君だけに
Story8


翌朝はよく晴れ渡った絶好のアウトドア日和、そしてこの合宿一番のメインである山登り。
山登りといってもそんなにきついものではなく、ハイキングという方が合っているかも知れないが、なだらかな山道を3時間ほどゆっくり歩くというもの。
各班で好きなルートを通って、最終目的地の湖を目指す。

「美春。気をつけないと、この山には熊が出るらしいぞ?」
「え?うそ…どうしよう、恭ちゃん…」

―――くっくっくっ…。
美春は、この手の話が大嫌い。
まぁ、熊が絶対に出ないとは言い切れないが、ここはいわゆるハイキングコースで人通りも多い。
よほど道を外れさえしなければ、熊に遭遇することはまずないだろう。
でも、美春は恭の話をすっかり信じてしまってる。
その様子を見ていたみんなもあまりに美春が可愛くてつい笑みがこぼれるが、それにしてもこんな素直な子を騙すなんて恭は意地悪だなぁと思ってしまう。

「そんなことあるわけないでしょ?早乙女くん、どうしてそういう意地悪なこと言うのよ」

見かねた遙が恭にひと言、渇を入れる。

「恭ちゃん、騙したのっ?」
「騙したなんて人聞きが悪い。俺は、“らしいぞ?”って言っただけだし」
「そんな言い方されたら、あたしだけじゃなくって誰だって信じるでしょ」
「いや、美春だけだな」
「え…」

周りを見ると確かに誰も騒いでいない。
それどころか、ルミなんか笑いを堪えているし…。

「美春ちゃんは、気にすることないのよ。こんな意地悪な人は、置いて行きましょう?」

千春は恭をひと睨みした後、女子4人は男子を置いて先に出発する。
その後姿を見ていた恭と雄太に一年の男子二人。

「なぁ。河合って可愛い顔して、結構怖いよな。彼氏がいるのかどうかわかんないけど、ありゃ大変だな」

雄太の言ったひと言に同意を込めて頷く恭。
確かに千春はものすごく可愛いが、たまに怖い時もあって、この恭に向かって睨みをきかせられるのは、彼女だけかもしれない。
唯一男女を越えて話しのできる友達だとは思っていたが、彼氏の話は聞いたことがなかった。
恐らく、あの容姿なのだからいるだろうが、一体どんな人なのか?なんてことを考えつつも、男子4人は女子の後ろにぞろぞろと付いて行く。
その時、根津先生が盛大なくしゃみをしていたなんて…誰も知らない。



恭達の班は、川沿いを登って行くというコースを選択。
途中にある滝が見たいという女子からの要望で、男子はそれに従うしかなかったというわけだ。
みんなでワイワイ話しながら歩いて行くと段々空気が冷やりとしてくる。
う〜ん、まさしくマイナスイオン。

「わぁっ、滝」

美春の声にみんなが一斉に前方に目を向ける。
ここにある滝は、高いところからバーッと豪快に水が落ちてくるようなものではなく、横に長くて細い糸のように水が流れ落ちる繊細なもの。
そして、滝の裏側を歩くことができるのだ。

「滝の裏側を見るのなんて、初めて」
「俺も」

美春と恭は、横に並んで滝の裏側に立つ。
人が一列に並んでやっと通れるくらいの幅しかないため、水しぶきが体にかかるが、歩いて火照った体には心地いい。

「美春、知ってるか?これって、裏見の滝って言うんだ」
「裏見?」
「そう。裏側から滝を見るから、裏見の滝」
「へぇ。恭ちゃん、物知り〜」
「まぁな」

自慢げな恭に『さすが、恭ちゃん物知りだなぁ』と関している美春だったが…。
すぐ後ろにいた雄太が、口を挟む。

「それ、俺が教えてやったんじゃないか」
「そうだったか?」
「なんだよ。まるで、自分が知ってたみたいによぉ」

これはさっき歩きながら雄太が恭に教えた話だったが、実は雄太もその前に同じクラスの男子が話しているのをこっそり聞いたのだった。
要するに二人の知識なんて、そんなものだということ。

「な〜んだ。恭ちゃんの嘘つき」
「嘘ってなんだよ。俺は、別に嘘なんてついてないだろう?」

すぐに「恭ちゃんの嘘つき」と美春のマネをしながら追い討ちを掛けるように言う雄太。

「雄太、うるせぇよ」
「恭ちゃん、怖〜い」
「うるせぇ、つってんだよ」

さっきから、株が下がりっぱなしの恭だった。



上りも過ぎて後は下るだけとなった頃、段々と雲行きが怪しくなってきた。
朝はあれほど天気がよかったのに、山の天気は変わりやすいということなのだろうか?
小さくだが、ゴロゴロという音が聞こえてくる。

「美春、大丈夫か?」
「うん…」

美春は、雷が大嫌い。
あれは美春が小学生の時のこと、両親が留守にするからと恭の家で預かったことがあった。
今日と同じように朝は雲ひとつない快晴だったのに午後になって梅雨の終わりを告げるかのように急に雷が鳴り始めたのだが、美春はよほど怖かったのか恭に抱きついて離れなかった。
すぐに虹まで出るほど空が明るくなっても恭から離れなくて、母親に散々冷やかされたのを思い出す。
それは、高校生になった今も変わらない。

「もうすぐ湖に着くはずだから、なんとか大丈夫だろう」

その時、恭はそう言ったのだが、それからすぐに空一面が真っ黒い雲に覆われてポツポツと雨が降り出した。
その瞬間、稲光と共にものすごい音が辺りに響き渡る。

「きゃーっ」

美春だけでなく、他の女子も声を上げた。

「恭、このままじゃ、歩いて行くのは無理だ。取り敢えずどこかに避難しよう」
「そうだな。あの岩の下に行こう」

雄太が、みんなを集めて大きな岩の下に移動する。
美春は耳に手を当てたまましゃがみこんでしまっていたが、恭に抱きかかえられるようにして連れて行かれた。

「恭…ちゃん…怖…い…」
「美春、大丈夫だからな。俺がついてる」

小刻みに震える美春の体を覆うようにして恭が抱きしめる。
何度も美春に向かって『大丈夫だ』と言い聞かせるように言うと、不思議と安心できた。

―――恭ちゃんの体って、ガッシリしていて大きかったんだ。

最近はこんなふうに抱きついたりすることもなかったから、恭がすっかり大人の男の人になっていることに美春は気づいていなかった。
耳元にかかる吐息と、微かに香る恭の匂い。
なぜだかわからなかったが、美春の心臓は急に激しく鼓動を打ち始める。
今は、雷よりも恭の存在を意識してしまう美春だった。


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