チュンチュン───
小鳥のさえずりとカーテン越しの薄明かりで目を覚ました彩(ひかり)。
───うぅん?ここは…。
見覚えのない風景に夕べの記憶を辿ってみるが。
えっと確か、静香と定時に会社を出たら…そうだ!!村上さんが立ってて、それでその後…。
流しのタクシーを捕まえ、無言で押し込まれて連れて来られたのは、お化け屋敷も見慣れてきた彼の家。
ということは、ここは彼の…。
ベッドだということは理解したものの、彼の姿はなく、そして自分が生まれたままの姿だったことにハッとなった瞬間。
「おはよう、彩(ひかり)さん」
「ちょうど、起こそうと思っていたところだったんだ」と朝食の載ったトレーを持って部屋に入って来た岳(がく)は上半身裸で、まだ若いからか余った贅肉などどこにも見当たらない。
どころか、引き締まって…。
と考えたところで、またもやハッとなった。
───きっと、ううん、昨晩は間違いなくあの胸に抱かれたんだわ。
肝心なところで夢なのか現実なのか、悔しいことに境目がはっきりしない。
「おはよう」
「お腹空いたでしょ。夕べは何も食べずに二人でベッドに入ってしまったからね」
意味深な言い方をして彼はベッド脇に腰掛けると、オレンジジュースの入ったグラスを彩(ひかり)の前に差し出した。
黙って受け取ったあたしは無言でそれに口を付ける。
ずっと欲しかった“好き”という言葉も抱きしめられたであろう温もりも、酔っていたわけじゃないのに記憶にないなんて…。
「どうしたの?」
心配そうに肩を抱く岳(がく)に彩(ひかり)は頭を凭れさせた。
ベーコンエッグにクロワッサン、カフェオレをベッドまで持って来てくれる彼、確かに甘い時間だし、自分が望んだ理想の朝の目覚めに近いと思う。
思うけれど、何かが違うのは大事な部分が抜け落ちているから。
「あたし達、その…」
「僕にとっては最高の時を過ごしたと思ってるんだけど、彩(ひかり)さんはそうじゃないのかな?」
───あたしだって、そうだと思いたいけど…残念ながら、覚えてないものはしょうがないじゃない。
そう、素直に言っていいものか。
彼のことだから、ガッカリしないだろうか…。
「あの…あのね」
正直に話そうとしたが、「ごめん、そろそろ行かないと」と彩(ひかり)のおでこに触れるキスを落として部屋を出てしまった岳(がく)。
どうしてこう、思うようにことが運ばないのだろう。
それは彩(ひかり)だけのことであって、彼にとっては…。
───そういう、あたしも着替えなきゃ。
無断外泊したことを親は怒るどころか喜ぶに違いないが、何か腑に落ちないのは彩(ひかり)だけだろうか?
◇
昼休み、12時の鐘が鳴ったと同時にダッシュして、行列ができるラーメン屋さんにやっとのことで席を確保したというのに…。
深刻な表情の彩(ひかり)の顔の前で、何度も彼女の名前を呼びながら手をヒラヒラと上下させる静香。
しかし、目線は一転を見つめたまま。
…夕べ、何があったか知らないけど、こりゃあ相当重症ねぇ。
「ちょっとっ。彩(ひかり)ったら、無視してないで反応しなさいよ」
「何度も呼んでるのに」とさすがに痺れを切らした静香は、あたしの頭を指で小突く。
「痛っ〜い」
大げさに痛がってみるが、彼女の突き刺さるような鋭い視線には敵うわけもなく何事もなかったように振舞う彩(ひかり)。
そんなキマヅイ状況の時にナイスなタイミングで、「へいっ、お待ちっ」と威勢のいい声と共に二人の前に湯気が立ち上るラーメンのどんぶりが置かれた。
昔ながらの醤油ラーメンが食べられる店として人気があるこの店には、月に数回は必ずといっていいほど足を運ぶ。
───あぁ〜美味しそう、これよこれっ。
「はい」とあたしから割り箸を受け取った静香は「ありがと」とお礼を言うと、それをパンっと勢いよく割った。
「いっただきま〜す」
食い気には勝てなかった静香も、取り敢えず目の前にある美味しいものに有り付いてから真相究明することにする。
だけど、あるものだけがどうしても苦手。
それを無言で箸で掴むと、そっと彩(ひかり)のどんぶりに移す。
「何で、いっつも食べないの?メンマ。美味しいのに」
「食わず嫌いってヤツ?」
「たけのこは、好きなんだけどね」と言いながら、まずスープを飲んでから麺をすする静香。
いつもながら、濃厚でいながらあっさりとした醤油味が絶妙でたまらないなと思う。
「で?医者とは、上手くいかなかったわけ?会社まで迎えに来てくれたってのに」
ズルズルっと音を立てながらも、肝心なことは忘れていないらしい。
わかりやすいというか、なんというか、仮面がかぶれないそういうあたしの行動を見れば誰だってツッコミたくなるのかもしれない。
───でも、上手くいかなかったというのはどうなんだろう?
少なくとも、彼の方は二人の関係が上手くいっていると思っているはずで、しっくりこないのはあたしだけ。
「多分、上手くいってるんだと思う。昨晩は彼の家に泊まったし」
「は?な〜んだ。深刻な顔してるから、てっきり別れ話でも出たのかと心配しちゃったじゃないの」
「ほらっ、医者なんて遊んでるだろうしさ」と確かにあの顔を見て上手くいっていると思う方が珍しい。
あたしは好きなものから先に手を付けるタイプだが静香は反対らしく、既に彩(ひかり)のどんぶりからは姿を消していたこの店自慢の分厚いチャーシューが彼女のどんぶりの中央にまだ鎮座していた。
「やっぱり、スゴかったんでしょ?って、聞くだけ野暮よね。だから、珍しくフレックスなんて使ってたんだろうしぃ」
「ぶっ、そういうこと。真っ昼間から、こんな場所で言わないでよ」
直球過ぎるお下劣な話題に思わず噴出しそうになった彩(ひかり)だったが、フレックスを使ったのは一旦家に帰って着替えたら始業に間に合わなかっただけの話、それよりも良かったのか悪かったのか、スゴかったのか、全くわからないから困ってるわけで…。
───それを言ったら、またツッコまれるんだろうなぁ。
彼はどんなふうにして、あたしを高みへと上り詰めさせたのだろう。
そして、どんな甘い囁きを口にしたのだろうか。
何で、こんな肝心なことを覚えてないのよぉ…。
後悔の念に駆られているあたしを他所に「あぁ、ごちそうさま」と満足そうに箸を置く静香。
そして今度こそ、彼は婚約指輪を買いに行く日取りを連絡して来るに決まってる。
このまま、流れに乗って結婚してしまうのは嫌だと思いつつも、昨晩のことをもう一度やり直したいと告げる勇気もない彩(ひかり)。
なんとしてでも、思い出さなければ。
そのためには、どうすればいい?
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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