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「おはよ」
「おはよう。ごめんね、せっかくの休みに付き合せちゃって」
あたしの家まで来てくれたあいつは、「そんなことないよ。可憐ちゃんとデートできるんだから」なんて、冗談っぽく言いながらも案外嬉しそう。
デートって言うのは微妙なところなんだけど、女の子の買い物に付き合わされるのはどうなんだろう?
面倒って思わないのか、その辺のことがよくわからない。
お母さんに遅くならないように帰って来るからとあたしが言うと、『平井君が一緒なら、いいわよ』って。
あいつのことは、なぜかものすごく信用してるのよね。
ショッピングの場所に選んだのは、チープで可愛い物がいっぱい売っていて若い子達が集まる街。
あたしもお買い物をする時は、いつも真比呂や優奈と一緒にここへ来る。
だけど、相手があいつとなると何だか勝手が違うのよね。
「可憐ちゃんは、買い物をする時はいつもここ?」
「うん。安くて可愛い物がいっぱいあるから。平井は、ここへは来ないの?」
「俺?あんまり来ないかも」
「そうなんだ」
―――あぁ、やっぱり。
ってことは、せっかくお礼に何かをって思ったけど、それをここで選ぶのは難しいってことかなぁ…。
洋服を選んでもらうっていうのを口実に誘ったはいいけど、あたしったら場所を間違った?
「でも、何か嬉しいな」
「え?」
「だって、可憐ちゃんがいつも買い物してるところに俺が連れて来てもらえてさ」
…中学から少しの間付き合っていた吉田とは、ここへ来たのだろうか?
そんな思いが過ぎらなくもなかったけれど、今は自分以外の男とこうして肩を並べて歩くこともないはず。
「平井はここへは来ないんでしょ?つまらなくない?」
「全然」
「ほら、どんな洋服を買うんだい?」って、あいつは嫌な顔一つしないであたしに微笑み掛ける。
「うん。ワンピースが欲しいんだけど」
「ミニスカは、ダメだからね」
「えぇ?ミニが可愛いのにぃ」
アヒルみたいに口を尖らせたあたしにあいつったら、「俺が隣にいる時だけならいいよ」なんて。
『何でよー』って思ったけど、隣にいてくれるんだって思ったら心が温かくなった気がした。
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「可憐ちゃん、こんなのどお?」
「ん?げっ」
洋服を一緒に選んで欲しいからっていう理由であいつを誘っていたから、先にあたしが目を付けていたワンピースを売っているショップに足を運ぶ。
なのにあいつったら、すっごい露出度の高い、それも薄いベビーピンク色でスケスケ〜なキャミソールワンピを手にしてニヤニヤ顔だし…。
―――何よぉ、たった今ミニスカは、ダメだからねって言ったばかりなのにぃ。
そのワンピースの方がよっぽど、ミニスカじゃないの。
隣にいる時はいいとかなんとか言ってたけど、それよりもあたしったら、つい意地悪心が働いて…。
「あっ、それ着て合コンとか行ったら、注目浴びちゃうかな」
「え…合コン」
―――あぁ、あいつったら、ウロタエテる。
あいつの持っていたワンピースをあたしは奪い取るようにして、自分の体に合わせてみる。
確かに露出度は高いけれど、上にカーデとかボレロとかを羽織れば意外に普通にも着られそうだし、何よりそれ自体は胸元のコサージュがすごく可愛いから。
「似合う?」
「似合わないっ」
「どうしてよぉ、これがいいって言ったの平井でしょ?」
「別のがいい。ほら、可憐ちゃんが気になってたやつは?」
「ん?えっとねぇ」
何か上手く誤魔化されたような気がしたけど、ハンガーに掛かった服を順番に探していって、「これなの」と見せると、あいつはホっとした表情に。
あたしが迷っていたのは、袖がパフスリーブになっていてレースが付いた小さなリボンで襟元を結ぶお嬢様風のワンピース。
