幸せの鐘が鳴る時
3


結局、遼佑(りょうすけ)の仕事が終わるのを待つ羽目になった智香(ともか)は、趣味が良いのか悪いのか、ありがちな黒いレザーのソファーに座ると首だけを器用に彼の方へ向けた。
―――悔しいけど、サマになってるのよね。
恐らく、彼の周りに居る女性のほとんどが、この魅力の虜になることだろう。
何もかもが完璧なのにどうして、こんな私なんかを選ぶのか…。
今にも危ない会社のとんでもない娘なのに…。

そのまま、うとうと仕掛けた時にドアをノックする音と共に誰かが入って来たが、その声は確か彼の父親の代から仕えている木村。

「社長、急で申し訳ありません。エー・アンド・エル・カンパニーのジェームズ・アドウェイ氏が来日さ
れまして、お会いしたいとのことですが」
「えっ。ジェームズ・アドウェイ氏社長自ら、今ここにか?」
「はい」

エー・アンド・エル・カンパニーといえば、智香ももちろん知っているアメリカでも有数のリゾート開発
会社。
そんな企業の社長がわざわざ出向くとは、やはり世界が違うと思わずにいられない。
これで食事もお流れになったとちょっぴり寂しいような気もするが、この格好で出歩かなくて済むことを思えば良かったのかもしれない。

「わかった。すぐに行く。智香、ごめん。少しだけ待っていてくれないかな」
「あら、私のことなんていいのに。大事な人が来てるんだから」

どんなことがあっても仕事が第一の遼佑が、智香の心配をするとは。

「いや、俺にとっては同じ突然でも智香の方が大事だから。絶対、待っててくれよ」と念を押して遼佑は木村に何か一言二言、言い残して急いで部屋を出て行った。

「木村さんは、行かなくていいの?」

遼佑が出て行くのと同時に智香は、こんなことならまともな格好で来るんだったと思いながら、ソファーを立ち上がると木村の前へ。

「私ですか?社長にお嬢様のことを頼まれましたので。随分とご無沙汰しておりましたが、お元気そうで何よりです」

さすがに今の彼女を見て上手い誉め言葉が見つからないが、相変わらずの美しさ、それでも木村にしてみれば自分を覚えていてくれたことの方が嬉しかった。
随分長い間会っていなかったが、子供の頃は仲の良かった智香と遼佑を知っているだけに、大人になってからの二人のことを誰よりも気に掛けていたから。

「木村さんこそ、お変わりなく」

昔から智香のことをお嬢様と呼ぶところも変わらない。
中肉中背で少し髪も寂しくなってきてはいたが、なかなかダンディなおじい様で、若い頃は相当モテたと聞いている。
とっくに定年を過ぎているであろう彼を未だに側に置いているというのは余程信頼しているに違いないが、父親が第一線を退いた今、しっかり遼佑を監視してもらわないと。

「いえいえ、もう老体です。そろそろ、引退ですよ」
「何を言ってるんですか、まだまだ若いのに。だいいち、遼佑なんかに会社を任せられません」

―――そうよ。
お父様の会社のことだってあるのに。
遼佑一人になんて、任せられるものですか。

「お嬢様がお坊ちゃまをしっかり見ていて下されば、安泰ですよ」
「だといいんだけど…」
「どうかされたんですか?幸せの絶頂にいるはずのお嬢様が」

これだけ長い間、家族同然に付き合ってきた木村なら、もう二人の結婚話は開いているのだろう。
大っぴらに口に出さないのは、遼佑に止められでもしているのか。
―――でも、ちっとも幸せなんかじゃないのに…。

「父の会社のことで」
「何か、あったんですか?」

暗い表情の智香に問い掛ける木村だったが、順風満帆のはずの会社で何か問題でも起きているのだろうか?

「木村さんも知ってるでしょ?今度、持ち株会社を作る話は」
「ええ、もちろん知っておりますが。これは、素晴らしいことだと私は思ってるんですよ」

―――父の会社が遼佑のおかげで救われるのが、素晴らしいことなの?
失礼っていうか、いくら木村さんでもそんな言い方しなくたって…。

「お嬢様は、反対なんですか?」
「反対も何も仕方ないでしょ、父の会社は、もう長くは持たないっていうのに…。遼佑に助けてもらうしかないなんて、屈辱以外の何者でもないわよ。だけど、会社のことを思ったら」
「えっ?お嬢様、それは違います」
「違うって?」

―――何も違わないわよ。
遼佑が自分の口で言ったんだから。
私はそのために結婚させれるのよ?

