偽りの向こうに
5


数日して発売された週刊誌にあの日、佐脇と香がホテルのエレベーターの扉が開いた瞬間に撮影されたツーショット写真が大きく載った。
187cmの彼を見上げる彼女、それは誰が見ても恋をしている二人の視線が絡み合う姿だった。
そして、佐脇が香を気遣って盾になったことが、余計に親密さに拍車を掛けてしまったようだ。
というのも、今までの彼があまりに堂々としていたからに他ならない。
それだけ、彼女を大事に思っているのだと暗に知らせてしまったに等しいのだ。
ましてや場所はホテルである。
いくら食事をしただけと弁解しても、火に油を注ぐようなもの。
これではまるで芸能人のスクープのようだったが、それくらい彼の動向は注目されるものだったということになる。
しかし、当事者である香はそんなことになっているとは露知らず、社長の父と違い、一般社員同様に満員電車に揺られて通勤している者にとって否応なしに飛び込んでくる車内の中吊り広告に東城の名を見てぎょっとした。
だからといって、目の前にいるのが彼女だとわかる人はそうそういないというのに隠れるようにずっと顔を下に向けたまま、本社ビルに近付くにつれ周りの視線が突き刺さるのをじっと感じていた。
別にやましいことをしていたわけではないし、まだ彼が東城を継ぐと決まったわけでもない。
もちろん、香と結婚などという話は現状一言も出ていない、全ては憶測にすぎないのに当人の知らないところで噂だけが一人歩きしていた。

「おはようございます」
「おはよう、香さん。副社長がお呼びよ」

吉崎さんはあの件について、聞きたくてうずうずしているのが表情で感じられたが、今は副社長が呼んでいるということの方が気掛かりだった。
香は頷くと真っすぐ副社長室へは足を向けず、その前にコーヒーを入れに行く。
あの日以来、毎朝の日課になっていた。
写真を撮られる寸前に彼が美味しかったと言った一言を忘れることなど、できなかったから。
彼専用のカップの載ったトレーを持って、ドアをノックすると低い声が返ってきた。

「失礼します」

彼は椅子の背に深くもたれ天井を見つめていたが表情は心なしか暗い、それでもコーヒーの香りに誘われたのか反射的に彼女に視線を移動させた。

「ありがとう。後で頼もうと思っていたんだ」

香は『どういたしまして』と心の中で呟く。
佐脇はカップに口をつけると大きく息を吐いた。

「すまなかった。君にまで迷惑を掛けてしまって」

自身が何を書かれても構わないが、無関係の彼女のことまで、あれこれ詮索するのは佐脇にも我慢ならなかった。
とはいえ、身から出た錆と素行の悪さを呪わずにはいられない。

「副社長はあの、週刊誌を持っているんでしょうか?」
「お節介なヤツが何冊も持ってきた」

悪友達が発売早々に佐脇のところに週刊誌を持ってきたのだ。
ありがたいと思うべきなのかどうか。

「ちょっと見せていただいてもいいですか?」

「あぁ」佐脇が引き出しから出した例の週刊誌を受け取ると、香はトレーを左脇に挟んで興味深そうにページを捲っていく。
お目当ての記事は3ページにわたって掲載され、二人の写真と東城の次期後継者は彼に決まりだということ、世紀のプレイボーイも香ほどの女性を射止めたら影を潜めるだろうと書いてある。
逆玉だの、散々女性を弄んでおきながら最後は地位と名誉と令嬢を選んだ等々。
なるほど、あのツーショットからこれだけの記事が書けるものなのか。
妙に感心してしまう。

「別に気にしていませんから。ただ、社長にはきちんと説明した方がいいでしょうね。恐らく、まだこのことを知らないでしょうから」

香りも通勤途中の電車の中で知ったのだ、父が知るはずもない。

「そうだな。今からで───」

今からでも行って事情を説明しようと言おうとしたところへ、社長である香の父がノックもそこそこに部屋に入って来た。
もちろん、手には香りの持っているものと同じ週刊誌があった。

「お父様」「社長」

香と佐脇の声が重なった。

「やぁ、二人ともここにいたのかい。それなら話は早い」

「そうかそうか」一人頷きながら、ソファーにどっかと座る。
既に記事を読んだであろう父は怒る様子もなく、むしろ嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか?
するとすかさず佐脇は社長に向かって歩み出た。

「このようなことになってしまい、申し訳ありませんでした」

深々と頭を下げる。
副社長に就任早々、このようなゴシップ記事を書かれてしまうとは。

「いや、私は嬉しいよ。佐脇君と香が恋仲になっていたとはね」

ちょっと待って。
誰が恋仲?とツッコミたいところをグッと堪えて香は父を見つめた。

「婚約は早くした方がいい。この男は気が変わるのが早いからな。香もしっかり捕まえておくんだぞ」

おくんだぞって…。
お父様は何かものすごく勘違いしてません?
記事にかいてあるような親密な関係でもなんでもないのよ。
あの日はただ食事に行っただけで、それも私がこの人を引っ叩いたから仕方なく誘いを受ける羽目に。
変なことにならないうちにきちんと真実をここで伝えなければ。

「お父様、いい?よく聞いてね。ここに書いてあることは全部嘘なの。私は副社長の秘書というだけ、それ以上でもそれ以下でもないわ」

娘の言うことなら、父は信じてくれるはず。
いずれ、彼との結婚が本格化することは香にも避けられない事実であると理解はしているつもりだった。
ただ、こんな形で父に気を持たせるようなことはしたくなかったのだ。

「照れなくてもいいだろう?誰が見たって、お前たちは相思相愛のカップルじゃないか」

父は写真を指さして勝ち誇ったように言う。
確かにそう見えなくもないけれど、それは背の高い彼を見上げているから傍からはそんなふうに見えるだけ。

「社長、香さんの言う通りです。私たちはまだ。この写真を撮られた日も、仕事を進める上でお互いを知るために食事に行っただけですから。婚約とかそういう話にはならないと思います」

ずっと沈黙を守っていた佐脇が口を開いた。

「そうか、私はてっきり」

落胆している父を見るのはしのびない。
自分が男に生まれていれば、こんな思いはさせずに済んだかもしれないのに。
だからこそ、覚悟を決めて例え理不尽な結び付きでも受け入れなければならない。

「社長のご期待に副えずに申し訳ありません。ですが、私はこのような形ではなく、香さんにとって特別な存在になりたいと思っています。そうなれるよう、全力を尽くすつもりです」

それは男として特別な存在になろうと言っているのだろうか?
『俺は東城でなく、君の心が欲しい。必ず───』
香はエレベーターの中で彼が言った言葉を思い出した。
必ず、その先は何を言おうとしていたのだろうか。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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