「よっ」
「あぁ、栗林君」
「何、たそがれてんだよ」という彼の一言で、余計に落ち込んでしまう律花。
―――やっぱり、そう見えるのかな。
栗林は律花と同期入社して10年、身長175cmくらい、営業らしく短く刈られた髪は地のままの黒で、細身のスーツに身を纏ったその姿は一際目を引く。
ネクタイのセンスもいいと女子社員の噂を耳にすることは度々だったが、自分で選んでいるのか、それとも彼女なのかというあたりは残念ながら不明。
現在は、花形部署でもある営業第二部の部長である。
毎週火曜日は恒例のリーダー会議があるから週一回は彼と顔を合わせることになるのだが、周りも段々と同期が占めるようになってきて心強い反面、独身でいる自分は少し肩身も狭かったり。
本部長が30分ほど遅れるとの連絡があったので、律花は席を立つと一人会謙室を出てフロア一面に広がるガラス窓から外の景色を見ていたのだった。
そんな通常なら既に始まっている時刻にのこのこと現れた栗林には、言われたくない言葉である。
「失礼ね。たそがれてるなんて、乙女に向かっていう言葉じゃないでしょ?」
『悩み事でもあるのか?』とか、『体調悪いのか?』とか、心配するって気持ちが、あなたにはないわけ?
「乙女って、柄でもないだろ?」
「うわぁっ。栗林君って、顔に似合わずきっつーいこと言うわよね。すっごい傷ついた、もう立ち直れないかも」
大げさに胸を押さえる律花に「嘘つけ。そんなやつがチーフになんぞ、ならんだろ」と、呆れたように言う栗林。
二人が会えばいつもこんな会話が飛び交う、きのおけない仲間。
そして、独身なのは律花だけではなく、この栗林だってそう。
それなりに色々噂は絶えないが、女性と違って男性は30過ぎたばかりなら、まだまだこれから相手を見つけても遅くはない。
仕事の上では同じレールを走ることは出来ても、こういうところは不公平だなと男性を羨ましく思わずにはいられない。
「で、たそがれていた理由は何なんだ?仕事か?あんまり、根詰めてやるなよ」
仕事のことだと思われているところからして、既にそういう目でしか見られていないということ。
―――やっぱり、私は仕事に生きる女なのかしら。
はぁ…。
律花がたそがれていた理由(わけ)は、言わずと知れた綴(つづり)とのことである。
同じ部署で、それも目と鼻の先に席があってお互いの存在を意識しないようにするのがこんなにも大変なことだったとは…。
彼はまだ25歳、インターネット部門には若い人達もたくさんいるし、特に綺麗顔で人気があるだけに女性からの誘いが後を絶たないことも。
別に細かく観察しているわけではないが、嫌でも見えてしまうし、聞こえてしまうのだから仕方がない。
そんな時に決まって思うのは、7歳も年上の自分のような女が彼女でいいのかと…。
そもそも告白してきたのは彼の方だし、律花だって初めにきちんと確認している。
承知の上で付き合っているわけだけど、街で見掛ける若いカップルと自分達を重ね合わせては凹んでしまう。
本気で好きになってしまった今、一生埋まらない距離がもどかしい。
「お蔭様で仕事は順調。有能な部下が来てくれたから」
「来てくれたじゃなくて、掻っ攫っただろ?谷野のせいで、俺は大変な目に遭ってるんだからな」
そうだった。
実を言うと綴(つづり)は元営業第二部所属、それを律花が足繁く通い詰め、押しの一手で彼を獲得してきたという経緯があったのをすっかり忘れていた。
その当時、まだ課長だった栗林には直接的な関係はなかったものの、部長となった今ではその穴埋めが大変だったのだ。
「それはそれは、ご愁傷様」とペ口っと舌を出す律花。
「ったく。そんな顔で言われたらなぁ、憎めないだろうがっ」
前営業第二部長も律花のこれに騙された?!いや、律花の手に掛かれば、誰だって『うん』と言ってしまうに違いない。
デキル女と思わせておきながら、駆け引きが非常に上手い。
媚を売っているわけでもなく、かといって裏もない。
これは、持って生まれた才能なのだと栗林は思った。
もちろん、前部長だってそれだけで有能な人材を簡単には手放したりはしない。
彼の将来を考えた上での人事異動だったということだけは、間違いないということ。
「ほんと助かってるのよね、彼が来てくれて。栗林君のところには迷惑掛けちゃって、悪いとは思ってるんだけど」
「そっちが大変だってことは、知ってたからな。あいつの将来を考えても、これで良かったと俺は思う。谷野にとっても、そうなんだろ?言っとくけど、これは仕事の話じゃないからな」
「えっ?」
―――仕事の話じゃないって、どういうこと?
