すっかり潰れてしまった律花をタクシーに乗せて、綴(つづり)は仕方なく自分のアパートへ向かう。
律花の家は二子玉川にあると聞いてはいたものの、正確な場所まではわからない。
本当はこんなふうに一緒にいたら、理性が利かなくなるから避けたかったのだが…。
綴(つづり)のアパートは用賀駅から徒歩10分のところにある、10畳ほどのワンルーム。
会社が補助を出してくれなかったら、綴(つづり)の年齢でこんないい物件にはとても手が出せなかっただろう。
「チーフ、大丈夫ですか?今、水持ってきますから」
肩に手を掛けて律花を部屋の中まで入れると、ツーシーターのソファーに座らせる。
インテリアのほとんどは二子玉川にあるショップで揃えたものばかりのシンプルな部屋だったが、綴(つづり)はこれをとても気に入っていた。
キッチンへ行くと冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、グラスに注いで持って行くと律花はすっかりソファーに横になって、眠っていた。
寝顔を見る限りではまだ20代と言ってもいいくらい幼く見える。
そして何よりも透き通るように白い肌に、吸い寄せられるように無意識に手が伸びた。
頬からぷっくりと膨らんだ唇を指でなぞると、綴(つづり)の手の上に律花の手が重なった。
思わず反射的に手を引っ込めようとしたが、既にそれは彼女によって捕まえられていた。
律花は、綴(つづり)の手を重ねたまま、頬へスライドさせる。
しかし、律花は目を瞑ったままだ。
「チーフ」
綴(つづり)は反対の手に持っていたグラスを小さなローテーブルの上に置くと、彼女の名を呼んでみたが言葉が発せられる気配がない。
―――寝ぼけているのだろうか?
「チーフ、起きてるんですか?」
「南雲君の手って、大きくて気持ちいい」
ゆっくりと律花の瞼が開くと、目の前にあった綴(つづり)の視線と絡み合う。
「そうですか?俺は、チーフの肌が、すべすべして気持ちいいって思ってますけど」
「手入れしてないから、カサカサなのに?」
「そんなことないですよ」
お肌の手入れさえも最近めっきり、疎かになっていることに気付かされる。
綴(つづり)の手を名残惜しそうに離すと、律花はゆっくりと体を起こした。
「大丈夫ですか?水飲んで下さい」
「ありがと」
冷たい水が、喉越しを通ると気持ちいい。
「ごめんね、なんか迷惑かけて」
「気にしないで下さい。俺こそ、勝手に自分の家に連れて来てしまって。俺、ソファー使いますから、チーフはベッドで寝てください」
「私は、ここで構わないから」
責任取ってなどとは言っても、ここまで迷惑をかけるわけにもいかない。
「いえ、女性をこんなところに寝かすわけにはいきません」
「気にしないで。だったら、一緒にベッドに寝よう?」
「はっ?!」
まさかひとつのベッドに一緒に寝ようなどと言われるとは思ってもみなかった綴(つづり)は、素っ頓狂な声を上げて固まった。
セミダブルだから二人で眠れないこともないが、さすがにそれはマズイだろう。
「大丈夫よ。私、寝相悪くないと思うから」
「そういう問題では…」
綴(つづり)だって、若き男性である。
それに意識している女性と同じベッドに寝るなどということは、普通に考えても理性を保てるはずがない。
マスターは律花のことを鈍いと言っていたが、まさか…。
すると律花が自分の着ていたジャケットを脱いで、ブラウスのボタンに手を掛けた。
「ちょっと、チーフ?!」
「何?着たままじゃ、シワになっちゃうでしょ?」
―――そりゃ、そうだけど。
だからって、こんなところで脱がなくても…。
ブラウスも脱いでしまい、キャミソール越しにブラと胸がチラりと見える。
―――うわっ、めっちゃナイスバディ。
律花は、線はものすごく細いが、出るところはバッチリ出ているナイスバディの持ち主だ。
目の前で服を脱ぐ女性をマジマジと見ているなんて変態みたいだが、なぜか視線を外すことができない。
そして、律花はストッキングに次いでスカートも脱いでしまった。
「チーフ、いくらなんでもそれはマズイですって」
さすがの綴(つづり)も、律花から背を向けた。
―――これって、ものすごくヤバイ。
俺は、どうすりゃいいんだ…。
「ほら、南雲君もスーツ脱がないと寝れないでしょ?」
―――うわっ、お願いだからやめてくれっ!
という綴(つづり)の言葉など届くはずもなく、律花はジャケットを脱がせてネクタイをスルリと外すとワイシャツのボタンに手を掛けた。
「チーフ、それはやめてください。俺が、自分でしますから」
「いいから」
―――いいからって…。
ちょっとチーフ、キャラ変わってないか?
