あずさは、一人アパートに帰るとそのままダイブするようにベットに寝転んだ。
――― 一磨が、SEIKEの家の息子だったなんて…。
それより、どうして隠していたの?
『言っとくけどな俺はお前と遊びでなんかで付き合うつもりはないからな、覚悟しろよ』
一磨に言われた言葉を思い出す。
あの時、言ったことに嘘はなかったと思う。
でもSEIKEのような立派な家の人が、あずさみたいな一般庶民と釣り合うはずがない。
これから、どうすればいいのか…。
これ以上付き合うわけにはいかないと頭の中ではわかっていることだったけれど、実際心の奥底まで入り込んでしまっている一磨のことを簡単に諦めることなどできるはずがない。
そんなことを考えながら、ウトウトしかけたところに玄関のブザーが鳴った。
―――こんな時間に誰よ。
とても出る気にはなれなかったが、あまりにしつこいのでどうせ勧誘か何かだろうと、重い身体を引きずるようにして玄関に行き、勢いよくドアを開けた。
「ちょっと、しつこいわね。勧誘だったらお断り!!」
と言い切ったところでよく見ると目の前に立っていたのは勧誘でもなんでもない、スーツ姿の一磨だった。
きっと、会社帰りにそのままここへ来たのだろう。
「仮にも愛しい彼氏を勧誘扱いは、酷いな」
苦笑しながらそう言う一磨にあずさは何と言っていいかわからない。
―――どうして、ここに来たのよ…。
一磨の言う通り愛しい彼氏のはずだったが、今はなぜか会いたくなかった。
そんなあずさの複雑な表情を読み取った一磨は、わざと気付かないフリをして勝手に中に上がりこんでしまった。
「ごめんな、こんな時間に来て」
「そんなこと…」
コーヒーを入れにキッチンに行こうとしたあずさを、やんわりと一磨が静止した。
神妙な面持ちの一磨にあずさも黙ってそれを受け入れた。
「あずさに話さなきゃならないことがあるんだ」
あずさにはそれが何なのかすぐにわかったけれど、できれば聞きたくない。
「もう知ってると思うけど、俺の親父はSEIKEグループの社長をしてる」
「そんなすごい人が、何で私なんかと付き合ってるの?もしかして、魔が差したとか」
わざと一磨の話を遮るようにあずさが口を挟む。
「そうじゃない。あずさ、俺の話をちゃんと聞いて」
「そんな話、聞きたくない!」
あずさは、思わず両耳を手で押さえた。
―――こんなことを言うつもりなんてなかった…でも、こうでもしなきゃ一磨は私から離れてくれない。
『あずさ―――』
一磨はあずさの耳にあてられた手に自分の手を重ねるようにして、ゆっくりと握り締める。
「あずさ、お願いだから俺の話を聞いて」
あまりに悲しそうに言う一磨に、さすがのあずさもこれ以上は何も言うことができなかった。
「ごめん、隠していたわけじゃないんだ。ただ、話せばあずさのことだから絶対俺から離れていくって思ってどうしても言えなかった。俺言ったよな、あずさに自分の気持ちを伝えた時、遊びで付き合うつもりはないって」
それは、あずさだってわかっている。
だからと言って、この状況でそれをそのまま受け入れることはできないだろう。
「あずさ、あずさは俺がSEIKEの人間だってわかったら俺のこと嫌いになっちゃうのか?」
「え?」
俯いていた顔を反射的に上げると、一磨の切なそうな顔が視界に入る。
―――お願いだから、そんな顔しないで…。
嫌いになんかなるはずがない。
こんなにも大好きなのに―――でも。
「そうよ、一磨の言葉なんて信じられない。だってそうでしょう?仮に一磨が私のことを本気で好きだと言っても、こんな関係長く続くわけないもの。一磨は大企業の御曹司で私は一般庶民、そんな二人が付き合えるわけない」
一磨の目が大きく見開かれたのがわかる。
あずさだってこんなことを言うつもりはなかったけれど、こうでも言わないと自分から離れていってくれないから。
「あずさ、それ本気で言ってる?確かに俺はSEIKEの人間で、こればっかりは変えようがない。でもそれとあずさと付き合うことに何の関係があるんだ?俺もあずさも、お互いが好き合っていればいい話だろう」
「そんな簡単な話じゃないでしょう?もういいっ、帰って!」
「あずさっ」
一磨に握られていた手を振り解くと、あずさは逃げるように寝室に入ってドアの鍵を掛けた。
「あずさ」と何度も呼ぶ声とドアを叩く音が暫く聞こえていたが、少しして玄関のドアが閉まる音がして一磨は諦めて出て行ったようだった。
あずさはベットにうな垂れると声を押し殺すようにして泣き続けたが、いつの間にかそのまま眠りについていた。
一磨にはあずさが言った言葉が本気でないこともちゃんとわかっていた。
ああ言えば、一磨が自分から離れていくと。
―――そんなこと絶対しない、するもんか。
+++
一磨は、久しぶりに実家の門をくぐっていた。
自分の家ながら、どうもしっくりこないのはなぜだろうか?
