偽りの向こうに
6


「どうも、胡散臭いのよね」

『あの男』香はデスクでパソコンに向かい、佐脇に頼まれた書類を作成しながらブツブツと呟いた。
『香さんにとって特別な存在になりたいと思っています。そうなれるよう、全力を尽くすつもりです』なんて、お父様の前だからあんなカッコ付けたことを言ったに決まってる。
いくら東城を手に入れるためだからって、あそこまで心にもないことをよく言えたものだと香は思った。
さすが、別の意味で只者ではないと感心する
だいたい、お父様もお父様よ、たとえどんなに彼が優れた経営手腕を持っていようと記者に追い掛けられるような、あんな女っタラシの男を自分の後継者に、ましてや大事な一人娘とよくもまぁ恋仲などと言えたものだ。
東城を継がなければならない使命は背負っているが、容姿はともかくもう少し誠実な相手を選んで欲しかった。
大きくため息を吐くと目の前にカップが置かれた。
紅茶のいい香りが尖った神経を和らげてくれた。

「そんなに根詰めてやると良くないわよ。少し休憩したら?」
「ありがとうございます」

吉崎はどこからか椅子を引いて来て、香の隣に座った。
彼女の手にも湯気をたてている紅茶が入ったカップがあった。

「胡散臭いって、佐脇副社長のこと?」

「ごめんね、聞こえちゃった」吉崎は苦笑する。
彼女はついこの間、30歳になった日に入籍したばかりの新婚さん。
5歳年下の香は入社当時から面倒をみてもらっていたし、私生活の上でも姉のような存在の良き相談相手だった。

「香さんと副社長の関係って」

プライベートな問題に口を挟むのはどうかと思ったが、香のことだから大事なことは全部自分で抱え込み、そして自身の感情を抑え込んでしまうのではないかと心配だったからだ。

「ただの副社長と秘書ですよ。週刊誌に書かれているような親密な関係には」
「まだ、なってない?」

まだという前置きが引っ掛かったが「はい」と頷いて、香はカップに口をつけた。
喉を熱いものが通り過ぎて、体が一瞬カーッとなった。

「父は何も言いませんが、副社長に東城を継がせようと思ってるみたいです。彼はそれを承知の上で」

一呼吸置くと唇の端を上げる。

「それとなく、私を丸め込もうとしてるのが見え見えで」
「なるほど。男を知らない香さんが、あんなフェロモンむんむんの副社長に言い寄られたら、どうしていいかわからないってわけね」
「ち、違いますって。っていうか、男を知らないってなんですか!!」
「だって、本当のことでしょう?」

しれっという吉崎に香は自分のことを何でも話すんじゃなかったと後悔したが、反応して赤く火照った頬が余計に腹立たしくもあった。

「男を知る上で、佐脇副社長なら文句なしよね」

最高にセクシーな彼なら香を極上の恋に導いてくれるだろう。
それに吉崎は彼が単に東城が欲しいから香との関係を取り繕おうとしているのではないような気がしてならなかった。
確かに今までの彼の行動からは女性と本気で付き合おうとしていないことは明白だったが、今回の週刊誌に載った写真には隠された本心が現れていたように思えてならなかった。
だからといって、この聡明で美しい女性を不幸せにするようなことがあってはならないけれど。

「吉崎さん、冗談言ってる場合じゃ」
「そうよ。香さんだって、このまま家のために理不尽な結婚なんて嫌でしょ?だったら、副社長をとことんその気にさせるの。既に彼は香さんのことを意識してるとは思うんだけど」
「どうやって?」

どうやって、あの副社長に。
そんなことをする前に香の方が彼の魅力に屈してしまいそうだというのに。

「香さんは今でも十分綺麗なんだけど、もっと女に磨きを掛けて男を誘惑するのよ」
「えっ、誘惑って…」
「今夜、作戦を練りましょう」

吉崎は興奮気味にそう言って時計を見るなり、かなり長い間席を外していたことに慌てて自分の持ち場へ戻って行った。



吉崎と香は定時になると早々にオフィスを後にして、吉崎のお勧めというイタリアンのお店に足を運んだ。
新婚だというのに旦那さんの夕食の支度はいいの?と香は思ったが、「いいのいいの、どうせ毎晩遅いんだから」と全く気にしていない様子。
人気の店内はモダンなインテリアで若い女性やカップルたちで賑わっていた。
オープンキッチンの奥にはピザを焼く本格的な石窯も見える。
大学生のアルバイトなのだろうか?二人は長身で今時のイケメン君に案内されて壁際の席に座った。

「ワイン、ボトルで頼んじゃう?」

吉崎は何を企んでいるのか、楽しそうにワインリストとにらめっこしている。
副社長と行った高級レストランとは全然違うが、こっちの世界の方が香には合っているとふと思った。
本日のパスタとピザ、オリジナルのサラダにトスカーナの赤ワインを注文した。

「来月は、うちの会社の創立記念パーティーがあるじゃない?今年はミス東城に香さんが出てみたらと思ってるの」

ミス東城とは、推薦した女性社員の中から事前の投票とパーティー当日の役員たちの投票を合わせて決める一大イベントである。
社長の単なる好みで数年前から始まったのだが、これがまたみんなの密かな楽しみでもあった。
香は毎年推薦されてはいたものの、父が決めたこととはいえ、人を値踏みするような企画にはとうてい賛同できずに丁寧に辞退していたのだ。

「私はいいですよ。そういうの好きじゃないですから」

さっきのイケメン君がにっこり微笑んでグラスをテーブルに置くとホテルのギャルソンさながらにワインを注ぐ。
吉崎はその笑みに応えていたが、香にはどうしてもそういうことはできそうになかった。
彼が去るとグラスを合わせて乾杯する。
決して高くないワインなのになかなかの美味だ。

「毎年断ってるのは知ってるけど、香さんが出ればミス東城に選ばれるのは確実。そうなれば、副社長だって黙ってられるはずないんだから」

ミスだけでは世の中の風当たりも強いからと、このイベントでは去年からミスター東城も同時に選び、二人は来年度の東城の顔となる。
社内報に載せる記事の取材に行ったり、会社のパンフレットの表紙を飾ったり、広報的な役割も大きかった。

「もし香さんとミスター東城が並んでいるところを見れば、副社長も平気ではいられないでしょ?」

役員は出場することができない決まりになっているため、佐脇がミスター東城になることはない。
となれば、香と別の男性が彼女と少なからず行動を共にすることになるのだ。
ただし、ミス東城に選ばれたらの話だが。

「副社長がそれくらいのことで動揺するとは思えないし、だいいち私がミスに選ばれるとは限らないのに?」

香は次に置かれたサラダをお皿に取り分けて彼女へ渡す。
ミスに選ばれる保証もないし、たとえ選ばれたとしても、そんなことで佐脇が何かを感じるとは到底思えなかった。

「選ばれるわよ。そのために女を磨くんじゃないの。そして、男を次々誘惑する悪女に変身するのよ」

「あぁ〜楽しみになってきた」吉崎は身震いしながらワインのグラスを一気に空けた。
そんな彼女を見ながら、香はなんだか大変なことになってきたと心穏やかではいられなかった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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