はぁ〜あ、と大きく溜め息を吐くと智香は再び主のいない大きな椅子に腰掛ける。
自分にもっと力があれば、こんなことにならずに済んだかもしれない。
あの時、逃げずに戦えば良かったのだろうか…。

「今度の持ち株会社設立は、お互いがより大きく飛躍するためのものです。決して、坊ちゃんがお父上の会社を助けるとかそういうものではありません。大体、長くは持たないなどという話を私は聞いていませんし、特にお兄様が経営を任されてからは業績を大きく伸ばしているはずですが」
「はぁ?それって、全然話が違うじゃない」

―――これは、どういうことなの?
お父様の会社が長くないって、あれは嘘だったってこと?
また、私を騙したの…。
何の恨みがあって、こんなことをする必要があるっていうのだろうか。
人の心を掻き乱して、おもしろがっているのだとしか思えない。
となれば、私がここに居る理由なんてもうないってことよね。

「お嬢様、どちらへ」
「遼佑に伝えておいてくれる?二度と私の前に現れないでって」

「木村さん、いつまでもお元気で」それだけ言うと、智香は静かに部屋を出て行った。

+++

その足で智香は真意を開くために父の会社へと車を走らせていたが、良く考えてみればおかしな話だった。
父からは会社の状況についての話など何も開いていなかったし、そのための結婚だから敢えて黙っていたのかもしれないが、いくら3年前に勝手に家を飛び出した娘でも、本人の気持ちを考えずにこんな話を進めたりするだろうか?
遼佑の両親もそうだ。
息子が望んだこととはいえ、大事な跡取の嫁をそんな簡単に決めていいはずがない。
昔から智香に対しても実の娘のように接してくれて、あの様子では親として息子の幸せを祝福しているようにしか思えなかった。
そうなると、遼佑の狙いは何なのだろう?
会社同士は持ち株会社を作ることによって円満にグループを拡大させようとしているというのに、こんなことまでして智香と結婚しなければならない理由…。

―――えっ、まさか…。
そんなはず、あるわけない。
あの遼佑が、私と結婚するために仕組んだことなんて…。
子供の頃は親同士が仲が良かったこともあるが、本当にいつも一緒に居た二人。
幼いながらも遼佑に対して淡い恋心を抱いていたこともあったが、それが一変したのは彼が高校に入学した頃だろうか。
急によそよそしくなったと思ったら、派手に女性と付き合うようになって。
自分はもう彼の心の中に入る余地はないのだと気付いた時、側に居られなかった。
大学を卒業して単身渡米したのは自立もあったが、ただ現実から逃げたかっただけなのかもしれない。
智香は、前の信号を右折せずに父の会社とは逆方向にハンドルを切る。
真実を問いただして父を責めたところで、本当は何も変わらないような気がしたから。



大事な取引先の訪問ではあったが、はっきり言って今の遼佑には早く帰って欲しい相手。
誘っても渋々という感じでしか付き合ってくれなかった智香が、自ら来てくれたのだ。
彼女のあの様子からして自分に会いたかったわけではないだろう、間違いなくその反対だとわかってる、それでも構わない。
なのに…。
「ごめん遅くなって」と早々に社長室に戻って来た遼佑だったが、肝心な彼女の姿が見当たらない。

「あれ?智香は」
「坊ちゃん、大変です。お嬢様がっ」
「智香がどうした」

この場は『会社で坊ちゃんはよせ』とツっこむところだが、木村の慌てっぷりに遼佑もそれどころではなかった。

「出て行かれました。私が余計なことを言ったばかりに」
「出て行った?」
「はぁ…」

ひどく落胆している木村だったが、さすがに智香から『二度と私の前に現れないで』と遼佑に伝えるよう言われたことは非常に報告しにくい。

「どうしましょう、坊ちゃん…」

かなり強引なやり方で彼女を帰国させたこと、結婚話を進めたことは遼佑の独断で誰も悪くない。
もちろん木村は何も知らなかったのだから彼を責めるつもりもないし、恐らく、真意を確認するために父親の会社へ行ったであろうことは予測がつくが、一番心配なのは彼女のこと。
傷つけるつもりはなかったにせよ、結果そうなったことは間違いない。

「すぐに車を出してくれ。木村さんは、何も心配しないでいい。全部、俺が悪いんだ」


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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