いきなりパッケージデザインを押し付けられた奈津だったが、落ち着いてもう一度依頼内容を確認する。
このブランドは20代〜30代の女性をターゲットにしたトータルファッションブランドで、バックやアクセサリーを中心にウェア、シューズなど絶大な人気を誇っている。
奈津もこのブランドのファンでよくショップを覗いているが、まさか自分がデザインすることになろうとは…。
今回デザインするのは、ペーパーバックやギフト用ボックスなどといったもので、ブランドロゴやカラーは現状のものをそのまま流用するとのことだったが、配置などは自由に変えていい
ブランドのイメージは崩さず、外形だけを一新させたいという点では少々気は楽というところはあるが、如月 裕二がデザインしたとなれば話は別。
というか、これは彼がデザインすることに意味があるのであって、それを奈津が代わりにしてしまってもいいのだろうか?
「如月さんは勝手にあんなことを言っていたけど、仮にこれを私がデザインしたとしてよ?相手は納得するのかしら?」
「裕二さんがああ言うんですから、僕は大丈夫だと思います。だって、今まで自分以外の人にデザインさせたことがないんですよ?それを初めて会ったばかりの奈津さんに頼んだんです。自信持って下さい」
「うん…」
如月さんは、私のことをどこまで知っているのだろう?
古谷さんとの間で、どういう話をしたのか。
もしかして、試しているのかもしれないし…。
そうだとたら、これでここにいられるかどうかが決まっちゃうわけ?!
それって責任重大じゃない…もう、行くところなんてないし…。
荷が重い奈津だったが、よく考えてみればこんなチャンスはないのだ。
認められれば、世に自分の名前が出る可能性だってあるのだから。
「早く、奈津さんのデザインした物を見てみたいです」
「なんか、プレッシャーを感じるわね」
◇
如月が事務所に戻って来たのは、それから小一時間ほどしてからだろうか?
「さっぱりしたぁ」と言う彼は、すっかり無精髭も剃られ、本当に綺麗さっぱりという様子。
大智にコーヒーを入れるように頼むと空いていた椅子に、背を前にして跨ぐようにして座る。
見れば見るほど綺麗な頼立ちをしていて体の線も細く、ヴィジュアル系バンドなんてピッタリ〜などと、奈津は感心してる場合じゃない。
今週中にパッケージのデザインをしなければならないのだから。
「あの、如月さん。さっきの話なんですけど」
「ん?さっきの話?」
また、忘れたんじゃないでしょうねえ。
どうも微妙な返答をする彼が、気になるのだが…。
「これを私がやってもいいんでしょうか。依頼元は、如月さんにデザインして欲しいのでは…」
「誰がデザインしても、相手がいいって言えばいいと思うけど」
「はぁ」
それはそうなのだが、はっきり言って奈津にはそこまでの自信が持てないのだ。
自分に才能があるとも思えないし、世に名前を売ろうという気も、実のところそんなにあるわけじゃない。
ただ、デザインするのが好きでほんの少しでも携われればいい、そんなふうに思ったから。
「なら、試しに俺もやるからさ。二人がデザインしたものを相手に見てもらって、判断してもらえば?」
「え?」
それなら、奈津に頼まずとも、初めから如月がデザインすればいいのではないか?
