「帆波、じゃなくって浅倉。何、オヤジみたいなことやってんだ」
帆波が休憩でもしようと自販機の前で肩や首を回したり、腕を頭の上で伸ばしたりしていると海がやって来た。
彼も休憩しに来たようだったが、オヤジとは失礼な。
―――それより、何で名前を言い直したのかしら…。
人が居ようが居まいが、名前で呼んでいたはずなのに…。
「海さん、オヤジとは失礼ですよ」
「あ?じゃあ、オバサン?」
「どっちも失礼ですぅ」
あはは―――。
と、声を上げて二人で笑う。
こんなふうに話すのも、なんだか久し振りのように感じられた。
「あのさ、ごめんな」
「え?」
特に謝られるようなことをした覚えのない帆波には、海の『ごめんな』の意味がよくわからない。
「いや、浅倉には兄貴がいるのに俺が間に入ったりしてさ」
「迷惑掛けたよな」と、彼は自販機にコインを入れて、ブラックのボタンを押した。
ガシャンという音と共に出てきた缶を取り出すと、近くの椅子に腰掛ける。
缶コーヒーのプルタブを開け、さり気なく足を組む様は外国人みたいにカッコいい。
まぁ、少し前まで実際にアメリカにいたのだから、自然に身に付いたのかもしれないが。
「そんなことは」
「知ってると思うけど、ティナと付き合うことにしたから。これは、男としてのケジメだな」
ティナを愛していると確信した今、帆波のことは過去のこととしてきちんとケジメをつけておきたかった。
勝手な海の片思いだったのだから、帆波や兄の湊にとってはいい迷惑だっただろう。
そして、一番辛い思いをさせたティナへの報いだったのだと思う。
「あたしに謝るより、ティナちゃんを大切にして下さいね。改めて言うことでもないでしょうが」
ティナを見ていれば、わざわざ言う必要もないけれど…。
「わかってる。浅倉も兄貴と仲良くな」
海はそう言って立ち上がると、ダストボックスに缶を捨て職場に戻って行った。
彼が帆波のことを浅倉と呼ぶ意味がわかって、見かけによらず案外律儀なのだなと思う。
それに比べて兄の湊、帆波の愛しい彼はどうなのだろう?
「帆波ちゃん、こんなところにいたの?もう、探したよ」
噂をすれば、なんとやら…。
相変わらずのハイテンションぶりだが、やっぱりこの人が好きなんだなと思うのは、弟の気持ちを知っていながらも温かく見守っていた心の広さに他ならない。
「湊さん、何か?」
「ちょっと急ぎで、資料を作ってもらいたいんだ。明日の朝一番に持って行かなきゃならなくて」
「はい。わかりました」
帆波は、持っていたコーヒーを飲み干したカップをダストボックスに捨てると湊の後に付いて職場に戻る。
「あの、湊さん」
「ん?」
「夕食は、何がいいですか?」
湊はなんでも美味しいと言って食べてくれるから、帆波がこう聞くことはほとんどない。
それに聞いたとしても、彼の答えはわかっているから。
「珍しいね、帆波ちゃんが夕飯のリクエストを聞くなんて。何かいいことでもあった?」
「さぁ、どうでしょう」
わざとはぐらかすように言う帆波が気にならないでもないが、湊にとっては嬉しさの方が先だった。
「なんだよ〜。教えてくれたっていいじゃん」
「ほら、早くしないと資料今日中にできませんよ」
後に付いていた帆波は、湊を追い越してとっとと先に歩いて行ってしまう。
どうにも腑に落ちない湊だったが、別段悪いことではないだろうと先に行ってしまった帆波の後を追い掛けた。
◇
なんとか残業にはならずに帰宅できた帆波は、湊のリクエストでもある『イカとアスパラのパスタ』。
これは、彼が初めて食べた帆波の手料理。
得意メニューだったから、よく作ってはいたが、敢えてこれを選んでくれたところがやっぱり嬉しかった。
―――遅くなるのかな?
下ごしらえだけ済ませて、彼の帰りを待つ。
テレビを見ながらソファーでウトウトしかけた頃、玄関のブザーが鳴った。
「はいは〜い。今、開けま〜す」
急いでドアを開けると、いつものように手土産を掲げた湊の姿が視界に入る。
「お帰りなさい。意外に早かったですね」
「ただいま。そうだね、帆波ちゃんに逢いたくて帰って来ちゃったよ」
「はい。これ、お土産」と差し出されたのは、発砲素材に入ったどうやらジェラートのようだ。
箱を見ると最近日本に入ってきたばかりで美味しいと評判のイタリアンジェラートのもので、帆波もチェックしていたお店だった。
さすが湊、営業という職業柄なのか、こういう情報は妙に早い。
―――でも、逢いたくて早く帰って来ちゃったって…。
喜んでいいものなのだろうか?
「いつも、ありがとうございます。これ、すっごく食べたかったんです」
「ほんと?良かった」
「お腹、空いてますよね。パスタ、すぐ作りますね」
「うん。でも、その前に」
腰を抱き寄せられて、すかさず唇を奪われた。
「…っん…っ…湊…さ…んっ…」
「…帆波」
彼の顔が目の前に。
心臓がドックンドックンと、急激に鼓動を早めているのがわかる。
「そんな顔されたら、ここでヤリたくなる」
「なっ」
―――湊さんったら、何を言い出すの!
こんな玄関先で、ヤリたいなんてっ。
「そうしたいのは山山だけど、楽しみは後に取っておくよ。お腹が空いてちゃ、できないからね」
お互いの腰を密着させながら、部屋の奥へと入って行く。
何ができないの!と突っ込みたかったけれど、墓穴を掘りそうだから黙っておくことにする。
彼はとってもえっちだけど、好きになってしまったものはしょうがない。
「湊さん」
「なんだい?」
「好きです」
こういうことを言うのはすごく恥ずかしかったが、どうしても言っておきたかった。
しかし、辛うじて抑えていた彼の理性に自ら火を点けてしまうとは…。
「うわぁっ。ちょっ、湊さんっ」
「帆波が、そんな可愛いこと言うからいけないんだよ。俺だって、頑張って抑えてたのに」
抱き上げられて、ソファーの上に押し倒された。
「…やぁっ…っん…っ…湊…さん…食事…はっ…」
「後にする」
後にするって…。
もう少し、彼の前では言動には注意しないと。
そう、心にインプットした帆波だった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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