酒に酔っているのか、それにしても大胆すぎる律花の行動に綴(つづり)はどう対応していいかわからない。
取り敢えず、自分で脱ぐからと説得してスーツを脱いだ。
Tシャツとトランクス姿というなんとも間抜けなスタイルの綴(つづり)の手を取って、律花はベッドに連れて行く。
もうこうなれば半ばヤケッパチの綴(つづり)は、それに大人しく従い律花に寄り添うようにしてベッドの中に入った。
肌と肌が直に触れ合って心臓がドキドキしっぱなしの綴(つづり)だったが、それに比べて律花と言えばすっかり綴(つづり)の胸で安心しきった顔で眠ってしまっている。
―――これじゃあ、生殺しだろ…。
なんて綴(つづり)の嘆きが、今の律花に届くはずもなく…。
小さく溜め息を吐くと、綴(つづり)も知らぬ間に眠りにおちていった。
◇
次の日の朝、綴(つづり)が目を覚ますと律花は綴(つづり)の胸に顔を埋めて眠っていた。
寝相は悪くないと思うからの言葉通りだなと思ったが、そういう問題ではない。
果たして、昨晩の行動を自分で覚えているかどうか…。
いきなり起きて…。
『南雲君、何で?!どうしてこんな格好で、私達抱き合って寝てるわけ!!』
みたいに詰め寄られても困る。
―――さて、どうしたものか…。
そっとベッドを抜け出そうと試みたものの、綴(つづり)は壁に沿って寝ていたために律花を起こさずに出るのは難しい。
いっそのことこのまま、眠ったフリをするか…。
などと思考を巡らせていると、律花が目を覚ました。
綴(つづり)は反射的に目を瞑って、寝たフリを試みる。
―――え…何で南雲君がここに?っていうか、私達マズくない?!
律花は、今の自分が置かれている状況を頭の中でゆっくり整理してみる。
昨日は綴(つづり)と一緒に帰って、行きつけの店に誘って飲んだまでは覚えているが…。
その後が、いまいち思い出せない。
う〜ん、そうだ。
酔って、眠ってしまったんだった。
それを綴(つづり)がタクシーで家まで連れて来てくれたんだけど、ソファーでどっちが寝るかという話になって、律花が一緒にベッドに寝ようと誘ったのだ。
律花は酔うと行動がいつもの5割増しで、大胆になる。
これもずっと隠してきたことだったのだが、昨日はなんだか気が緩んだのか思いっきり地を出してしまった。
―――南雲君、私のこと軽蔑してるわよね。
あ〜ぁ、こんなんで週明けから仕事できないじゃない。
せっかく、営業から来てもらったのに…。
律花は、綴(つづり)を起こさないようにそっと起き上がるとベッドの上に正座をして眠っている綴(つづり)に向かって『ごめんなさい』と謝った。
「私ったら、まったくいい歳こいて何やってんのよね。酔った勢いとはいえ、南雲君ごめんなさい」
そう言い終えてベッドから出ようとしたところを、綴(つづり)に腕を引かれて再びシーツの波に引き込まれる。
「うわぁっ、やだ!南雲君。起きてたの?」
「俺、チーフが昨夜のこと覚えてなくて、怒られるって思ってました」
綴(つづり)の顔がすぐ目の前にあって、律花は一気に顔を赤く染める。
「怒ったりなんかしないわよ。迷惑かけたのは私の方だし、ほんとごめんね」
「いいえ、おかげですごく楽しかったです。チーフの意外な一面も見られましたしね〜」
「げっ、それどういう意味よ」
意味深な言い方をする綴(つづり)に、実はものすごく意地悪男かもしれないという予感が走る。
「でも、俺以外の他の男の前で服を脱いだりしないでくださいね。チーフ、無防備過ぎです。あれじゃあ襲ってくれって言ってるのと同じですよ」
「はい…すみません」
「それに今だって、俺を誘ってるんですか?」
確かにこんな格好で、若い男性とベッドにいるなんて…。
―――だけど、誘ってるってねぇ。
「ちっ、違うわよ。そんなわけないでしょっ」
「チーフ、赤くなってますよ?可愛いなぁ」
「なっ」
何言ってるのよという律花の言葉など届くはずもなく、綴(つづり)はクスクスと笑っている。
―――もうっ、何よ!
「南雲君って、結構意地悪よね」
「そんなことないですよ。俺、女性には優しいし、特にチーフには」
「嘘、それ絶対嘘」
―――優しいって言ってるけど、そんなことない。
それに特にチーフにはって、どういうことよ。
「本当です。こんなこと言うの、チーフにだけですから」
「え?それ」
どういう意味?