比較されて、コテンバンに言われるくらいなら、自分は何もしない方がいい。
「だったら、既に私がやる必要はないような気がしますが」
「元の言っていた通りだな」
コーヒーを入れて持ってきた大智からカップを受取ると、如月はそれをロにして大きく息を吐いた。
見れば、彼はブラック党のようだ。
「それは、どういう意味でしょうか?」
「欲がない」
如月はカップをテーブルの上に置くと真剣な眼差しで奈津を見つめる。
その目はまるで奈津の胸の内をも見透かしているように思えて、思わず目を逸らしてしまった。
『奈津ちゃん、もっと貪欲にならないと』
これは、前に古谷に言われた言葉である。
その他大勢の中の1人ではなく、小町 奈津として一歩踏み出すには、もっと自分を出さなければならないことはわかっているが、本人の性格と違ってデザインに関してはどうも奥手のようだった。
「言われなくても、わかってます」
わかってますよ、そんなこと…。
「だったら、つべこべ言わずにやる。ここでは、任せは通用しないんだ。俺1人に頼ってたら、こんなちっぽけな事務所なんて、この先どうなるかわからないしな」
「はぁ」
なんだか段々現実的な話になってきて…今は彼氏だっていないし、結婚だってこの先できるかどうかわからわからないのに…。
今、仕事を失ったら、どうやって食べていけばいいのよ。
「それと大智を使ってもいいが、最終的には1人でやること。あと言っとくけど、俺に負けるようなことになれば今月の給料はなしだな」
「えぇっ、それは困ります」
お給料がもらえなかったら、アパートの家賃だって払えない。
まぁ、一応退職金はもらったけど、微々たるものだったし、貯金もそんなにあるわけじゃない。
それこそ、彼じゃないが、この事務所に寝泊りしなければならない羽目に…。
「当たり前だろ。働かないやつに給料はやらない。あれ?元に聞いてなかったか?」
「聞いてませんよぉ」
そんな話、聞いてないわよ。
あぁ〜古谷さんったら、どうしてこんなところに私を追いやったのよ…。
尊敬する元上司を恨んでも仕方がないが、これじゃあ先が思いやられる。
奈津はどうすればいいのか、わからなくなった。
+++
この事務所は9時から5時半までが勤務時間になっていたが、その通りに働いているのは大智だけで、如月はというと朝と夜が逆転しているようだ。
彼のエンジンが掛かり始めたのは既に定時と呼ばれる時間近くなってからだったのと、奈津も大変な役を引き受けることになってしまったので、帰るに帰れない。
「あぁ〜あ、何で如月さんと勝負なんてことになっちゃったかな」
「どうぞ、これでも飲んで休憩して下さい」とコーヒーを持って来てくれた大智に向かって、つい愚痴ってしまう奈津。
何も言わずに引き受けておいた方が良かったんじゃないか…。
そんなふうに思っても、もう遅い。
「でも、僕はすっごい楽しみです。裕二さんと奈津さんの対決」
「もうっ、大智君ったら、他人事だと思って。初めから勝負はついたも同然なのに…」
弱気な発言がいけないこともわかっているが、どうひっくり返ってもあの如月 裕二に勝てるはずがない。
そして、彼は絶対に手を抜かないはずだ。
「そんなことないですよ。決めるのは、依頼人です。必ずしも、裕二さんが勝つとは限りませんし。とにかく、頑張りましょう。奈津さんの今月のお給料が掛かってるんですからね」
「そうだった…」
奈津にとっては、如月 裕二に勝つとか負ける以前に給料をもらえるかどうかの瀬戸際なんだということをすっかり忘れていた。
「僕は裕二さんを尊敬していますが、今回だけは奈津さんを応援します。ほんの少しでもお手伝いできて、嬉しいです」
如月に憧れて、このデザイン事務所に押しかけたと言っていた大智。
側にいられるだけでいいと言っていた彼だって、いつかは如月の手伝いがしたいとポロッと本音を漏らしていた。
自分は何のためにここへ来たのか、それを考えたら甘えている場合じゃないはず。
恵まれ過ぎるくらい恵まれているのだから。
◇
「大智くん、もう帰っていいわよ?」
時刻は夜の10時を回ったろころ。
今日ここへ来たばかりとは思えないほど、時間が経っているような気がする。
「いえ、楽しくって。帰って寝るのは、もったいないくらいです。終電までは、頑張ります」
大智には奈津が思いついたボックスの構造について考えてもらっていたが、ずっと雑用ばかりしていた彼にとっては楽しくて仕方がなかったのだろう。
―――私1人だったら、無理だったな。
夢に向かって頑張っている彼を見ていると、自分もそうだったんだと思い出させてくれるような気がした。
「じゃあ、私も終電まで頑張る。ところで、如月さんは部屋から一歩も出て来ないんだけど」
朝、ソファーで寝ていた部屋に引きこもったっきり、一歩も出て来ない。
奈津と大智で夕飯の代わりにとコンビニまで買いに行ったが、それも受け取っただけですぐに部屋に入ってしまったから、ちゃんと食べたのかどうかもわからないし。
「入り込んじゃってる時は、部屋から出て来ないですよ。また、今夜も徹夜ですね」
「あれで、体を壊さないのかしら?」
「僕も心配なんですよ」と話す大智だったが、そう言えば如月さんは結婚しているのだろうか?
