「帆波」
「なぁに。お腹空いたの?ハヤシライス食べる?」
結局、ご飯も食べずにベットに直行してしまった、湊と帆波。
体力も消耗したところだし、お腹も空くわよね?
「そうじゃなくって」
「じゃあ、なぁに?」
「帆波の希望を何でも叶えてあげるって話、考えてくれた?」
湊はちゃんと覚えていたよう。
もちろん帆波は何もいらない、湊さえ側にいてくれるなら。
「その話なら、あたしは何もいらないの」
「え、どうして?」
上半身を少しだけ起こして、湊は帆波の顔を覗き込む。
てっきり、あれが欲しいとか、どこか旅行に連れて行ってと言われるとばかり思っていたのに。
「うん。あたしには、湊がいてくれればそれでいいんだって思ったの。正確には、そうなんだって教えられたんだけど」
「教えられたって?」
本当はあまりの嬉しさにもうワンラウンドいきそうになった湊だったが、最後の言葉が引っかかる。
「あのね。恥ずかしいんだけど、湊にああ言われて、あたし嬉しくって何を買ってもらおうとか、どこに連れて行ってもらおうとかって考えたのね。でも、迷っちゃって、ティナちゃんは何て答える?って聞いてみたの。そうしたら、『物なんていらない。どこにも連れて行ってもらわなくてもいいから、海さんには私の側にずっといて欲しいんです』って」
「高畑さんが、そんなことを…」
ティナが海のことを一途に想い続けていることを湊も知っていたし、その想いに応えるように海だって彼女のことを受け入れた。
想いが強いほど、相手が自分の前からいなくなるのではないかと不安になる気持ちもわからなくもなかった。
「あたし、湊が自分の側からいなくなるとか、そういうことを考えたことがなかったの。だから、もし…湊があたしのことを嫌いになって…」
「帆波…」
湊は帆波にそれ以上言わせないよう、包み込むように抱きしめる。
初めは自分の想いを本気にしていなかった彼女が、こんなにも…。
「大丈夫だよ。俺は、帆波の側にずっといる。嫌って言っても、いるんだから」
「ほんと?」
「あぁ。こんなに可愛い彼女を離すわけがないよ」
「あっ、そう言えば」
「ん?」
「スッポン」
「スッポン!?」
―――なんだ?スッポンって。
あの亀みたいなので、一度噛んだら離さないっていう。
それに生き血を飲むと、精力剤になるとかなんとか…。
「海さんが言ってたの。湊は、スッポンみたいだって」
「海が?」
「『一度好きになったら相手が自分のことを嫌いにならない限り、絶対離れない』って」
「そっか。海のやつ、うまいこと言うなぁ」
妙に納得している湊。
実の弟は上手い例えをするなぁと、感心している場合じゃないのだが…。
「あたしも、そう思った」
「だから、今夜は離さないよ。覚悟してね」
「えっ、ちょっ…ゃぁ…っん…っ…」
湊は別の意味で、スッポンだったかも…。
結局、せっかく作ったハヤシライスにありつけたのは、次の日の朝食だった。
+++
「帆波さん」
帆波が自販機の前にあるベンチに座ってコーヒーを飲んでいると、飲み物を買いに来たのかティナがやって来た。
「ティナちゃんも、休憩?」
「はい。帆波さんが出て行くのが見えたので、付いて来ちゃいました。そう言えば、湊さんの希望を何でも叶えてあげるって、あれはどうなったんですか?」
「あぁ、あれ?あれ、ねぇ…」
―――なんか、話が変な方にいっちゃって…。
「どうしたんですか?」
「えっ、うっうん。今度、スッポンを食べに行くことになって…」
「スッポン、ですか?」
理由をしらないティナの頭の上には、???マークがクルクルと飛び交っていた。
湊の場合、心配するどころか、その逆だったのかも…。
と、今になって思っても遅いというか…。
帆波にはコラーゲンたっぷりだとか言っていたが、自分は精力をつけなきゃとかなんとか言って…。
これ以上、精力つけてどうするのよっ!!
「ティナちゃん、食べたことある?スッポン」
「いいえ。私は、ないんです。でも、美味しそうじゃないですか」
「そうかなぁ…」
テレビのグルメ番組や旅番組を見ているとスッポンなんかもたまに出てきて、美味しい〜とか言ってるけど、あれってお決まりの台詞なんだろうし。
本当に美味しいのかしら?
どうせなら、ふぐの方が良かったのにぃ。
「湊さんと一緒なら、何でも美味しいですよ」
「ティナちゃんには、適わないわね」
どこまでも、ピュアなティナには適わない。
自分もこんなふうになれたらいいのに…。
「何が、適わないんだ?」
「「海さん」」
海も休憩にやって来たのか、はたまたティナの姿を見掛けたからとか?
「可愛いティナちゃんには、適わないなぁという話です」
「そりゃ、そうだろ。俺の彼女なんだから」
―――うわぁっ、言ってくれちゃって。
ここは、会社だっていうのに。
「海さん、恥ずかしいです…そんな…」
「別に恥ずかしがるこっちゃ、ないだろ。ほんとのことだし」
―――あ〜ぁ…二人でやってて下さい。
あたしは、すぐに退散しますから。
それにしても海さんって、こういう人だったのね。
まぁ、相手がティナちゃんなら、どんな男の人もメロメロになっちゃうだろうけど。
「あのさ。兄貴がスッポン食いに行くって、騒いでんだけど」
「え…湊さんったら、そんなことまで海さんに話してたの?」
―――いつの間に話してるのかしら?この二人。
二人で一緒にいるところも、見たことないのよね?
メールのやり取りしてるってのは、聞いてたけど…。
「あいつ、自分がスッポンのくせに食ってどうするんだよな」
「確かに」
あはははは―――
と笑う海と帆波に、ティナは首を傾げるだけ。
そんな時に当人が現れるとは…。
「3人で、何を楽しそうに笑ってるのかな?俺も入れてくれよ」
こんなところで、4人勢揃いすることは稀なのだが…。
まさか、スッポン話で盛り上がってたなんて言えるはずもなく…。
「ほら、兄貴はこれから会議だろ?暢気にしてる場合じゃないだろが」
「あっ…そうだった」
職場に戻って行く二人の後姿を見つめながら、一度会話を聞いてみたいと思う帆波だった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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