幸せの鐘が鳴る時
4


智香が通った道を辿るように車を走らせた遼佑(りょうすけ)は、会社に着くなり受付で父親が在室していることを確認すると秘書の案内も早々に社長室へと乗り込む。
どこに行っても遼佑は注目の的で、いつもなら愛想良く振舞うところだが、今日の彼にはそんな余裕など微塵もなかった。
荒々しくドアをノックする音と共に入って来た遼佑の訪問に驚いた表情の智香の父だったが、将来の息子を嬉しそうに出迎えた。

「やぁ、遼佑君。どうしたんだい?そんなに慌てて」
「不躾(ぶしつけ)をお許しください。あの、智香さんは」
「智香?娘なら、家に居るんじゃないか?毎日することがないってぼやいていたからな。少しは花嫁修業でもしてくれればいいんだが」

一通り室内を見回しても彼女の存在はなく、また父親の話し振りから見ても、ここへ来た形跡はないようだ。

「智香さんは、こちらへ来られてはいないんですか?」
「あの子が私の会社に来ることなんてことは、まずないさ」
「そうですか」

…必ずここへ来ると踏んだのだが、来ていないとなるとどこに行ったんだろう?
念のために携帯に電話を掛けてみたが、車の運転中だったのか電源を切っていたようだし、家に掛けてもお手伝いの女性は外出中と言っていた。
彼女の対応からは、居留守とも思えない…。

「今日、兄上は」
「息子なら、私の代わりに昨日から沖縄に出張中でね。戻りは明後日の予定なんだよ」

現職は副社長の智香の兄は、事実上社長といってもいい役割を担っていた。
舘花との持ち株会社設立により、父はこれを機に息子に任せようと最近ではほとんど重要な職務からは手を引くようにしいていたからだ。

「出張ですか」

まさか、沖縄まで追い掛けるなどということはしないだろうが、彼女のことだ。このまま、勢いでニューヨークに行ってしまうことも考えられなくもない。

「わかりました。彼女から連絡がありましたら、すぐに知らせていただけますか?」
「それは構わないが、智香に何があったんだい?」
「例の件を彼女に知られてしまいまして」
「え?」

父親もグルになっていたわけだが、あんな姑息な手段では頭のいい智香に知られるのは時間の問題だった。
それでも、もう少し時間を稼げると思っていたのが、計算が狂ってしまったことは確かである。

「彼女にきちんと話をしてみます。聞いてもくれないかもしれませんが…」
「大丈夫だよ。あの子だってわかってるはずだ」

「私は君にお義父さんと呼んで欲しいからね」と、智香の父は遼佑の肩に優しく手を置いた。

+++

「何よ。帰って来たなんてひと言も言わないで、いきなり人目につかないところに匿(かくま)って欲しいなんて」

「ごめんね」と謝る智香にいつだって振り回されてばかりいると思いながらも、3年振りに見た親友は元気そうで、何より自信に満ちていて以前よりずっと美しくなっていたことに長い付き合いの長谷部 新(はせべあらた)は安堵した。
お互い名の知れた名家に生まれ、それでも腹を割って何でも話せる関係だった新(あらた)に相談もなく突然、智香がニューヨークに行くと言い出した時には、こんな箱入り娘が一人でやっていけるはずがない、すぐに音を上げて戻って来ると思っていたのだが、そこはただのお嬢様ではなかったということ。
しかし、そんな彼女に一体、何があったというのだろう?
噂には舘花 遼佑との結婚という話も耳にしてはいたが、そのことと関係があるのだろうか。

「逃げ隠れしなきゃならないことでも、したわけ?」

忙しいにも関わらず、智香の呼び出しにも快く応じてくれた親友に感謝しつつ、新(あらた)にだけは全てを話さなければならないと思っていたし、その上で力になってもらわなければならなかった。
彼女の行きつけだというピルの地下にあるダイニングバーは落ち着いた雰囲気で、苛立った心を落ち着かせてくれるような気がした。

「私は別に悪いことをしたわけじゃないのよ?父と遼佑がグルになって、陥(おとしい)れようとするから」
「遼佑って、あの舘花 遼佑と結婚するって話は本当なの?」

お薦めのキンキンに冷えた白ワインで乾杯した二人だったが、それをゆっくり味わっている場合ではない。

「そうなんだけど。聞いてくれる?お父様ったら倒れたなんて電話してくるものだから、心臓なんか止まるかと思うくらい心配して慌てて帰国してみたらピンピンケロっとしててよ?遼佑は遼佑で父の会社が危ないから救う代わりに私と結婚しろなんて脅して。実際そんなの全部嘘っばち。会社同士で確かに持ち株会社を作るらしいけど、危ないなんてことないし、騙された私はどうすればいいのよ」

「ニューヨークでの職も失って」と智香はグラスを一気に空け、手酌でボトルからワインをグラスに注ぐ。
落ち着いて考えれば考えるほど、腹が立つ。
―――人をなんだと思ってるのよ。
馬鹿にするのもいい加減にしてっ。