ここに寝泊りしているところ見ると、あまり家庭というものを感じないが。
―――今は、そんなことを考えている場合じゃなかったわね。
もう一頑張り、時間がないのだから。
+++
如月のことを心配していながら、最後は自分が徹夜する羽目になった奈津。
ここまで全てを傾けて何かをしたことが、あっただろうか?
好きなデザインの仕事だったけれど、やった気になっていただけで、本当は本気で取り組んでいなかったのかもしれないと。
「まだ、いたのか?」
「あっ、如月さん。いよいよ明日だと思ったら、寝てもいられなくて。コーヒーなら、私が入れますよ」
大智は先に帰ってしまっていたから奈津はコーヒーを入れに席を立つと、入れ替わるようにして如月が椅子に腰掛ける。
ここ数日間、如月はずっと部屋に籠もりっきりだったから、こうやって話すのも久し振りのような気がしていた。
そして、明日はいよいよ依頼元にデザインしたものを見せ、如月のものか奈津のものか、どちらかを選ぶか判定が下る。
「どうぞ」
「ありがとう」
彼の隣の椅子に座る奈津。
これ以上会話が続かなくて、静寂だけが二人を包み込む。
それは決して居心地が悪いわけではない、むしろその反対だったかもしれない。
「あの、古谷さんはどうして私を如月さんのところへ行かせたんでしょう?」
古谷に聞いた時には『なんとなく』などと言われて、そんなのアリ?と思ったが、実際のところはどうなのか。
誰も雇ったことのない人のところへいくら幼馴染みとはいっても行かせたりしないだろうし、だいいち奈津本人にはとてもずば抜けた才能があるとは思えなかったから。
「元は、自分のところに置いていても、せっかくいいものを持ってるのに影に隠れて出せないからって。あんたの全てを最大限に引き出せるのは、俺しかいないってさ。大げさなんだよ」
古谷は、奈津を自分の下に置いていても伸ばせないと思った。
素晴らしいものを持っている、それは初めからわかっていたのだが、このままでは影に隠れて埋もれてしまうだけ。
だから、如月のところへ行かせることにしたのだ。
そして、もう一つ…。
「私は古谷さんが思うほど、素晴らしい才能があるわけじゃないんです」
「あんた、それだからダメなんだよ。何でも初めから諦めるタイプだろ?恋でも仕事でも」
如月は、いつも奈津の核心を突いてくる。
仕事に関しては古谷に聞いていることもあるだろうし、ここ数日一緒にいてわかっているかもしれないが、恋のことまで。
好きな相手でも自分のことなんてきっと嫌いなんだと、気持ちを伝える前に諦めてしまう。
だから、上手くいかないことも。
「恋は、余計です」
「そっちも頼まれてんだよ」
「えっ?頼まれてるって」
―――そっちも頼まれてるって、どういうことよ。
如月の言っている意味が、奈津にはさっぱり理解できない。
「恋の指導も、ヨロシクってな」
「なっ、何ですか?それっ」
「だ・か・ら・こういうことだよ」
不意に重なる唇。
―――んっ、なっ何なの?!
意味わかんない…。
後頭部を如月の大きな手にしっかり押さえられて、奈津は自分の手で彼の胸を突くが、すぐにもう一方の手でそれも押さえられてしまう。
初めは抵抗していた奈津も段々と体の力が抜けて、彼に応えるように唇を合わせた。
―――なんて、心地いいくちづけなんだろう…。
こんなの初めて…。
「そう、いい子だ」
囁くように言われ、唇が離れると名残惜しいとさえ思ってしまう。
ねだるような表情をするとそれが伝わったのか、彼は再び甘いくちづけを奈津に降り注いだ。
「如月さん」
「俺は例え元に頼まれたとしても、自分が認めた人間しか雇わないし、好きでもない子にキスはしない」
―――すごい、口説き文句。
至近距離に彼の顔があって、こんなことを言われたら誰だって堕ちるに決まってる。
「何も言わなくていい。これから俺が、ゆっくり指導していくから」
事務所は、いつまでも灯りが点いたままだった。
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