―――はぁ…。
何でこんなに溜息ばっかり…出るのかしら…。
つい海に涙を見せてしまったけれど、彼の優しさに甘えてしまいそうになったのをなんとか堪えて帆波は自分の部屋に戻る。
今頃、湊はどうしているのだろうか?
必ずお土産を持って、毎日のようにここに来ては夕飯を食べていく。
それは必ずと言っていいほど、帆波の好きなものばかりだった。
ナンパ男、スケベ男、なんて言っていたけど、本当はそんなんじゃなかったのに…。
ピンポーン、ピンポーン―――
―――え?
どうしよう…。
きっと、いや間違いなく湊に違いない。
ブザーの押し方に特徴のある彼は、すぐにわかるから。
でも…いつまでもこのままというわけにはいかないし、帆波は意を決して玄関のドアを開けた。
「帆波ちゃん、大丈夫?」
「え?」
「体調だよ。さっき、海に聞いたらもう大丈夫だって言ってたんだけど」
「あっ、はい。ごめんなさい、日向さんにまで迷惑かけて」
「帆波ちゃんが元気なら、いいんだ。そうそう、これ買ってきたんだよ。帆波ちゃんの好きなケーキ」
「はい」って差し出されたのは、「Ange」のフルーツタルトだった。
これは、湊が越してきて初めて買って来たもの。
帆波の大好物だ。
「日向さん」
「どうしたの?」
「もう、あたしのことは…」
「放っておいて下さい」という言葉が、どうしても出てこない。
―――こんなだから、いけないの…。
「帆波ちゃん?」
帆波のただならぬ思いを察した湊は、神妙な面持ちで見つめている。
「日向さん、もうここへは来ないで下さい」
「えっ、それって」
「日向さんには、あたしみたいな女は合わないと思います。だから、今日限りにして欲しいんです」
「帆波ちゃんっ、俺のことが嫌いになったの?」
―――そんなこと…あるわけないじゃない…。
海に気持ちを掻き乱されて、本当の想いにようやく気付くとは…。
どうして、初めから彼の想いを本気で受け止めなかったのだろう?
「嫌いとか、そういうことじゃないんです。これは、あたし自身の問題で」
「だったら…だったら、そんなこと言わないで。俺、帆波ちゃんのこと―――」
「もう、決めたことなんです」
湊の言葉を遮るように言い切る帆波。
―――これでいいのよ、これで…。
「ダメだよ、そんなこと。俺は、絶対帆波ちゃんから離れたりしないんだ」
帆波の言葉を無視して、湊は家の中へ入ると帆波を抱きしめる。
それはいつもの優しいものではなく、荒々しいというか怖いくらい激しいもので…。
「日向さんっ…止め…て…」
「止めない。帆波ちゃんが、今の言葉を取り消すまでは」
―――そんな無理、言わないでよ。
せっかく、言えたのに…。
「俺、知ってるんだ。海が帆波ちゃんのこと、好きなの」
「え…」
―――うそ…どうして、知ってるの?
「海は、何も言わないよ。言わなくても、俺にはわかるんだ」
「だったら、尚更」
「帆波ちゃんは、海のことが好きになったから俺と別れるって言うの?」
別れるというか、湊と付き合っているということすらもよくわからないのが帆波の本音だったけれど、それとこれとは話が別。
「違います。海さんとは、何も関係ありません」
―――海さんは日向さんにそっくりだけど、全然違う。
あたしが、好きなのは…。
でも、あんなことがあって、それを隠して日向さんとこのままなんて…。
そんなこと、許されるものじゃない。
「じゃあ、どうして?俺はね。帆波ちゃんが今、俺を想っていてくれさえすればそれでいいんだ」
「そんなの…日向さん、優し過ぎる」
一瞬でも海に心が動いてしまった帆波を、湊は許せるというのだろうか?
「俺だって…最初、帆波ちゃんの気持ちが完全に俺の方に向いていないのをわかってて…帆波ちゃんだけが、悪いんじゃないんだ」
帆波が湊の気持ちを100%受け入れているわけではないことを知っていながら迫ったのだから、それは彼とて同じこと。
「なら、今から正式な恋人同士になるっていうのは、どう?今までのは、お試し期間って、ことで」
―――お試し期間?何よそれ。
だいたい、そんな簡単なものじゃないでしょ。
「そういうわけには…」
「浅倉 帆波さん」
「はっ、はい」
いきなり面と向かってフルネームで名前を呼ばれ、帆波はただ返事を返すことしかできなかった。
「俺の彼女になってくれますか?」
「へ?」
今度はさっきとはだいぶ違って、かなり間抜けな返事。
―――だって、なんなのよ…。
急にそんなこと言われても…。
しかし、彼の目は帆波の心の奥底まで射抜くような真剣なもの。
ここで、『はい』と言ったら…一からやり直せるのだろうか?
喉元まで出掛かっている言葉を言い出せない帆波に、湊はそっと微笑むと優しく頬を撫でる。
その手がとても心地いい。
「帆波ちゃんはただ、「はい」って言ってくれればいいんだ。そうすれば、今から俺達二人の新しい恋が始まる」
「新しい恋?」
「そうだよ」
―――新しい恋。
始めても、いいのかな?
ためらいながらも帆波が「はい」と言うと、さっきまでの真剣な顔はどこへやら…。
緩んだ顔を悟られないよう、湊はすかさず帆波の唇を奪う。
拒絶しつつも、久し振りの感触に帆波の体は溶けてしまいそう。
「…っん…っ…ちょっ…や…っ…」
「帆波ちゃんは俺のモノ。もう、我慢しないからね」
ソファーになだれ込むと、溝を埋めるように体を絡め合う二人。
色気より食い気の帆波にはケーキが…と思いつつも、そんな湊の気持ちが嬉しくて…。
その頃、1人隣の部屋で帰って来ない兄を複雑な心境で見守る海だったが、心の中はなぜか晴れやかだった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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