などと思いつつも、玄関のドアを開けて父親のいるであろう書斎に足を向ける。
この家は並外れた屋敷にも関わらず、昔から家政婦というような者はおいていなかった。
全て祖母と母が食事を作り、掃除洗濯もする。
SEIKEは元々祖父が一代で築き上げた会社だったこともあって、器は大きかったが中身は一般の家庭と同じ、お客様に贅沢な時間を味わってもらうにはどうしたらいいのかを常に頭に描いていたから、内情は至って質素だった。
家に入っても祖母にも母にも会わなかったのが不思議だったが、どうやら買い物に出ていたようだ。
父には、電話で話があると伝えてあったから多分いると思うけれど…。
少し不安を抱えながらも書斎の前で足を止めた。
自分の父でありながら、大企業で何万人という社員を預かる社長である。
本人はそんなつもりはなかったようだが、一磨は子供の時からそれを身体で感じていたのだ。
コンコン―――。
数回ドアをノックすると、中から「どうぞ」という低い声が聞こえた。
そっとドアを開けると、机に向かって何やら書き物をしていた父の背中が視界に入る。
「父さん、久しぶりです」
「一磨か、待っていたよ」
一磨の声に振り返った父がにっこりと笑う。
50代半ばのわりにそれよりも幾分か若く見える。
少し髪の毛にも白髪が混じってきたが、まだまだイケテル方だと一磨は思った。
「忙しいところ、突然来てしまってすみませんでした」
一磨は、置いてあったソファーに腰を下ろした。
「何、他人行儀なことを言っているんだ。息子が親に会いに来るのに遠慮などする必要はない」
父は電話で息子から話があると言われて声にこそ出さなかったが、ものすごく嬉しかったのだ。
一磨は兄の手前、小さい時から自分を押し殺していた部分が多く、我侭も言わずものわかりのいい子だった。
唯一の我侭と言えば、SEIKEに入社せずに一般企業に入ったことだろうか。
兄の琢磨も、これを聞いた時にはひどく残念がっていたのを今も思い出す。
仲のいい兄弟はいつだって一緒だったのだから、SEIKEで共に仕事をするのも当然のことと考えていたのにこれを聞かされた時の驚きは大きかった。
それでもまだ、父としては一磨をSEIKEに入れることを諦めてはいなかったのだが。
「それにしてもどうした?話があるそうだが」
「はい。結婚したい女性がいるので、会っていただきたいのですが」
父が驚いたことは言うまでもない。
まさか、一磨が結婚したい女性がいるから会って欲しいなどと言うとは思いも寄らなかったからだ。
「そうか、お前もそういう年頃になったということだな。で、相手の女性はどんな人なんだ?」
「とても明るくて可愛い人です。同じ会社に勤めていますが、でも名の知れた家の人ではありませんので…」
一磨の言いたいことは、父もわかっていた。
会社を継いでいないとはいえ、一磨もSEIKEの人間である。
妻になる人が一般の人であることに多少ながらも口を挟む者がいることは確かだった。
「今度、家に連れて来なさい。それより、もうその女性のご両親には挨拶に行ったのか?」
こんなにあっけなく会うと言ってくれるとは思わなかった一磨は、少し拍子抜けしていた。
「いえまだ…実は、彼女にも言っていないんです」
「どうしてまた」
相手の女性にもまだ結婚のことを言っていないというのに、どうして先に父のところへ来たのか…その理由がわからない。
「僕は、彼女にSEIKEの人間だということを言っていませんでした。それを言えば彼女が自分から離れていってしまうとわかっていたからです。でも、つい最近それを知られてしまって」
「だから、先に結婚の承諾を得てしまおうということか」
父に先を越されて、一磨はただ黙って頷いた。
普通、SEIKEの名前を出されて飛びつく者はいても、離れていく者はいないのではないか?
父には不思議でならなかったが、だからこそ一磨が結婚まで考えるような相手である余程の女性なのだろう。
「母さんと琢磨には、話したのか?」
「まだ…まず、父さんに話してと思ったので」
「早く言ってあげなさい。でないと、後で私が恨まれる」
『何で、私よりあなたが先に知ってるの?』『一磨、水臭いぞ親父には話しておいて、兄の俺に黙ってるなんて』と口々に言う姿が目に浮かぶようだ。
「わかりました」
「たまには、何もなくても顔を出しなさい」
「はい」
父のこんなに穏やかな顔を今まで見たことがない。
一磨は、父が何も言わずにあずさに会ってくれることが何よりも嬉しかった。
―――後は、あずさだけか…。
どうやってあずさをここへ連れて来るか、頭を悩ませながら実家を後にした。
◇
あれから何度かあずさの携帯に電話を掛けたものの、一磨の番号は着信拒否されているようで繋がることはなかった。
―――あずさも頑固だな。
などと関心している場合ではなくて、何とかして家に連れて行かなければ。
あの後、母と兄に電話で結婚のことを告げると予想以上の反応が返ってきて、大変だったのだ。
母からは毎日のように催促電話は掛かってくるし、なんと兄に至ってはどんな子なんだと会社にまで押しかける始末。
仮にもSEIKEの専務たるものが、会社をほったらかしていいのかと問うと、『仕事より大事なことだ』などとしれっと言い切られて返す言葉も出なかった。
しかし、今の一磨にはあずさを家に連れて行く手段が見つからない。
―――さて、どうしたものか…。
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