恋路
後編


彼はこの別荘に来るのは初めてではないと話していたが、だからなのか妙に勝手がわかっている。
それにお茶を入れる手つきが慣れているというか…。
加奈は何もすることなく(一応言っておくが、できないわけではない)、彼が全部やってしまうから。

「どうぞ」
「すみません、何もかも森さんにさせてしまって。運転もして疲れているのに」

―――すっかり寝ていたあたしは、バッチリ元気なのに…。

「いいんだよ。気にしないで」と森さんは微笑みながら、加奈も初めて目にするロイヤル・コペンハーゲンの急須で湯飲みにお茶を注いでいたのだが、その手が妙に綺麗で、つい目がいってしま
う。
そんな加奈の視線を感じつつも、彼は彼女の前にお茶の入った同じブルーフルーテッド柄の湯飲みを置いた。
このダイニングテーブルは大きな一枚板でできていて、どちらかというと和風っぽいデザインなのだが、洋館の家にしっくりと馴染んでいた。
この空間にいるとどうでもいい日々の苛立ちや疲れなど、何もかもを忘れてしまうような気がした。
もしかしたら、彼のお父様はそういうことまでちゃんと計算してこの家を設計したのではないだろうか?
だとすれば、それはすごいことかもしれない。

「あぁ、美味しい」

ふーっと息を吐いて、ゆっくり味わう。
どこにいてもほとんどコーヒーしか飲まず、それも全くこだわりなどない加奈には、お茶を入れて飲むことはまずないのだが、香りからして違いがわかるほどこれは美味しいものだった。
茶葉がいいことももちろん、彼の入れ方もあったのだろう。

「良かった」
「いつも、こんなふうに自分で入れてるんですか?」

話をしながら、「いただきまぁす」と加奈は目の前にある峠の釜飯の紐を解くと、焼き物の蓋を開ける。
お腹が空きまくっているせいか、自分で問い掛けておきながら、話よりも食べることの方に神経が集中してしいた。

「まぁね、誰も入れてくれる人はいないから」

―――あぁ、この鶏肉が美味しいのよね。

味の染みた鶏肉を美味しそうに頬張っている加奈に何を言っても耳に入らないだろうと、拓実(たくみ)はそのままジッと見つめることにする。
会ったばかりで思わず可愛いと言葉にしたのは本心からだったが、こうして正面から向かい合っていると尚更だ。
飾らない素顔とでもいうのだろうか?
親友の彼女から聞かされていた架空の女性に勝手に恋していたのかもしれないけれど、正しく今ここにいる彼女はそのものだったと言っていい。
自分に対しての警戒心はまだまだ拭えないが、そういうところも全部ひっくるめて好きと思えるのかもしれない。

「森さんは、食べないんですか?美味しいですよ?」
「ん?あぁ、加奈ちゃんを見ている方が美味しいからね」
「???」

意味がわからず、加奈の頭の上には???マークが飛び交っている。
―――森さんって、たまにわかんないこと言うのよね。
でも、あんまり見ないで欲しいなぁ食べてる姿なんて。
寝顔だって見られちゃってるのに…。

綺麗に全部平らげた加奈の満足そうな顔を見た後、彼はようやく自分の箸に手を付けた。

―――そうだ。
まさか、森さんは泊まって行くつもりじゃないんでしょうねぇ。
すっかりくつろいでいたけれど、こればかりはすんなり受け入れられるものでもない。
彼が何もしないという保障があれば、話は変わってくるかもしれないけど…。

「あの…森さん?」
「どうしたの?加奈ちゃん」

ここまで言ったものの、先の言葉が続かない。

「今夜は…まさか…ここで…」
「俺としては、できればもう少し加奈ちゃんと話したいなとは思う。でも、さっき会ったばかりの男と二人っきりなんて嫌だよね。可愛い加奈ちゃんに手を出さない保障はないし」

「加奈ちゃんが帰りたいというのであれば、責任持って家まで送り届けるから」と森さんは、普通に話しているけど、実はすごいこと言ってない?!
手を出さない保障はないしって―――。
そういうこと、面と向かって言わないでくれる?

加奈も、この場の雰囲気もあったかもしれないが、彼の言うようにもう少し一緒にいて話をしたいと思う気持ちは同感だ。
だからといって、彼のひと言は気にならないわけじゃない。
でも、推測だけど彼はそんな軽率な行動を取る人ではないと思う。
男の人をそう簡単に信じちゃいけないのかもしれないけど…。

「手を出さないって、約束してくれるなら」
「そこが、一番難しいと思うんだよ」

深く何度か頷きながら、腕を組んで真剣な表情で考え込む森さん。
―――ちょっとそこは、否定するところでしょっ。

「森さんっ」

「冗談だよ。約束するから」って笑う彼が一番怪しい気がするのは、なぜ?!
しかし、こういうところが彼らしいというか、何というか…。
―――あぁ…でも、大丈夫かしら?



その後、時間があるからと二人は外へ散歩に出掛けた。
ここずっと彼氏のいなかった加奈には、こんなふうに男性と肩を並べて歩くのすら最後がいつだったのかすぐには思い出せないほど遠い昔のこと。
友達の萌から彼氏のノロケ話を聞けばそりゃぁ加奈だってお年頃、羨ましいに決まっているが、合コンとかで焦って相手を探している子を見れば自分はそこまでと思ってしまう。
いつかは、誰か一人くらい自分のことを好きになってくれる人が現れるだろう。
待っているだけじゃダメなのかもしれないが、その辺は晩熟(おくて)ということにしておいて欲しい。
それにしても、可愛い雑貨屋さんを覗いたり、会社に持っていくお土産を探したり、旅行は久し振りだったけど、こんなに楽しいものだったのなんて。
萌と児島(おじま)さんがいたら、それこそ4人でワイワイできてもっと楽しかったに違いない。

「森さん、こっちこっち。早くぅ」
「待って、加奈ちゃん」

どんどん先に行ってしまう加奈に、拓実も付いて行くのがやっと。
そこまで年寄りではなかったはずだが、彼女が元気過ぎるのだ。
初めの微妙な距離も縮まりつつあったし、二人だけの夜も…。
この件に関しては、さっき“約束”してしまったから下手に手を出すわけにはいかないけれど、ほんの少しでもいいから自分を特別な存在と思ってくれればそれでいい。

「もうっ、オジサンみたいですよ?」
「加奈ちゃんから見たら、俺もオジサンだからね」
「そんなことないですって、あっちのお店にも行きましょ」

「ほらぁ」と加奈に腕を組むようにして連れて行かれる。
彼女にしてみれば無意識だったかもしれないが、今この微笑が向けられているのは誰でもない拓実だけ。
そう思ったら、心の底から嬉しさが込み上げてきて…。

「ちょっ、もっ森さん…っ」
「ほら、あの店に入るんじゃなかったの?」

―――そうなんですけどっ…。
急に腰に腕を回されてびっくりしている間もなく、彼の顔がすぐ側に…。
あんまり近くにあったものだから反射的に逸らしたけど、全身の熱が全部顔に集まったんじゃないかと思うほど。
だけど、それが全然嫌じゃないから不思議。
一目惚れとか、一瞬で恋に堕ちるとか、ドラマや小説の中での出来事であって、自分には絶対ないと思ってた。

なのに…。


これが、きっと恋の始まりなのかもしれない。 





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これも毎日たくさんのみなさまが、来てくださるおかげです。
ありがとうございました。
これからも今まで以上に楽しんでいただけるお話を書いていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします。

朝比奈じゅん
2008.3.6


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