裾にもレースが付いていて、丈も膝小僧が隠れるくらいだから、きっとあいつも安心したんだと思う。
―――でも、あたしに似合うかな。
可愛らしいのって、何だか似合わないような気がして…。
バイト料が入ったら買おうっていうのもあったんだけど、迷った理由はそこだった。
「ねぇ、似合う?」
ワンピースを体に合わせて聞いてみる。
―――あぁ、でも「似合わない」って即答されたら、どうしよう…。
さっきのは冗談で言ってみたことだからいいけど、本命を却下されたら、いくら相手があいつでも凹むわよぉ。
そんなあたしの気持ちを知ってかしらずか、あいつはジーっとあたしとワンピースを見つめたまま…。
「似合わない?」
「ううん、そんなことないよ。すっげぇ可愛いから、可憐ちゃんがそれ着て歩いたら男の視線を集めちゃうなぁって、心配になっただけ」
「え?」
そんなお世辞を言ったって、何も出ないのにねぇ…。
だけど、真顔で言われるとこっちが恥ずかしいじゃない。
なのにあいつったら、平気な顔してあたしのこと見てるし。
「ちょっと、試着してみてもいい?」
「ごゆっくり、どうぞ」と微笑むあいつにあたしは「うん」と頷くと、店員のお姉さんに言ってフィッティングルームの中に入った。
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「どうかなぁ、似合う?」
「・・・・・」
―――ん?何よ、あいつったら黙りこくっちゃってぇ。
さっきは似合うって言ってくれたのに、実際着てみたらそうじゃなかったってこと?
腕を組んでじっとあたしを見つめたまま、あいつはピクリとも動かない。
「ねぇ、平井?」
「あっ、あぁ」
「あぁ、じゃなくって。似合わない?」
「いやっ、そうじゃなくって…」
―――何よぉ、はっきり言いなさいよぉ。
「もうっ、はっきり言って」
「だから、似合ってる」
「えっ?」
「めちゃめちゃ、似合い過ぎ…」
―――は?
やだっ、そんな本気モードで言わないでよぉ。
聞いたのはあたしだけど、恥ずかしいじゃない。
あいつったら、マジな顔してそんなことを言うもんだから、どうしていいか困っちゃう。
すると店員のお姉さんが、すかさず聞に入ってくれた。
「彼氏似合うって言ってくれて、良かったわねぇ。ほんと、すっごい似合ってるから」
「これね。人気高いんだけど、実際着てみると意外にみんな似合わなくて諦めて帰っちゃうのよ」とお姉さん。
『よっ、商売上手!!』と、思わず声を掛けたくなっちゃうわね。
「ありがとうございます」
彼氏は違うけど、という突っ込みはさておいて、お姉さんの言うようにあいつに『似合う』って言ってもらえて嬉しかった。
迷ってたけど、あいつに付き合ってもらって良かったかも。
あたしはそれに決めると、バイト代で支払いを済ませる。
初めて自分で働いて買ったものだったから、感慨もひとしお。
「ありがと」
「ん?俺は、何もしてないけど」
あいつとあたしは、肩を並べてブラブラと街を歩く。
自分の物は買ったけど、果たしてあいつへのお礼は一体、何にすればいいんだろう?
そこへ目に留まったのは、可愛いものがいっぱい売ってる雑貨屋さん。
「ちょっと、見てもいい?」
「あぁ、ごゆっくりどうぞ」
いつものようにおチャらけて言うあいつに、甘えるようにあたしはお店の中に入る。
お揃いのマグカップとか、小物入れとか、見ているだけでこっちまで楽しくなってくるようだ。
「あっ、これ」
「なぁに?」
あいつが手に取ったのは、よくわからない何かのキャラクターなのか、イモムシみたいのに手足が付いたキーホルダー。
女の子バージョンはスカートをはいていて、男の子バージョンは蝶ネクタイを締めている。
「これさぁ、可憐ちゃんに似てる」
「え…」
―――こんなイモムシにあたしが似てるの?
それって、ヒドクない?!