「俺、チーフのことずっと見てました。営業にいたから接点とか全然なくて、でもたまに見かけると目で追って。それが突然インターネット部門に異動って言われて、すっごく嬉しかったんです」
綴(つづり)は今までどんなに綺麗だとか可愛いと言われる女性を見てもなんとも思わなかったのに、律花を見た時だけは全く違ったのだ。
その思いに気付くのにだいぶ時間がかかったが、それが恋だとわかったのは律花が営業部に何度か足を運ぶようになってからだった。
いつの間にか目で追っている自分、そして心の中でどんどん大きくなっていく律花の存在。
そんな時に降って湧いたようなインターネット部門への異動話。
大学では工学部の情報通信を学んではいたが、まさか異動の話が出るとは思ってもみなかった。
それも律花の話では、彼女自身が綴(つづり)を引き抜いたと言っていた。
確かに異動の話が出る前に何度も営業部に来ていた律花を見かけてはいたものの、自分のためにとは想像すらしていなかった。
叶わぬ恋と知りながら律花の側にいられる幸せを噛み締めつつ今まで過ごしてきたが、どうにもならない自分にもどかしさを覚え、逆に側にいることが辛いようにも思えてきた。
せめて仕事の上だけでも力になれたらと、それさえも力及ばない自分に腹も立つ。
「だけど、俺こんなだからそういう嬉しい気持ちとか表に出せなくて、自分の気持ちも言えないまま終わるんだってずっと思ってました。でも、今なら言えます。チーフが、好きです」
「え…ちょっ、ちょっと待って。南雲君、冗談でしょ?」
―――好きって…。
急にそんなこと言われても困るっていうか、ほんとにほんとなの?
「冗談なんかじゃありません。俺がそんな男じゃないって、チーフならわかってくれますよね」
普段、無表情で無反応の綴(つづり)が冗談でもこんなことを言うとは思えない。
しかし、だからといってこの状況はどう受け取っていいのやら…。
大体、ベッドの上でこんな格好の二人なのにそういうシチュエーションで告白もないだろうに…。
「そっ、そうなんだけど。でも、南雲君が私なんかを好きっていうのが信じられないんだもの」
「だったら、どうしたら信じてくれますか?」
―――どうしたらって、そんなことわかるわけないじゃない。
「どうしたらって言われても…とにかくお互い服を着ましょう。この状況はちょっと」
「ちょっと、何ですか?」
―――うぅ…やっぱり南雲君って、意地悪だ。
こんな7つも若い男の子に振り回されてる私も私なんだけど。
「だって南雲君、会社とあまりに違いすぎるわよ」
「そうさせたのは、チーフですから」
「何で、私なの?」
―――どうして私?それ、ちょっと納得できないわね。
「俺がソファーで寝るって言うのに一緒にベッドで寝ようなんて言うし、いきなり服は脱ぐし、いくら俺でも好きな女性を前に理性だってギリギリ保ってるんですからね」
「だから、服を着ましょうって言ってるじゃない」
「話が逸れてますね。ところでチーフは、俺のことどう思ってますか?」
「どうって…そんなの決まってるじゃない」
―――単なる部下に決まってる。
それ以上でも、それ以下でもない。
「それは、仕事上チーフの部下だということですか?」
「そうよ。他にないでしょ」
心なしか綴(つづり)の表情が曇ったのが律花にもわかったが、他に言いようがないのだからしょうがない。
「今からでも俺のこと、部下ではなくて1人の男として見ることはできませんか?」
ふと昨日の夜のことが、律花の頭を過ぎる。
今まで自慢にはならないが、数人の男性と付き合った経緯はあってもここまで本当の自分をさらけだした男性は多分いなかったはず。
肩肘張らずに過ごせたのも、綴(つづり)が初めてだろう。
一緒に仕事をするようになって3ヶ月が経つが、まともに話をしたのは昨日が初めてだった。
それなのに…認めたくはないが、きっと綴(つづり)ならという思いが律花の中にまったくないとは言い切れない。
でも…ここで素直にうんと言えるほど、律花は若くない。
「俺はいつまで経ってもチーフに追いつくことはできないかもしれませんが、好きという気持ちだけは誰にも負けないつもりです。俺にはチーフ、谷野 律花さんが必要なんです」
ここまで言われて嫌とは言えないけれど、今の律花にはやはりうんと言って綴(つづり)の胸に飛び込むことも躊躇われる。
「あージレったい。何をそんなに悩む必要があるんですか?律花さんは、黙って俺のことを好きになればいいんです」
業を煮やした綴(つづり)は、マスターのちょっと強引に押し進まないとだめの言葉を思い出して、とんでもないことを口にしていた。
「わかったわよ。その代わり、浮気なんかしたら許さないんだからね。それとこんな三十路をとうに過ぎた女に告白するんだから、それなりの覚悟はすること。いい?」
「もちろんです。絶対、離すつもりなんてありませんから」
綴(つづり)は嬉しさのあまり、律花を腕に抱きしめた。
お互いの格好をすっかり忘れていたが、肌が直に触れあい慌てて離れようとする律花を綴(つづり)は離さなかった。
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