「こんにちは、宅配便で〜す」
理一(よしかず)は大きな門に付いていたブザーを押すと、応対した女性に向かって元気にそう言った。
配達範囲のこの家はいわゆる豪邸と呼ぶにふさわしい蔦の絡まる洋館だったが、周りを高層ビルに囲まれながらも緑の多い大都会のオアシスのような場所、週に一度は配達に訪れているせいか、声の主である奥様とは顔馴染みである。
”ワレモノ”というステッカーの貼られた30cm四方の箱にはガラス製品と書いてあるが、一体何が入っているのか。
小脇に大事に抱えて門をくぐると、玄関まではどれくらいあるだろうか?長い道のりを歩く。
玄関先で待っていてくれたのは40代前半と思しき上品なこの家の奥様で、白いアンゴラニットのアンサンブルに千鳥格子のスカート姿、抱きかかえていた白い毛並みのペルシャ猫と一瞬見間違うほどだった。
「印鑑お願いします」
「いつも、ご苦労様」
「寒くなってきたけど、頑張ってね」とこうして綺麗な女性に笑顔を向けられ労いの言葉を掛けられると、この仕事もまんざらではないなと思う。
「ありがとうございましたっ!」
荷物を手渡し、帽子を取って頭を下げると理一(よしかず)は走って小型トラックの運転席に乗り込み次の配達先へと向かった。
宅配便のドライバーになって1年ほどになるが、今までやってきた仕事の中で一番長続きしているかもしれない。
周りにあれやこれや言われることもないし、生活は依然苦しいもののこのまま続けていけば、いつかは暮らしもプラスに転じていくであろう。
自然に鼻歌なんかを口ずさみながら交差点でトラックを停車させると、目の前にそびえ立つ大きなビル。
行きかう人々はどれも同じダークなスーツを身に纏い、顔さえも同じに見えてしまうから不思議だった。
転々と職を変えてきた理一(よしかず)にとって、恐らく一生縁のない職場かもしれない。
このビルも担当の理一(よしかず)は、いつものように配達の荷物を手に持ち、入れ替わりに集配する荷物を受け取りに入った。
「こんにちは、宅配便で〜す」
「ご苦労さん。石動(いするぎ)君は、今日も元気だねぇ」
そう言って理一(よしかず)が持って来た荷物の伝票に印鑑を押しているのは、やはり顔馴染みのこのビルの管理会社に勤める60近いオジサンだ。
小太りでどことなく狸の置物に似ているなと思いつつも、その言葉を飲み込む。
ビル内には何十という会社が入っているため、荷物や郵便関係は一括してここに集められていた。
「元気だけが、取り柄ですから」
そう言いながら、理一(よしかず)がその間に発送する荷物の伝票を処理しているとオジサンがこっそりお菓子とペットボトルのジュースを用意してくれる。
よっぽど物欲しそうに見えたのか、来る度に差し出されるそれは食事もままならない理一(よしかず)にとっては、かなりありがたい。
「いつもすみません」と遠慮なくいただくと、「いいから、いいから」とオジサンは微笑んだ。
「毎度、ありがとうございましたっ!」
帽子を取って一礼すると理一(よしかず)はトラックヘ戻り、この場所で休憩を取るのがいつものパターンだったから、一端隣の細い路地裏に止め直す。
都会に憧れて出てきたものの、騙されて作った借金の山に人を信じられなくなった時期もあった。
いっそ、不本意ながら田舎に逃げ帰ろうかとも。
それでも、ここに残っているのは意地もあったかもしれないが、人の優しさに触れもう一度頑張ってみよう、そんなふうに思ったからかもしれない。
ふと無意識に取り出したのは、ポケットに入れてあった一枚の名刺。
―――天沢 菊音(あまさわ きくね)かぁ、綺麗だったよな。
あれから、ちょうど一週間が過ぎようとしていた。
名前の部分をそっと指でなぞりながら、彼女の柔らかい感触とほのかに甘い香りを思い出す。
23年生きてくればそれなりに女性経験もあったが、どれも理一(よしかず)にとっては苦い思い出でしかなかった。
