例え、あなたのような男性(ひと)でも東城のため父が選んだのであれば、私はそれに従うまでです」

香はあっという間に目の前の皿を綺麗に平らげた。
そんな彼女を見ていた佐脇は彼女の背負っているものの重大さを改めて思い知った。
自分のしてきたことに対して弁解をするつもりはないが、恐らく彼女は今までの女性遍歴について知っているに違いない。
そして、自分の立場も理解した上でこの状況を受け入れようとしている。
決して軽い気持ちで経営を引き受けようと考えたわけではないが、彼女のことを少し侮っていたかもしれない。

「君はそれでいいのか?」
「いいも何も、他にどうしろって言うんです?」

佐脇には返す言葉がなかった。
彼のような者から見れば何不自由なく育ってきたお嬢様にしか思えなかったが、強い意志と内に秘めた潔さには感服するしかない。
東城は今窮地に立たされていることは確かであって、このままいけば一族から経営は離れることになってしまうだろう。
だからこそ、彼女は自分が犠牲になることで守ろうとしているのだ。
そんなことをさせてもいいのだろうか?
メインディッシュは国産牛のフィレ、文句なしの味だったが佐脇にはそれすらも何も感じることができなかった。
彼女はそんな彼のことも気にせず、黙々とデザートまで綺麗に食べつくしていた。

「今夜はごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「それは良かった」

店を出ると二人きりのエレベーターは来る時と同じ、静まり返っていた。

「コーヒー」
「はい?」
「会社で入れてくれたコーヒー、美味しかったよ」

今頃と香は思ったが、なぜか何を褒められるより嬉しい気がした。

「ありがとうございます」
「あと」

言い掛けた時、エレベーターが止まって扉が開いた。

「俺は東城でなく、君の心が欲しい。必ず───」

パシャ、パシャパシャ

突然の光を浴びて、思わず手をかざして目を閉じた。
何が起こったの?

「記者だ!」

叫ぶと、佐脇が急いで香の腕を掴んで引き寄せ背後に囲う。
まさか、こんなところまで追い掛けて来るとは。
迂闊だったかもしれないが、それより今は彼女を守らなければ。

「そちらにいるのは東城 香さんですよね。やっぱり、佐脇さんとの結婚は本当なんですか?」

「東城の次期後継者は───」どこまでも執拗に追い掛けて来る記者が質問を投げかけてきたが、全てに答えず佐脇はただ彼女をかばって待っていた公用車に逃げ込んだ。


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