「えぇ?何それ。三流ドラマみたいじゃない」
「ドラマならおもしろいけど、しゃれにならないわよ。こっちは人生棒に振って、両親や兄夫婦、会社の従業員が路頭に迷わないために好きでもない人と結婚させられるところだったなんて」
「でも、智香って遼佑さんのこと好きだったんじゃないの?」
「はぁ?どこから、そういうとんでもない話が出てくるの」

智香が鼻息荒く言ったところで、新(あらた)の鋭い?ツっこみに少々拍子抜け。
確かに好きだったこともあったが、それは子供の頃の憧れというものであって、色恋沙汰には程遠い話である。

「そうなの?」
「そうよ。あんな女っタラシのどこをどう間違ったら好きになるわけ?結婚なんかしたら、泣かされるだけだもん。なのに私は、一人健気に親兄弟のために一生耐えなきゃならないのよ?」

あの遼佑が結婚を機にいい旦那様になるとは到底考えられないし、一番問題なのは彼にとって何のメリットもない智香と結婚しようとしていることにあるのだから。

「黒部の家には悪いけど、どう見たって舘花の方が上だし、向こうにしてみれば政略結婚っていうわけでもないじゃない?智香にそんな嘘までついて結婚したいっていうのは―――」

恐らく、新(あらた)も智香と同じことを考えているのだと思う。
できれば考えたくないことだけど、例え彼に愛情があったとしても、それを受け入れる気は智香にはない。

「ちゃんと話した方がいいんじゃないの?彼もこんなことをした理由があるのかもしれないし」
「どんな理由があっても許せないし、許す気もないもの。ねえ、新(あらた)の家だとすぐにバレちゃうから、どこか隠れられそうなとこない?ぎゃふんと言わせないと気が済まないのよ」

何の恨みがあるのかわからないけど、人の人生めちゃくちゃにしておもしろがってる人なんか絶対に許せない。

「隠れたって、すぐに見つかるわよ」
「いいの、でも少しくらいは心配させなきゃ。私は怒ってるんだから」
「本人がそれで気が済むんだったら」

智香も頑固なところがあるし、関係が変にこじれても困るが、本人の気持ちもわからなくもない新(あらた)は仕方なく彼女の意向を受け入れることにする。

「新(あらた)には迷惑掛けないようにとはいっても、それは無理よね。既に掛けちゃってるもんね」
「そうよ?智香ったら、心配ばっかり掛けて。この代償はどう返してもらおうかしらね」

笑いながら話す新(あらた)だったが、自立した気になっていただけで、結局は親友に助けてもらわなければ何もできない身なのだということを智香は改めて思い知ったのだった。

「せっかくだもの、智香の帰国祝い、やり直さなきゃね。じゃあ、今夜はガンガン飲むわよ?」

今頃、遼佑が智香を探しまくっていたなんて知るはずもない二人は、積もる話に花が咲き、夜明けまで飲み明かすのだった。

+++

あれから一週間、智香の消息は途絶えたままで一向に居所が掴めない。
ありとあらゆる場所を舘花のカで虱潰(しらみつぶ)しに探したが、彼女もその辺は心得ているのだろう、車は都内の駐車場に止めたままで跡が残らないような交通手段を使ったのか、意外に盲点をついて近くに居るのかもしれなかった。

「木村さん、まだ智香の居所はまだわかりませんか?」
「申し訳ありません。交友関係も調べたんですが、どの方の家にも行っていないようでして…」

遼佑も仕事どころではなく、合間を縫っては智香探しに全力を尽くしてたが、3年という月日が空いている分、隠れられる場所は限られているはずなのだが、どうして見つからないのだろう。

「智香が一番親しかった長谷部さんのところへも行っていないというのが、妙に引っ掛かるんだ。俺が後で直接会って話を聞いてみるよ」

もしかしたら、何かしらの事情を知っているかもしれない。
遼佑は、藁をも掴む思いで彼女に直接会いに行くことにした。

+++

―――これから、どうしよう。
兄嫁であるお義姉さんにだけは心配しないようにと連絡を入れているが、携帯には連日のように両親や兄、そして遼佑からのメールや電話の着信が後を絶たない。
新(あらた)の友人という女性の持ち物である高原リゾートの別荘を借りているものの、このままずっとここに潜んでいるわけにもいかず。
何で、こんなことになっちゃったのか…。
よく考えてみれば、智香が逃げ隠れする理由はどこにもなくなっていたのだから、堂々と戦っても良かったはず。
結婚だって無効にできるのに、こんな子供みたいなことをしている自分が情けなくもなってくる。

「それもこれも、遼佑が早く見つけに来ないからっ。出るに出れなくなっちゃったんじゃないのっ」

八つ当たりもいいところだが、元はと言えば遼佑が全部悪いんじゃない。

「ごめんな。早く見つけてあげられなくて」
「えっ…遼佑、何で…」

―――遼佑が、どうしてここに…。
見間違いじゃないわよね?

リビングの入口の壁に寄り掛かって微笑んでいる彼は相変わらずいい男ではあったが、心なしか疲れているように感じたのは気のせいだろうか…。


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