その声が好き
<寝顔>


「ふぁ〜」

―――あぁ〜眠い眠い…。
山口君を朝起こすのは、ほんっと大変だわぁ…。
ふぁ〜。

「朝から、何あくびばっかりしてるのよ」
「だってぇ、また朝一番の出張だったんだもん」

ふぁ〜と会話しながらもあくびが絶えない日菜子に、親友も呆れ顔だ。
あの時は、彼のことを『誘惑された』なんて誤解して…一時はどうなるかと思ったが、今はうまくいっていて本当に良かったと思う。
だけど、あんなに素敵な彼がいるっていうのにこれはどうなのよ。

「いいじゃない。あんなに素敵な彼氏なんだから、朝くらい起こしてあげなさいよ」
「朝くらいってねぇ。朝の弱いあたしにとっては、大変なんだから。だいたい、何でいっつも朝一番なのかしら?」

―――まったく、どうしていっつも朝一番の会議なのかしらね?
こう毎回じゃあ、体が持たないわよ。
またあくびが出そうになったが、親友の目が怖かったから、グッと引っ込めた。

「こればっかりは仕方ないわね、男の人は大変なのよ。せいぜい、彼のために尽くしてあげなさいね」
「はいはい」

―――そうよね。
あたしは朝起こしてあげるだけだけど、山口君は遅くまで会議で大変なんだもの。
こんなところ、見せるわけにはいかないわ。

そうだ!週末だし、こっそり山口君の家で夕食でも作って待ってよう。
きっと驚くわ。

+++

「彼女か?」

出張先の会議を終えて帰宅の途につこうとしていた智弘が離れた場所で携帯をチェックしていると、同行した同僚がチラッと覗き見る。
ずっと会議室に籠もりきりで携帯を見る暇もないほどだったから、何通かの日菜子からのメールが何よりも嬉しかった。

「あぁ。もう少し会議が終わるのが早かったら、週末だし食事にでも誘うつもりだったんだけど」
「そっか。今から帰ったんじゃな。だったら、ちょっとどうだ?みんなで一杯やろうって話になってさ」

出張になると朝が早ければ電話で彼女が起こしてくれるから声を聞くことはできるが、顔を見ることはできない。
今日は週末だから一緒に食事でもと思ったのに、この時間ではそれも無理。

「そうだな。じゃあ、一杯やるか」

日菜子に会議が終わったというメールを打つと、智弘はみんなで夜の街へと繰り出して行った。



―――遅いなぁ、山口君。

18時頃、『今、会議が終わったところ』というメールを受け取ったから、そろそろ帰って来てもいいはずなのに…。
時計は、既に22時を回っていた。

―――それにしても、お腹空いた…。
ぐぅ〜。
山口君と一緒に食べようと思ったから、作った料理には一切手を付けていない。
料理はあんまり得意じゃないけど、彼のために頑張った…つもり。
それなりの味には、なっているはずだと思う。

―――早く返って来ないかなぁ。
ふぁ〜。
今朝は早起きした後、二度寝をしなかったからお腹は空いていはいたものの、それよりも睡魔の方に負けてしまう。
いつしか日菜子はテーブルにうつ伏せると、心地いい夢の世界へと導かれて行った。

…◇…

その頃、智弘はというと…。

………危うく、終電に乗り損なうところだった。
ついつい飲んでしまい、気が付けばこんな終電ギリギリの時間。
彼女とせめて電話で話でもと思ったが、朝も早かったし、もう寝ているはず。

………そう言えば、石川の寝顔ってどんな感じなんだろう?

