「彩(ひかり)、いつまで寝てるのっ。もう、お昼よ」
「はぁ〜い」
「今、起きますよぉ」と最後はひとり言のように呟きながら、「よっこいしょ」と彩(ひかり)はベッドから起き上がる。
自称、お見合いというものをしてから早一週間が過ぎていたが、未だに返事をしていない。
このまま、放っておいたら自然消滅するんじゃないかという、流れに任せてある意味なるようになるさ的な行動はよくないとわかっていても、付き合うにしても断るにしても、面と向かって言うのは苦手。
というか、自分は断らないと先手を打っておいて、最終決断をあたし一人に押し付けるのはどうかと思う。
「彩(ひかり)っ」
「はいはい。今、行きま〜す」
着ていたパジャマ兼用の部屋着のまま、寝癖でピンと立ったままの髪も気にせずに一階のリビングへと向かった。
階段を下りて廊下に出たところで、母とは別のもう一人甲高い女性の笑い声が聞こえてくる。
かと思えば…
「ぎょっ」
「おはようございます。えっと、こんにちはでしょうか?彩(ひかり)さん」
「なななななっ、なんでっ…」
───何でっ、村上さんが家に…それも、シノさんと妙にくつろいでるしっ。
それにっ、出前のお寿司!!
いつの間にっ。
「あなたったら、何て格好なの。せっかく、村上さんがいらしてくれたのに。早く着替えてらっしゃい」
「はっ、はい」
慌てて洗面所で顔を洗って歯磨きを済ませると、部屋に戻って着替えと薄化粧を済ませ、再びリビングへ。
会って2度目で素顔を見られたことは不覚ではあったけど、隠し通せるものでもないし、こんな日常を見たことで彼はこのお見合いをなかったことにするかもしれない。
それはそれで、あたしにとっては踏ん切りがつくというもの。
「お待たせしました。あたしの分のお・寿・司・ぃ」
「この子ったら…」
「30にもなって…私のしつけがなってなかったのね…」海の底より深い母の溜め息が聞こえてきたが、こういう彼女の飾らないところが岳(がく)にとってはツボだとは誰も知るはずがない。
「お寿司なら、たくさんありますから」
「朝もまだなら、お腹も空いているでしょう」と、彼は大きな寿司桶をあたしの前に差し出した。
ウニやいくら、大トロはほとんど手を付けられることなく健在で、母は見栄を張ったのだろう、いつもなら上寿司なのに今日は特上だ。
「いただきます」
恥ずかしげもなく、大トロをパクつく娘に呆れ顔の母だったが、伯母は恐らくあたしが起きるのを待っていたのか、待ってましたとばかりに大好きなウニに手を伸ばすと一口で平らげた。
「村上さんも、どうぞ?ここのお寿司、とっても美味しいですから」
「そうですか?では、遠慮なくいただきます」
あたしの勧めに彼は割り箸をパチンと割ると、真っ先にボタン海老を捕らえた。
───おっと、村上さんは海老好き?
「ほんとだ。この海老、プリプリで甘いです」
「でっしょう?」
すっかり、和んだ雰囲気に母は安堵したのか、お味噌汁を作るわねとキッチンへ入って行った。
───そうだ!!
何かが足りないと思ったら、ビールじゃないっ。
「シノさん、ビール飲みマス?」
「あら、いいわねぇ」
「村上さんも、どうですか?」
「昼間から、いいんでしょうか」
「いいの、いいの」シノさんとあたしの嗜好は、ほぼ同じ。
早速とばかりに、あたしは冷蔵庫にビールを取りに行く。
誰が彼を招いたのか、本人があたしの返事を待ちきれずに来たとは到底思えないけど、多分、普通に付き合っていた彼だったら、こんなふうに家に連れて来ることは結婚間近にならなければマズなかったと思う。
村上さんと付き合うかどうかはまだよくわからないけど、家族みんなが同意した上での相手、お見合いならではの特権なのかも。
あたしは、用意した人数分のグラスにビールを注いでいく。
「お母さん、あたしがやるから座ってて」
「はいはい」
やるからと言っても、既に手際よく母が作ってくれた油揚げとお豆腐のお味噌汁をお椀に入れるだけなんだけど、それでも母は娘が甲斐甲斐しく働く姿を微笑ましく見ていたのだった。
それからは大宴会が始まってしまい、博物館見学に行っていた父は帰って来るなりその光景に一歩引いたほど。
女性3人が集まると強烈だということをわかっているから避難していたと思われる父だったが、村上さんならきっと上手くやっていけるだろうと妙な安心感を抱いたりして。
「村上さん、大丈夫ですか?」
「僕はこう見えても、お酒には強い方なんです」
確かにビールのグラスに何回注ぎ足したかわからないくらいだけど、顔色一つ変わっていない。
そういう、あたしはと言うと、この親にしてこの娘あり!!というくらい強いんですけどね。
母とシノさんはすっかり酔っ払って、和室に寝込んでしまったけれど。
「ちょっと、酔い覚ましに散歩でもしますか?駅まで送って行きますから」
そろそろ、梅雨明けも近いのか、遠くでゴロゴロと雷が鳴る音が聞こえるけれど、彼を駅まで送って帰っても夕立には合わないだろう。
道に咲く色とりどりの紫陽花が、雨を恋しがっているようにも見える。
「あの、お見合いの返事なんですけど」
二人っきりになってしまえば、肝心なことを言わないわけにもいかない。
かといって、彩(ひかり)はここではっきり言える言葉を考えてきたわけではなかった。
でも、このままというわけにもいかないし。
「僕は、彩(ひかり)さんがどう思われても、あなたの気持ちを尊重します。ただ、これでさようならになるのは正直、辛いですけどね」
お見合いだから言っているのではなく、岳の率直な気持ちだった。
今までだって、それなりに女性とは付き合ってきたけれど、仕事以上に想える相手に出会ったことはなかったし、これからもないと思っていたのは事実。
だから、父親の勧める見合いを受けたのだが、実を言うとこの一週間、仕事より彼女の顔を思い浮かべる日の方が多かったのだ。
自分より年上だけど、少女みたいに純粋で。
一緒に居たら、きっともっと楽しいことが待っているはず。
「ごめんなさい。あたしにもよくわからないんです。だから、お返事もはっきりできなくて」
「僕のことが嫌いってわけじゃないんですね?」
「それは…」
静香の言うように彼のことを思い浮かべていたくらいだ。
嫌いになるはずはないんだけど…。
「なら、問題ないじゃないですか。晴れて僕達は恋人同士になったわけですね」
いきなり、あたしの手を握る村上さんをびっくりして見上げたけれど、やっぱり久々に拝んだなと思うほどいい男。
隣に居るのが自分ではもったいないくらいだったが、伝わってくる想いは同じはず。
「今度のお休みに家に来ませんか?やっと完成したんですよ。鉄道模型のジオラマが」
「えっ…」
───ジオラマって…。
ラジコンカーに夢中になっていたかと思えば、今度は鉄道模型…。
彼の家って一体、どんなことになっているのかしら?
見てみたいような、見たくないような…。
それでも、「はい」と言ってしまった自分、もう引き返せないのかもしれない。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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