メゾン塚田
Story13


「どうした。兄貴が、帆波の体調が悪いって心配してたけど」

会社に着くと、すぐに海が帆波のところへやって来た。
湊の方は、朝から顧客先で会議があるからと会社には顔を出さずにそのまま行っていたのだ。

「大丈夫です。そんなたいしたことじゃないんで」

―――本当は、体調なんてちっとも悪くない。
寝不足以外は、むしろ元気なくらいなのに…。

昨日、湊が家にやって来て咄嗟についた嘘だった。

「そうか?俺には、そんなふうには見えないけど。それとも、兄貴と何かあったのか?」
「いいえ」
「ならいいけど。兄貴、昨日の夜ずっと『帆波ちゃん、大丈夫かな』って言ってたからさ」
「ごめんなさい。心配かけて」
「いや、まぁ無理するな」

帆波の肩をポンっと叩いて、海は自分の席に戻って行った。
その後姿を見つめながら、帆波は自分のことで二人にまで心配掛けていることが心苦しかった。



「帆波、体調悪いの?」
「え?そんなことないけど」
「さっき、日向さん…えっと海さんがそんなことを言っているのを聞いたから」

たまたま通りかかった真由は、海と帆波が話しているのを聞き、心配して来たのだった。

「実はね…」
「どうかしたの?」

なんだかいつもと幾分様子の違う帆波、何かあったのだろうか?

「うん…」
「ちょっと出よっか」

周りの目を盗みながら、真由と帆波はフロアの外に出る。
営業部は日中外に出ている人がほとんどなので、留守番的存在の事務員は少し位抜け出しても何も言われない。
二人はビル内にあるセルフのティーショップに入ると、アイスティーを買って適当に空いている席に座る。

「日向さん、湊さんの方と何か…っていうか、もしかして海さんの方?」

なんとなく真由には海も帆波に気があるように感じていたが、もしかしてそのことで何かあったのか…。

「あたし、自分の気持ちがわからないの。本当に湊さんのこと、好きなのかな。なのに海さんにも…」
「海さんからも、何か言われたの?」
「うん」
「そっか」

真由は短く返事を返しただけで、それ以上深く聞くことはなかった。

「自分の性格が嫌になる。こんな優柔不断っていうか、はっきり気持ちもわからないまま湊さんと付き合って」

そして、海とも…。

「このままだときっと、二人とも傷つけると思うの。だから…」
「帆波」

何があったのか真由にはわからないが、帆波がそこまで考えているなんて…。
初めこそ、湊の押しに負けた部分もあったかもしれない。
それでも、帆波が誰にでも心を許す子でないことを短い付き合いの中で真由は知っていた。
まして、二人の男性と…。
海だって自分の兄と付き合っている彼女を好きになったとしたならば、それなりの覚悟もあったはず。
真剣な想いに違いないのだ。
となると、こればかりは真由にもどう言っていいのか、明確な答えは見つかりそうにない。

そんな真由の困った表情から、帆波は自分自身で解決しなければいけないのだと強く感じていた。

「ごめんね、変なこと言って」
「ううん。あたしこそ、友達なのに全然役に立たなくて」
「そんなことない。これは、あたしがなんとかしなければいけないことだもの」

―――そう、これはあたしがなんとかしなきゃいけないのよね。
帆波はにっこり微笑むと、勢いよく席を立った。



その日は定時まで湊は戻って来なかったため、帆波は一日顔を合わせることなく家路に着いた。
それが良かったのか、悪かったのか…。

カッツン―――。

通り道にあるコンビニで雑誌を眺めているとガラスの叩く音が聞こえ、そこには変な顔をした人が立っていた。
その人物は両目尻を人さし指で伸ばしたり、鼻の頭に指をあてて上に向けたりしている。
暗い表情だった帆波の顔に、思わず笑みが宿る。

「よっ」
「海さん」

店の中に入って来たのは、海だった。
全く気付かなかったが、ここで会うということは同じ電車に乗っていたのだろうか?

「同じ電車だったみたいだな。改札を出たら少し先に帆波が歩いているのが見えてさ」
「早いんですね」
「あぁ、俺は残業しない主義だから」

―――主義って…。
残業しないのは、アメリカ暮らしが長かったからかしら?

「そんなことだと、お兄さんに差をつけられちゃいますよ?」
「兄貴は兄貴。俺は俺流のやり方で、ちゃんと成績を出してみせるさ」

そう言うと、海は適当にミネラルウォーターやらお弁当をカゴの中に入れてさっさとレジに向かう。
それを見ていた帆波は、あまりの早さに驚いてしまう。
彼には迷うとか、悩むといった言葉はないようだ。
特に買うものがあったわけではない帆波は、何も買わずに海と一緒に店を出る。

「あのさ。帆波の元気がないのって、俺のせいなんだろ?」
「え?」

思わずその場に足を止めた帆波の一歩先を歩いていた海が、振り返って立ち止まる。

「俺が、あんなこと言ったから」

海は自分の気持ちを正直に言ったつもりだったが、こんなにも帆波を悩ませることになろうとは…。

「違うの、海さんが悪いんじゃない。あたしが、こんなだか―――」

最後まで言い終わらないうちに、帆波は強い力で海の腕の中に引き込まれていた。
いつの間にか、頬に冷たいものが伝う。

「帆波」

海の手が、優しく髪を撫でる。
こうやって甘えることがいけないのだとわかっていても、今だけは彼の温かい胸に抱かれていたかった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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