生活も苦しいけど、まともな恋愛さえもできないのか…。
そこまで上手くいかない人生を一体、誰にあたればいいのだろう。
「あれ?この会社って…」
彼女に渡された名刺に書いてあった会社の住所は、たった今荷物を届けに行ったビルと同じ。
まとめて届けるためにいちいち個別に会社名まで見ていなかったのだが、今まで全く気付かなかったことに我ながら抜けているなと思う。
だからといって、言われた通りに会いに行くのかと聞かれれば、答えはノー。
貧乏からは一刻も早く脱出したいが、そんな上手い話などどこにもないということを理一(よしかず)自身が一番良くわかっていたからに他ならない。
やっと前に進み始めた道をまた戻るようなことは、二度としたくはなかったから。
「さて、休憩終わり。仕事仕事」
気持ちを切り替えると理一(よしかず)は、次の配達先へトラックを走らせた。
+++
「ちょっと、君」
理一(よしかず)がビルの中に一歩足を踏み入れた途端、両端から近付いて来た警備員に「あっ、俺?」と自分の顔の前で指を差す格好をすると『決まってるだろ、他に誰がいる』とでも言わんばかりの態度で睨みつけられた。
「君だよ君。ここへ、何の用だ」
両脇から警備員が、理一(よしかず)の腕を掴む。
とても、この場所には似つかわしくないジーパン姿の彼を不審者と思ったのだろう。
―――人を外見で判断するとは失礼な。
「何の用って、そんなことまであんたらに言わなきゃいけないのかよ。どうせ、俺みたいのがこんなところに来るのがおかしいって思ってんだろう?」
図星だったのか、警備員は二人とも押し黙ってしまう。
確かについさっきまでは当人だってここへ足を踏み入れることなど一生ないと思っていたのだが、状況が変わったのだから仕方がない。
「とにかく、ここは君の来る場所じゃない。早く出て行きなさい」
「いいのかよ、そんなこと言ってさ」
天沢 菊音(あまさわ きくね)があの時、ああ言ったからといって、理一(よしかず)のことをすんなり受け入れるかどうかなんて保障はどこにもない。
あんな出来事、すっかり忘れてしまっているかもしれないし。
しかし、ここは強気で出なければ。
「何だ、何が言いたいんだ」
「俺は石動 理一(いするぎ よしかず)、そう言ってもらえればわかるさ」
「石動 理一(いするぎ よしかず)?」
『誰だ?それ』と半ば馬鹿にしたような言い方で、含み笑いをする警備員達。
「君の名前が何でも構わないが、とにかく早くここから出て行きなさい」
「あ?俺は、このビルの中に入ってるえっとなんだっけ?まぁいいや。天沢 菊音(あまさわ きくね)って社長に言われたんだよ。ここに来るようにって」
「そんなことを言うはずがないだろう?何を夢みたいな―――」
「―――ことを言って」と警備員の一人が言葉を続けようとして、なぜか口篭る。
それは…。
「彼から、手を離しなさい」
「ですが…」
「いいから、離しなさい」
「はっ、はいっ」と慌てて警備員達は理一(よしかず)から離れて行ったが、さすがビル内に数ある会社とはいっても社長ともなれば、彼らの頭の中にもしっかり顔はインプットされているようだ。
そして、目の前の彼女は両腕を組んこちらをでジッと見つめているが相変わらずスタイル抜群、美しい中にも鋭さを感じさせる彼女の瞳に思わず見惚れてしまう。
「やっと来たわね。待ちくたびれたわよ。石動 理一(いするぎ よしかず)君」
さっきとは打って変わって優しい表情に変わる。
するといつの間にか、彼女は理一(よしかず)の腕を取ってスタスタと歩き出してしまう。
気が付けば、かなりのギャラリーに取り囲まれていたが、そんなことには全く気に掛ける様子はなかった。
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