え…うそ…まさか、私と彼のこと…。
「恋する女は綺麗になるって、本当なんだな。たださぁ、悔しいのは何でその相手が俺じゃないんだよ」
そう栗林が言い終わるか終わらないうちに本部長の登場で、二人は周りにいた人達と共に慌てて会議室へと雪崩れ込んだ。
+++
『律花さん、ずっと席にいないけど…』
一日何回、彼女の席に目を向けるだろうか…。
行き先明示板には、第一会議室と書いてある。
それも、午前中いっぱい。
…あぁ、そうか。
毎週火曜日はリーダー会議のある日だったと、いつもなら彼女のスケジュールは大抵覚えているのに今日に限って度忘れしていた。
顔が見られないとなぜか不安になるのは、男ばかりの中にたった一人で混じっている姿を想像するから。
気持ちを伝える前まではここまで思うことはなかったけれど、想いが通じた今は例え雁字搦めに縛りつけてもすり抜けていってしまいそうで怖かった。
「南雲、あのさぁ」
「あっ、はい。何か?」
彼女のことを考えていたせいで答えるのに数秒遅れたが、視線だけは反射的に声の主の方へ向けたことで心の内を悟られずに済んだような気がした。
「ちょっと調べものがあって、手伝って欲しいんだけど。今朝、チーフには了解もらってるからさ」と話す彼は、綴(つづり)よりも2年先輩の福原。
異動してきたばかりの綴(つづり)の面倒を見てくれたのは彼だったし、頼りになる存在ではあったが、若干ミーハー的なところが玉に瑕…。
どうやら、任されていたネットを使った調査資料を作成するのに過去のデータを見直さなければならないらしい。
そのデータは各自のパソコンからは自由に閲覧できないことになっていて、データルームに行って専用のパソコンから探し出すしかなかった。
これがまた、面倒な作業なのだが…チーフに了解を得ているとなれば、断る理由は今の綴(つづり)にはない。
「わかりました」
「悪いな、忙しいところ」
綴(つづり)は自分の作業を一旦止めて、福原と一緒にデータルームに向かう。
律花のいないフロアにいるよりは別の場所に行く方がいいと思ってしまうあたり、かなり重症なのかもしれない。
下の階にあるデータルームは密室ではなくガラス張りの明るい開放的な部屋で、意外にも居心地がいい。
なんだかくつろいでしまいそうだったが、そうもいっていられない。
隣同士で席を確保すると、資料探しに没頭した。
◇
夢中になっていて、あっという間に昼になっていたことすら気付かなかった二人は、そのまま昼食を取りに部屋を出た。
まだ終わりそうもなかったので、どうせ午後もこの作業に従事しなければならないだろうから。
「どうする?食堂行くか?それとも外?」
「俺は、どっちでも構いませんよ」
「じゃあ、外行くか」と福原の決めたことに従って、外に出ることにする。
ここのところずっと社内に籠もりきりだったから、予報でもいい天気になると言っていたし、たまには明るい時間に外の陽を浴びて気持ちいい空気を吸うのも悪くない。
エレベーターから吐き出されるようにそのまま人の波に紛れながら、正面入口の自動ドアに目をやると見知ったシルエットが視界に入る。
『律花さん…ん?隣に居るのは、栗林部長…』
十数メートル先を律花と栗林が楽しそうにというか、この場合はじゃれ合いながらと言った方がしっくりくるかもしれない。
どこへ行くのか、時間的にもあの身軽さから判断して綴(つづり)と福原同様、昼食を取りに行くつもるつもりなのだろう。
しかし、恋人の綴(つづり)とだって、あそこまで砕けた間柄にはなっていなかったのに…。
それにああして並んで歩いていると大人の雰囲気が、憎らしいくらいによく似合っている。
「あれって、うちのチーフと営業二部の栗林部長じゃん」
「そうみたいですね」
平静を装っている綴(つづり)だったが、内心は全速力で走り寄って二人の間に割って入りたいくらいだった。
「何だ、あの二人はそういう関係だったのかよ。まぁ、お互いいい歳だしな。超似合いのカップルってとこか」
…他人事だと思って、勝手なことを。
律花さんの恋人は、この俺なんです!!
そう大声で言いたかったが、福原さんのことだから冗談だと絶対信じないに決まってる。
こんなことなら、どっちでもなんて言わずに食堂で食べると言えば良かった。
「南雲。今のお前、すっげぇ怖いんだけど」
かなりの形相で、律花と栗林の背中に穴が開くくらい見つめていた綴(つづり)を福原が見逃すはずもなく…。
「福原さん。あの二人の後を追ってもいいですか」
「あ?あっ、あぁ」
何がなんだかわからない福原だったが、ただ一つ頭に浮かんだのは…。
『おもしろそう』
もちろん、後を付けることに同意したのだった。
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