『あれ、綴(つづり)は?』
ランチを食べ終えてオフィスの自分の席に戻って来た律花だったが、昼休憩を終える鐘が鳴っても彼の姿はない。
さっき、一緒にいたであろう福原も見当たらないし。
―――休み時間はとっくに終わったっていうのにあの二人ったら、どこほっつき歩いてるのかしら。
すると、近くの席から「福原はデータルームに行っておりまして、15時戻りになっておりますが」という電話の応対をしていた女性の声が聞こえてきた。
それを聞いた律花が行き先明示版に目を向けると『データルーム』の文字が見え、そのすぐ下の綴(つづり)まで矢印が引っ張ってある。
そう言えば今朝、福原が調査資料を作成するためのデータ探しを綴(つづり)にも手伝って欲しいとの申し出があったことを思い出した。
―――15時かぁ。
時計を見ては小さく溜め息を吐く律花。
今日は自分が午前中ずっと会議だったし、午後は彼がいない。
いつもなら、パソコン越しに彼の真剣な表情が見えたり、同年代の同僚と会話している自然な姿が見えたりするのにお昼にあんなふうに顔を合わせただけなんて…。
結局、15時を過ぎても二人が戻って来ることはなく、綴(つづり)の顔を見ることができたのは終業時間の5分前だった。
◇
決まって最後まで残っている律花だったが、ほとんどそれに合わせてくれる綴(つづり)。
栗林のことも同期との飲み会の件もその機会に話して、そう思っていたのに今夜はどうしたことか彼はさっさと帰り支度を始めている。
「チーフ、お先に失礼します」
「えっ、あぁ。お疲れ様」
―――綴(つづり)ったら、もう帰っちゃうの?
いつもなら、もうちょっと一緒にいてくれるのに…。
予定があるのかもしれないし、そこまで彼を束縛するわけにもいかないけど、お昼のこともあったから、それが関係しているのかとも思ってしまう。
律花はフロアを出て行く綴(つづり)の後姿をジっと見つめていたが、なんだかものすごく寂しかった。
綴(つづり)が帰ってしまった後のフロアは、人がまばらに残っているだけ。
すっかりやる気をなくした律花も今夜は早めに店じまい。
「私も今夜は帰るわね」と告げると「お疲れ様です」という声が、数箇所から返って来た。
―――綴(つづり)はもう、家に着いたかしら?
真っ直ぐ帰っていれば、もうそろそろ着いている頃。
『電話してみようかな』と正面入口の自動ドアを抜けながら、バッグから携帯電話を取り出して綴(つづり)の番号を選んで通話ボタンを押す。
プップップという音の後にトゥルルルル―――と呼び出し音が鳴リ始めた。
『もしもし』
「あっ、綴(つづり)?もう、家に着いた?」
『いえ、まだですけど』
「そうなの。今どこ?話しても平気?」
「えぇ、大丈夫ですよ」と、なぜか電話機とは別の方向から綴(つづり)の声が聞こえてきたような気がした。
「やだっ、帰ったんじゃなかったの?」
先に帰ったはずの綴(つづり)が、なぜか後ろから来て律花の前に回り込む。
「待ってました、律花さんが出て来るのを。意外に早かったですね。俺が先に帰ったから、寂しかったんですか?」
「そんなわけ…ないでしょ」
そんなわけ…なくはなかったけど、悔しいから言わない。
でも、待っていてくれるとは思わなかったから、正直すごく嬉しいのは確か。
律花はここがまだ会社のすぐ近くだということも意識せずに綴(つづり)の腕に自分の腕を絡ませ、頭を彼の肩に凭れ掛けた。
明るい時間だったら躊躇ってしまうことも、暗がりだからちょっぴり大胆になれたりして。
「どこかで、食事していきますか?」
「ううん、家で食べる。材料も買ってあるし。綴(つづり)は、来てくれないの?」
キスができるくらいの距離で見上げるように言われて、綴(つづり)が断るはずがない。
「いいえ。もちろん、行きますよ」と彼女の額に軽く唇を触れさせた。
平日に律花の家に行くことはあまりないが、お互いの家も近いし最近では彼女の家に着替えを一式置いているから、そのまま仕事に行っても問題ない。
それよりも、こうして一緒にいる時間ができたことの方が重要だった。
残業帰りや軽く一杯やったのかアルコールの匂いを漂わせているサラリーマンとOLでわりに電車は込んでいたが、その窮屈さが今の二人の距離をより縮めていたのかもしれない。
◇
「お昼にあの店に来たのって偶然?それとも」
ここへ帰ってくる途中もずっと寄り添って離れなかった二人、真っ暗な室内に明かりが灯ると心まで温かくなる気がした。
「偶然っていうのは当たってます。たまたま、福原さんと外に食べに行こうってことになって。その時、前を歩いている律花さんと栗林部長を見掛けたので後を追いました」
「追ったの?」
お互い腰に腕を回して向かい合ったまま、悪びれる様子もなく黙って頷く綴(つづり)に律花は怒る気にもなれない。
―――まぁ、綴(つづり)と誰か他の女性が一緒に歩いているところに遭遇したら、私だって後を追ったに違いないもん。