寝起きの『おはよう』って声を聞いてみたいと言ったのがきっかけだったけど、寝顔も見てみたい。
きっと、可愛いんだろうなぁ。
笑顔も可愛いけど、寝顔もそうに違いない。
寝言なんかも、言ったりするのだろうか?
彼女のことだから、言いそうだなぁ。

この時、電車の中で智弘を見た人は絶対変な人だと思ったに決まってる。
逢えなかったことはちょっと残念だったが、日菜子のことを考えている時の智弘はとても幸せだった。

+++

ポケットから鍵を取り出すと玄関のドアを開ける。
………あれ?電気が点いてる。

玄関先に揃えて置いてあったヒールを見て、すぐに日菜子が家に来て待っていたことを知った智弘は、急いで部屋の中へ入る。

「石川、来てたのか。ごめん、遅くなって」
「・・・・・・・」
「石川?」

名前を呼んでみるも、返事がない。
どうしたのだろう…不安が過った智弘だったが、それは彼女がテーブルにうつ伏せて眠っている姿を見て解消された。

「寝てるのか」

帰りの電車の中で想像した通りだったなと思いつつ、見てみたかった彼女の寝顔。
小さく寝息を立てながら、本当に気持ちよさそうに眠っている。
長い睫毛、すっと通った鼻筋にぷっくりとした唇、それに何よりも、木目細やかで真っ白な肌に目が釘付けになる。
想像したのより、遥かに綺麗な彼女の寝顔。

ずっと見ていたかったけれど、このままでは風邪をひいてしまう。

「石川、起きろよ。こんなところで寝ていたら、風邪ひくぞ」
「う〜ん」

ムニュムニュ…。

………うっ、可愛い。
ヤバイ、どうしよう…。

あまりの可愛さに、智弘は思わず日菜子を抱きしめてしまう。
そんなことをすれば、彼女が驚くだろうことも考えずに…。

「えっ。やっ、山口君っ。帰ってたのっ??」

寝ぼけてるのかなんなのか、目をまん丸に見開いている日菜子。

「何度も呼んだし、風邪ひくぞって言っても全然起きないからさ」
「お帰りなさい。ごめんね、すっかり眠っちゃって」
「ただいま。俺こそ、石川が来てくれるなんて思わなかったから」

抱きしめられて、すぐ側に彼の顔があったけど、ほのかにアルコールの匂いがする。
この時間に帰宅と言うことは、みんなで飲んできたのだろう。

「飲んだ?」
「わかる?」
「うん、ちょっとだけアルコールの匂いがする」
「みんなに一杯って誘われてさ。石川が待っててくれるなら、まっすぐ帰って来たのにな」

テーブルの上には、彼女の手料理が並んでいる。
仕事仲間と飲むのもそれはそれでいいけれど、こんなふうに彼女が待っていてくれるなら、やはりすぐに帰って来るんだった。

「内緒にしてて、驚かせようとしたの」
「でも、いいものを見せてもらったから」
「いいもの?」

―――いいものって、何かしら?
あたしには、さっぱりわからないんだけど。

「石川の寝顔」
「え…」

寝顔…。

「俺さ、石川の寝顔見たいなって思ってたんだ」
「やだぁ」
「大丈夫。ヨダレは、出てなかったから」
「えっっ…」

あたしは慌てて口元に手をあてたけど、もうっ山口君ったら、趣味悪い〜。
―――え…もしかして、あたし寝言なんて言ってなかったでしょうねぇ。

「あたし、変なこと言ってなかった?」
「変なことって?」
「えっ、だから…えっと…」

智弘としては自分の名前を寝言で言ってもらいたかったが、残念ながらそれは叶わなかった。
取り敢えず今回は何も寝言を聞くことはできなかったけれど、彼女の様子からは何か言うのだろうか?

「もしかして」
「えぇ、あたしやっぱり言っちゃったの?」

―――うそぉ…。
あたしったら、山口君の前で言っちゃったの?

日菜子は、よく寝言で言ってしまう言葉がある。
それは…。

「うそだよ。残念ながら、聞けなかった」
「えっ、ほんと?」
「あぁ」
「もうっ、意地悪なんだから」

ホッとしている日菜子だったが、智弘は心の中で囁くように言う。
………今夜ゆっくり聞かせてもらうよ、石川の寝言。

「今夜、泊まってくんだろう?ゆっくり聞かせてもらうから」
「げっ…」

鍵はもらっていたけど、まだ智弘の家にお泊りしたことがなかった日菜子。

うわぁ〜ん、どうしよう…どうしよう…。

そんな慌てふためく日菜子の唇に、智弘は軽くくちづけた。


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