「ほら、この大きな目とか」
「目が大きいだけじゃない。そしたら、こっちの男の子バージョンは平井?」
―――あぁ、似てる似てる。
舌をペロっと出してるとこなんか特に。
あたしはあいつの顔の横に、男の子バージョンのイモムシみたいなキーホルダーを持っていって見比べる。
「似てる似てる」
「そうか?じゃあ、俺、それ買おっかな」
「そうだ!これ」
あたしはあいつが持っていた女の子バージョンのキーホルダーを彼の手から取ると、自分の持っていた男の子バージョンのキーホルダーと一緒に手にしてレジに向かう。
こんなのじゃ、お礼にも何にもならないけど、店員のお姉さんに頼んで綺麗にラッピングしてもらった。
「はい。これ」
「いいのか?」
「うん。バイトの時、いつも迎えに来てくれたお礼。こんなので、申し訳ないけど」
「ううん、ありがとう。でもさ、これって可憐ちゃんとオソロ?」
「何それ」
ブっと噴出したあたしにあいつは嬉しそうに微笑みながらそれを受け取ってくれて、でも後で家に帰って開けて見たら、男の子バージョンがあたしのところに来ていて、女の子バージョンがあいつのところへ。
だけど、そのキーホルダーを見る度にあいつのことを思い出して…。
あたしは家の鍵を取付けて、毎日大事に持ち歩くのでした。
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「ねぇねぇ、かれん〜。平井君とは、どうだったのぉ?」
「デート」と、ニヤニヤしながら優奈と真比呂が、早速あたしを見つけるなりやって来たが、それはまるで獲物を射程圏内に捕らえた獰猛な獣のようだった。
「どうって?」
「何よぉ、すっ惚けて」
あたしがあまりに素っ気ない返事をするものだから、真比呂ったらちょっとおもしろくなかったみたい。
だって、ここでどういう顔をすればいいのよねぇ。
迷ってたワンピースもあいつが似合うって言ってくれて無事買えたし、残念ながらこの二人が期待していた下着は選んでもらわなかったけどね。
そして、お礼も安いものになっちゃたけど一応渡すことができた。
お揃いのキーホルダーは、ちゃあんとあたしのカバンの中に入ってるし。
「で、お礼はできたの?」
「まぁね」
「そっか、良かったじゃない」
「うん…」
「何、浮かない顔してんのよ。お礼はできたんでしょ?」
すっきりしないあたしに優奈が、心配そうに問い掛ける。
まぁね、お礼はできたにはできたのよ。
でも…あいつが欲しいと言っていた『可憐ちゃんのキス』は、まだ…。
「えっ、あぁ…うん」
「だったら、何かあったの?」
「ううん、そんなことないよ。ほら、もう授業始まっちゃう」
運良く鐘が鳴り響き、暫くしてからガラガラッと戸が開いて先生が入って来た。
二人に余計なことまでツッコまれなくてホッとしたけど…。
何で、こんなことが引っ掛かるんだろう。
日直の号令で席を立って挨拶すると、教科書を開いて気持ちを切り替えた。
◇
今日のシフトはいつもより少し遅いから先に帰った真比呂と優奈を見送ると、あたしは一人学校で時間を潰していた。
だあれもいない教室で席にポツンと座っているのは、何だか妙に寂しい。
―――そうだ。
キスって、自分からする時はどうするんだろう?
テレビのドラマなんか見てると、なんかこう顔を傾けてたような。
だけど、あたしが右に傾けたとしても、相手もそうするとは限らないわよね?