「綴(つづり)は知ってるでしょ?元同じ部だったんだから、栗林君のこと。同期だし、何でも話せる人っていうのかな。私にとっては男の人っていうより、同性みたいな人なのよ彼は」
「だからって、二人っきりであんなふうに食事をしたりしないで下さい。律花さんはそう思っても、栗林部長はそう思ってないかもしれないんですから」
「そうは言っても、あの場合は断れないでしょ?食事といってもランチだし。それに栗林君ね、気付いてたの。私達のこと」
「益々、怪しいですね」
「もうっ、綴(つづり)ったら、どうしてそう疑り深いわけ?」
―――私には綴(つづり)しか、いないのに…。
栗林君は確かに他の同期に比べれば、話しやすいタイプだとは思う。
思うけど、彼を男の人として見ることは一生ないと断言できるのは、綴(つづり)のことだけを想っているから。
「律花さんがあまりに無防備だから、心配でたまらないんです。それに俺は年下だし、栗林部長みたいに律花さんを包んであげられない」
「私だって同じよ。7歳も年上で、隣にいても綴(つづり)が恥ずかしい思いをしないだろうかって。でも、私は誰よりも綴(つづり)が好きなの年下のあなたが。それじゃあ、ダメなの?」
揺れる瞳に思わず、綴(つづり)は律花を抱きしめた。
「好き」という言葉がどうして信じられないのだろう、こんなにも好きなのに。
「俺も好きです。年上の律花さんが」
唇を挟むようにくちづける、ほんのり甘く感じたのは彼女のつけていたリップのせいなのだろうか。
「…っ…ぁ…つ…づり…」
「律花さん」
離れてもまた、重なる唇。
律花の背を綴(つづり)の大きな手が優しく上下する。
唇を重ね、体を合わせることで確信がもてるなら…。
そのまま、寝室に入るとなだれ込むように律花と綴(つづり)はベッドのスプリングに沈んだ。
これから夕食の準備をするはずだったのに律花はまたお腹が鳴ってしまわないかと心配だったが、今はただ綴(つづり)とこうして抱き合っていたかった。
ほとんど服を着たままだった二人は、まるで脱皮をするように一枚一枚服を脱ぎ捨てる。
スタンドライトの薄明かりに照らされた彼女は、眩暈をしそうなくらい本当に美しい。
「…あっ…ん…っ…ぁ…」
彼女の一番感じるところを責めると、無意識に甘い声が漏れた。
今夜の綴(つづり)に余裕がなかったのは、栗林のことがあったから。
福原に勝ち目はないと言われたことが、どうしても納得できない。
「…ん…ぁっ…っ…つ…づ…り…」
俺だけの律花。
俺だけのモノ。
「律花さん、俺…」
「い…いの…っ…ぁ…ん…っ…」
律花の中から熱いものが、溢れ出す。
彼の想いを全身で受け止めたい、ただそれだけだった。
「律花さんの中に入りたい」
「…私も…綴(つづり)と一つになりた…い…」
汗ばむ季節はとうに過ぎていたというのに、二人はものすごく熱かった。
灼熱の太陽に照らされて、溶けてしまいそうなくらいに。
ゆっくりと彼女の中に自身を沈めていくと、その熱が体中を電流のように駆け巡る。
「…あぁぁ…っん…ぁ…っ…っ…」
細い体が折れてしまうんじゃないかと思ったが、それでも抱きしめていた腕を緩めることはできなかった。
律花の長い指が、綴(つづり)の髪を乱暴に掻き乱し、荒い吐息が頬を伝う。
「…やぁっ…ぁんっ…イっ…ちゃ…う…」
「俺…も…」
綴(つづり)は、律花の中に自身を吐き出した。
◇
「律花さん」
「ん?」
『やっぱり、相手が若いと違うだろ』という栗林の言葉通り、一度で済むはずもなく…。
さすがに律花の体がもたないからと、こうして抱き合いながらまったりとした時間をベッドで過ごす。
「今週の金曜日」
「金曜日?」
―――金曜日に何か、あるのかしら?
「飲み会に誘われてましたよね」
「あっ、うん。同期で久し振りに飲むっていうから」
―――そう言えば、飲み会だったんだ。
やっぱり、綴(つづり)は、行っちゃダメだって言うのよね。きっと。
気持ちもわかるし…。
「行きたいですか?」
「それはね。でも、綴(つづり)がダメだって言うなら行かない」
「いいですよ。行って」
「えっ、ほんと?」
うつ伏せになって綴(つづり)の顔を覗きこむようにしてみている律花。
綴(つづり)が許してくれるなんて…。
「飲み過ぎないって、約束してくれるなら」
「うん。約束する」
「絶対ですからね」
「ありがとうっ、綴(つづり)」と、嬉しそうに彼の胸に抱きつく律花。
ただでさえお互い生まれたままの姿だというのに、こんなふうにくっ付かれては綴(つづり)のアソコが敏感に反応してしまう。
きっと、自分にだけ見せてくれる彼女の素顔。
…この笑顔に弱いんだ。
そう思ったら、心配も不安もどこかに吹き飛んでいった。
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