君だけに
Story9


「みんな、大丈夫だったかい?」

目的地の湖に到着すると根津先生が、駆け寄って来た。
他にもあの場所にいた班もあったのだが、恭達の班が最後だったから心配していたのだ。

「はい。みんな、大丈夫です」

班長の雄太が、先生に何もなかったことを報告するとホッとした表情の先生。
そして、一瞬だけど千春の方へ目を向けるとお互い目で合図する。
二人のことを知っているのはここにいる遙だけだったが、先生はみんなのことを心配しつつも実は千春のことが気になって来たのだなと密かにほくそ笑む。
しかし、あんなにすごい雷と雨だったのが嘘のように今の空は晴れ渡っていた。

「美春ちゃん、怖かったね」
「うん」

怖かったと言うわりにルミが嬉しそうなのは、気のせい?

「でもね、高津さんが『大丈夫だから』って声を掛けてくれてね。手も握ってくれたんだ」

怖かったのは本当だろうけど、雄太に優しくされたことの方がルミには嬉しかったよう。
―――ルミ、顔が緩んでるわよ?

「よかったね」
「そういう美春ちゃんは?なんか、いい感じだったじゃない。こう、早乙女さんに肩なんか抱いてもらっちゃって」
「え?」

―――やだ、見られてたの?
ルミは、恭にしっかりと抱きかかえられていた美春を見逃さなかった。

「いいなぁ、美春ちゃんは早乙女さんに愛されてて」
「愛されてるって…」

―――そうなのかなぁ…。
あの時の恭ちゃんは優しくて、でも頼りになってすっごくかっこよかったけど、それはいつもと変わらない。
あれは自分にだけ向けられているものなの?そうあって欲しいと思うのは我侭なのかな?
ただ、なぜだかわからなかったが、今も思い出すと心臓がドキドキし始める美春だった。

+++

今夜の食事は、近くの河原で各班に分かれて作ることになっていた。
メニューはお好み、まぁだいたいこういう場合はカレーと相場は決まっているのだが…。

「美春、包丁なんて持ったことあるのか?」
「恭ちゃん、失礼ね。あるに決まってるでしょ?いっつも、お母さんのお手伝いしてるんだから」
「へぇ。美春の手伝いって、片付け物をするだけじゃなくて?」
「もうっ。恭ちゃんは、どうしてそういう意地悪ばっかり言うのよっ」

恭の言うことは3割当たっていたが、それを悟られないように言い返す。
お母さんが危ないから見ていられないと、包丁を持たせてくれないとはここでは言わないことにする。
そんな美春と恭の会話を聞いていた遙が、ルミのところに寄って来て興味津々という様子で聞いてくる。

「ねぇねぇ、あの二人って付き合ってるの?」

ずっと聞きたくてうずうずしていたのだが、なかなかチャンスがなかったのだ。

「いえ。多分、まだ…」
「えっ、そうなの?てっきり、そうなんだと思ってた」
「あたしも」

そこに千春も加わって、驚きの声を上げた。
どんなに可愛い子に告白されても付き合わない。
女嫌いとか、もしかして雄太と…などという噂も流れたが、美春が入学してきてからの二人を見て、納得できたところもあった。
なのにまだ付き合っていないとは…なんとなく、美春を見ていればそれもわからなくもないけれど…。

「恭ちゃんも、大変なんだよ」

そこへ、なぜか雄太までも加わってくる。

「高津くん、やぁね。女の子の話を盗み聞きなんて」
「盗み聞きなんてひどいこと言うねぇ、永井さん。聞こえちゃったんだから、しょうがないだろう?」

ちょっとふて腐れる雄太だったが、どうも遙には弱い。
というか、女の子には弱いのだけど…。

「ねぇ、高津くん。早乙女くんの何が大変なの?」

その先の話が聞きたかった千春が、急かすように問う。

「まぁ、見ての通りだけどさ。美春ちゃんにとって恭は、まだお隣に住んでる優しいお兄さんなんだろうな。だけど、恭は違う。それを口に出せない辛さは、俺にも痛いほどわかるよ」

雄太は恭が美春を想う気持ちを知っているだけに、二人を見ていると正直辛い部分もある。
早く恭の気持ちに美春が気づいてくれれば…。
そう願わずにはいられないのだが、彼女にはまだ早すぎるのかもしれない。

「そうなんだ…。早乙女くんって、見かけによらず一途なのね」
「だな」

千春と雄太が、しみじみ恭の想いに浸っていると…。

「そういう、高津くんもいい人じゃない。見かけによらずね」
「なんだよ、見かけによらずって。永井さんさっきから、俺はいい人だろう?」
「そうよね。いい人なのにどうして彼女ができないのかしら?」
「河合さんまで…」

散々やり込められている雄太を見て、ルミがクスクスと笑っている。

「でも、ルミちゃんは違うわよね」
「え?」

いきなり千春にふられたルミは笑いを止めるのが精一杯で、思わず変な顔になってしまった。

「ルミちゃん可愛いから逃げられないよう、高津くん頑張らなきゃね」
「千春そうなの?そっかぁ、高津くんはルミちゃん狙いだったのね」

二人にやり込められて、言葉を返せない雄太に顔を真っ赤にして俯いているルミ。
明日のダンスパーティーが楽しみだわと心の中で思っている、千春と遙だった。



さっき、恭に『美春、包丁なんて持ったことあるのか?』と言われて、名誉挽回と美春はにんじんの皮むきに悪戦苦闘。
そんな時…やはり、慣れないことをやるものではないということで…。

「痛っ〜い」
「どうした?美春」

隣でしゃがむようにしてお米をといでいた恭が、美春の声に慌てて立ち上がる。

「うん、包丁で指を切っちゃった」
「どれ、見せて」

人差し指から、血が出ている。
恭は、迷わず美春の手を取るとその指を口に銜えた。

「やっ、恭ちゃんっ」

恥ずかしさのあまり美春は手を引っ込めようとするも、しっかりと恭に握られてそれを許さない。
恭の行動に戸惑う美春…。
その後、すぐに根津先生のところに行って傷の手当をしてもらったが、美春には痛みよりそれどころではなかった。


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