君だけに
Story19


一週間のバイトも今日で最終日。
ようやく美春との時間が持てる、それだけで顔がニヤケてしまう恭のところへ弥生が近付いて来た。
そんな顔を見られないように、急いでいつもの無表情に戻る。

「恭くん、ちょっとだけいいかしら?」
「はい。どうかしたんですか?」
「あのね。うちのプロダクションの人が、沢木さんって言うんだけど、恭くんに話がしたいって」
「プロダクション?」

弥生が振り返って見た先には女性が1人席に座っていて、2人の視線に気付き小さく手を振っている。
プロダクションと言うと、弥生が所属している芸能プロのことなのだろう。
そんな人が、恭に一体何の話がしたいというのだろうか?

「そうなの。ちょうどお客さんも切れたところだし、ちょっとだけお願い」

この店のオーナーの娘である弥生にお願いされて断るわけにもいかず、恭は渋々女性のところへ足を向けた。

「お仕事中、ごめんなさいね。あなた、今日でここのアルバイトが最終日だって聞いたものだから急いで来たの」

サングラスを掛けているから顔はよく見えないが、かなりの美人だと恭は思った。
名刺を差し出されたが、しかし、こんなので仕事ができるのか?と疑ってしまうくらい長い爪に、キラキラとラインストーンがいっぱい付いている。

「いえ。それで、石田プロダクションの沢木 羽奈さんが俺に話ってなんですか?」
「そう急かさないで。でもあなた、あの時とは全然違うのね」
「あの時?」

羽奈は、恭に断りを入れると煙草に火を点けた。
あの爪であまりに器用に指を使うものだから、つい目が釘付けになってしまう。

「そう。3日前だったかしら?仕事でここに立ち寄った時にあなたを見たの。その時は、誰か知り合いが来てたみたいだったけど、もっと優しい表情をしてたわよ?」

3日前と言えば、美春とルミがこっそり店に遊びに来た日のことを言っているのだろう。
―――そりゃ、そうだ。
俺は、美春にしか笑わないんだから。

「俺は、いつもこうですが」
「そうなの?そういうところも、別の意味で魅力的だけど。でね、まず確認。あなた、まだどこの事務所にも所属していないのよね?」
「所属?あり得ないですね」

―――俺が、そんなところにに所属するわけないだろう?

「よかった。あなたほどなら、どこかの事務所に先を越されたと思ってたんだけど。だったら、うちのプロダクションに来ない?」
「はぁ?」
「本当は俳優としてすぐ使える素材だと思うんだけど、取り敢えず初めはモデルってことでどうかなぁ。絶対、売れると思うのよね」

―――なんで、俺がモデルなんぞをやらなきゃならないんだ。
まして俳優なんて、いい加減にしてくれ。

「そんな話なら、お断りします。俺、仕事がありますので」
「待って。そんな簡単に決めないでよ」

立ち上がろうとした恭を慌てて羽奈が引き止める。
彼女にしてみれば、せっかく見つけた原石なのだ、ここで逃すわけにはいかなかった。

「返事はすぐでなくてもいいから、考えてみてくれない?」
「考える必要なんてありません。そういうの興味ないし、だいいち俺は人前でヘラヘラするのは好きじゃないんで」

そう言うと今度こそ、恭は席を立って仕事場である厨房に戻って行った。

「恭くん、沢木さん何だって?」

恭の表情を見て心配そうに声を掛ける、弥生。

「プロダクションに入らないかって」
「やっぱり。恭くん、すっごく目を引くのよ、だから当然かなって思って。で、どうするの?」
「断りました」
「え?」

意外という様子の弥生に、恭の方が意外だった。
―――そういうのに憧れているやつなら別だけど、普通断るだろう。

「もったいないわよ、恭くん。まだ若いんだし、やってみたら?プロダクションのことなら安心だし、それは私が保証する」
「俺には無理です。人前で笑ったりとかできないし、そういうことが好きじゃないんで」

確かに無表情なところはあるが、それが一層彼の魅力を引き出しているのだと弥生は思った。
そんな恭が、美春にだけ見せる優しい笑顔。

「無理に笑うことなんてないと思うんだけど」
「え?でも…」

笑うことはないと言われても、そういうわけにはいかないだろう?

「恭くんの魅力は、笑わないことだと思うの。そこがいいんじゃない」
「そういうものですか?」
「そうよ。沢木さんも、それはわかってるんじゃない?美春ちゃんと話してる時に目をつけたみたいだけど、きっと今の恭くんも気に入ってると思うのよね」

弥生の言う通り、羽奈は恭の二面性に、より一層興味を持っていた。
だから、絶対に諦めるつもりはない。

「そんなことを言われても…」
「ゆっくり考えてみたら?私も初めはやる気なかったんだけど、やってみたら楽しいし、色々勉強にもなるから」

恭には自分がそういうことをするとはとても考えられなかったので、その時は曖昧な返事を返すことしかできなかった。

+++

あっという間に夏休みも終わり、新学期が始まって少しずつ秋めいてきた頃、いつものように恭と美春が学校の門を出ようとすると1台の車が2人の前に止まった。
運転席の人物を見て恭の顔色が変わったが、美春の手を取ると恭は車を避けて歩いて行ってしまう。

「ねぇ恭ちゃん、知ってる人?」
「ううん、知らない人」

恭の顔を見て知っている人なのかと美春は思ったが、どうもそうではないらしい。
暫く歩いていると、さっきの車が二人を追い越して再び停車した。

「早乙女君、待って」

羽奈が、急いで車から降りて来た。
すっかり忘れていた恭だったが、相手はまだ諦めていなかったよう。
―――あの人、こんなところまで来たのかよ。
これじゃあ、美春に知られちゃうじゃないか。

あの日のことは、美春には話していなかった。
自分にはその気もなかったし、話す必要もないと思っていたから。

「なんなんですか?こんなところまで来るなんて。俺は、断ったはずなんですが」
「そう言わないでね?ちゃんと考えてよ」
「きちんと考えて、言ってるんですが」

二人の会話がさっぱり見えない美春は、恭の手をちょんちょんっと引っ張った。

「美春、ごめんな。帰ろう」
「でも、恭ちゃん」
「いいんだよ」

「行こう」と恭は美春の手を引いたが、羽奈が美春の腕を掴んで引きとめる。

「待って、彼女に聞いてもいいかしら?」
「え?何言ってるんですか、美春は関係ないんです」
「美春ちゃんって、言うの?可愛いわね。あっ、あなた」

カフェで恭を見掛けた時、話していた相手が美春だったと思い出したのだ。
―――そう、この子の前だとあんな顔するんだ…。
羽奈は意味深な笑顔を向けると、なにやらよからぬことを考えていることに恭も美春も気付くはずもなかった。


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