普通、キスは男の人が先にするってイメージがあるから、どっちに倒したかで自分も合わせるのかなぁ。
あたしはあいつの顔を思い浮かべながら、あっちこっち顔を傾けてみたけれど、イマイチよくわからない。
―――あっ、あれで。
あたしは思い出したようにカバンの中からお揃いのキーホルダーを取り出すと、ジッとそれを見つめる。
舌をペロッと出したイモムシは、あいつにそっくり。
えっとぉ、あいつが右に傾けたらあたしはこっちにぃ。
そっと静かに瞳を閉じて顔を近付けると、ヒヤッとしたものがほんのちょっぴり唇に触れた。
あの時のファースト・キッスはこんな感じじゃなくてあっという間だったし、まさかっていうのもあったから、されたことすら理解するのに時間がかかったのよね。
何で、あいつがって思ったけど…。
フッとなぜか笑いが込み上げてきて目を開けると―――げっ。
「なっ、なっ何でっ」
いつの間にか、すぐ目の前に机の上に両肘を付き、その上に顎を乗せて微笑んでいるあいつが…。
「可憐ちゃん、何してんの?」
「えっ、何って…」
―――やだぁ、いつの間にいたのよぉ。
先に帰ったんじゃなかったの?
全然気付かなかったのは、キスの練習に夢中になっていたからだろうか。
穴があったら入りたい…って、こういうことを言うのね。
あたしはカーッと顔が熱くなって、その場に俯くことしかできなかった。
「なぁ」
「なぁったらぁ」とあいつはあたしに話し掛けるけど、顔を上げることなんてできない。
「可憐ちゃんったらぁ」
「何よ、バカみたいって思ってるんでしょ」
「あ?そうじゃなくてさぁ…」
―――何よ、はっきり言いなさいよ。
どうせ、あたしはバカですよぉ〜だ。
少しだけ上目遣いに視線を向けると、真剣に見つめるあいつ。
その顔はものすごく真剣で…すっと伸びてきた手が、あたしの顎に触れると上向かせる。
視線が絡み合って、なぜか金縛りにあったみたいにあたしの体は全然動かない。
「ほら、目を瞑って」
「え?」
「いいから」って言われても、何で?
どんどん、あいつの顔が近付いてきて…。
あたしったら、知らないうちにあいつとは反対の方へ顔を傾けていて、言われた通りに目を閉じていた。
そのすぐ後に柔らかいものが唇に…どれくらいそうしていたのか、時間にして数秒だったはずなのにあたしにはものすごく長いものに感じられた。
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「可憐ちゃん、おっはー」
相変わらず、朝あいつは能天気にあたしの家に迎えに来る。
『何が、おっはー』よ。
昨日、あんなことをしておいて…。
そりゃあ、バイトの帰りにもこんなふうに迎えに来てくれるあいつへのお礼の希望が“キス”だったんだから仕方ないんだけどぉ。
だけど、ファースト・キッスもあいつでよ?付き合ってるわけでもないにねぇ。
「おはよ」
「何だよ、朝から元気ないなぁ。俺が、元気の出るキスしてあげよっか?」
「は?いらないわよっ、そんなのっ」
「あぁ〜可憐ちゃん、赤くなってるぅ」とかいって、あいつはワザと顔を覗き込むようにして冷やかす。
冗談だってわかってるんだけど、変なこと言うからっ!
「うるさ〜い。もう、あたし先に行くから」
「照れちゃって可愛いなぁ、可憐ちゃんはぁ」
「あーうるさい、うるさいっ」
「あっち行ってよー」と言っても、あいつはピッタリくっ付いてくる。
―――もう、何でそうなのよ。
あたしなんか構ってないで、誰か彼女でも見つけなさいよ。
だいたい、あのキスは何だったの?
平気な顔してるけど、普通キスとかって好きな人としかしないものでしょ?
あいつは、あたしのこと…。
そんなわけない。
だって、いっつもこんな感じでおチャラけてるし、でも…。
「ねぇ、 平井」
「ん?どした」
自分から声を掛けておきながら黙り込んでしまったあたしに「可憐ちゃん?」と近付いて来るあいつ。
「あたしのこと―――やっぱり、何でもない。ほら、電車行っちゃう」
やっぱり、聞けない。
ううん、聞かない方がいいんだと思う。
「何だよ〜可憐ちゃん」と後ろから追い駆けて来るあいつ、今のこの感じがあたしは好きだから。
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