メゾン塚田
Story3


その日は、お隣さんのナンパ男はずっと挨拶回りで会社には戻って来なかったから、帆波は何事もなく平和に仕事を終えて帰路についた。
しっかし、昨日からまだ一日しか経っていないのにこの疲労はなんなのかしらね。
こんな時は、美味しいものを食べるに限る。
料理がわりと好きなあたしは、会社の帰りにマーケットで買ってきた食材でイカとアスパラのパスタを作ろうとしているところに玄関のブザーが鳴った。
新聞の勧誘かなにかだろうとドアホンに出ると、またもやあの男の能天気な声と度アップの顔が視界に入ってきた。

「帆波ちゃん、これ買ってきたんだけど」

彼が手に持って掲げているものは、あたしの大好きなケーキショップ「Ange」の箱だった。
うわっ、あそこのケーキ、特にフルーツタルトは美味しいのよね。
だけど、ここでホイホイ受け取るのってどうなのかしら?
そんなことを考えながらも、あたしは渋々と玄関のドアを開けた。

「帆波ちゃん、これね寺崎さんに聞いてすっごく美味しいって言うから買ってきたんだ」

そう言って箱を手渡されたけど、あたしには彼にこれをもらう理由が見当たらないのよね。

「あの…」
「帆波ちゃん、ここのフルーツタルト好きなんでしょ?」

寺崎主任ったら、なんでもしゃべっちゃうんだから。
あの人はいい人なんだけど、いかんせん口が軽いっていうかなんでもしゃべっちゃうのが玉に瑕なのよね。

「もっと喜んでくれるって思ったんだけどな」

少し寂しげな顔でポツっと呟くように言った彼がなんだかとても気の毒に思えて、自分が悪いことをしているような錯覚に陥ってしまう。

「そんなことないですよ。ありがとうございます」

思いっきり作り笑顔で微笑むと水を得た魚のように、彼はみるみるうちに元気を取り戻していく。
なんとわかりやすい男なんだろうか?
そういう素直なところが、可愛いとも思えなくはないが…。

「ほんと?よかった」

――― ぐぅ…。

え、今お腹鳴ったのあたし?
だったら、めっちゃ恥ずかしいじゃない。
と思ってふと目の前の男に視線を送るとバツが悪そうな顔をしている。

「昼も時間なくて、軽食程度しか食べられなかったから」

だったら、あたしにケーキなんて買ってる場合じゃないでしょうに…。

「あの…」
「うん?」
「夕飯は?」
「俺、料理とかまったくできないから、これからテキトーにコンビニにでも買いに行こうかなって」
「だったら、食べていきません?」

あたしったら、何を言ってるんだか…。
彼は、思いっきり呆気にとられているし…そりゃそうよね。
この時自分でもどうしてこんなことを口走ってしまったのか、わからなかった。

「あっ、急にこんなこと言われても困りますよね」
「そうじゃないんだけど…俺かなり下心あるし、いいの?」

すっかり忘れてた。
いくらお隣さんで会社の同僚だといっても、昨日会ったばかりでそれに男の人なんだし、部屋に上げるっていうのはやっぱりマズイわけで…。
だけど、『下心あるし』ってはっきり言う人も珍しいわよね。

「もちろんあたしは日向さんを信じてますし、あとメニューはイカとアスパラのパスタでよかったらの話ですけどね」

こう先に釘を刺しておけば、変なこともできないだろう。

「あはは、大丈夫。俺これでも一応紳士だし。それと帆波ちゃんが作ってくれるものなら、なんでもオッケー!遠慮なくごちになりま〜す」

このハイテンション、なんとかならないのかしら?
と思いつつも、少しずつだけど慣れている自分もいたりして…。
彼を部屋に入れると『座っててください』とソファーを勧め、さっそくパスタを茹で始める。
アスパラはさっと茹でて、イカも既に下処理は済んでいたからあとは茹でたパスタを和えるだけ。

「やっぱり女の子の部屋だね。俺のところなんて、本とかCDとかばっかりだし」

彼は一通り部屋を見回すと真ん中に置いてあったお気に入りのソファーに腰掛けた。
10畳のフローリングには、ソファーと二人用の小さなダイニングセットを置いている。
収納もそこそこあるから、結構使い勝手はいい方だと思う。

「荷物は、もう片付いたんですか?」
「使うものは出したけど、そうでないものはまだダンボールのまま山積みだよ」

そう言って、彼は苦笑する。
まあ、昨日の今日だものそれは仕方ないわよね。
日曜日に越してきたばかりでは、そう簡単には片付かないかもしれない。
出来上がったパスタとトマトのサラダをダイニングテーブルに並べると、彼がそれに吸い寄せられるようにして立ち上がった。

「うわっ、すっげぇ美味そう」
「美味そうなんじゃなくて、美味しいんですからね」

どうもひと言余計だと思いながらも、どうしても口から言葉がこぼれてしまう。
だってしょうがないでしょ?本当に美味しいんだもの。
あたしと彼は向かい合って椅子に座ると「さあ、どうぞ」と声を掛ける。

「いっただきま〜す」

彼は器用にフォークをクルクルと回しながらパスタを食べ始めた。
こんなふうに男の人と食事をするのもかなり久しぶりではあったが、それ以外でも誰かと夕飯を食べること自体ご無沙汰していたのだなと改めて思った。

「美味いっ!帆波ちゃんの言う通り、すっげぇ美味い」

大袈裟だなと思いつつも、美味しいと言われて嬉しくないわけはない。
あたしはそれを彼に悟られないようにパスタを食べ始めた。
自分で言うのもなんだが、今日のパスタはかなり上出来だと思う。

「帆波ちゃんは、こうやって食事はきちんと作って食べてるの?」
「料理は好きだから、お昼以外はできるだけそうしてます」
「そうなんだ、偉いね。でも帆波ちゃんみたいに可愛い子に、毎日美味しい食事を作ってもらえる彼氏は幸せだね」
「そんなこと言う人、日向さんくらいですよ。それより日向さんにだって、そういう人いるんじゃないですか?」
「俺?そんな奇特な彼女はいないな。お洒落なお店に連れて行けとかさ、そんなのばっかり。俺は手の込んだものよりも彼女の手料理を食べたいのにさ」

意外だった。
彼を見ていると流行の店で食事をしている姿しか想像できないし、本人もそうなのだとばかり思っていた。
それが、彼女の手料理を好むとは。

「すぐにそういう人ができますよ。会社の人、みんな日向さんのこと狙ってますから」
「え、そうなの?で、その中に帆波ちゃんは入ってないの?」

はぁ?
入ってるわけないじゃない。
あたしは、ナンパな男は好きじゃないんですぅ。

「残念ですが」
「そうなの?ショック〜」

がっくりと肩を落とす、お隣さん。
ちょっとリアクション大き過ぎない?
あたしなんかに好かれたって、ちっとも嬉しくないでしょうに。

「もっと食べますか?いっぱい作りましたから」
「いいの?」
「どうぞ」

食べ物ですっかり元気を取り戻す彼は、まるで子供のようだ。
本当にわかりやすいというか、なんというか。
それを楽しんでしまっているあたしもあたしなんだけどね。
彼は、綺麗にパスタを平らげると満足そうだ。

「せっかくですから、日向さんもケーキ一緒に食べましょう。今、コーヒー入れますから」

さっき彼が持って来てくれたタルトは2個あったし、あたしはいくら好きでも1個で十分だったから。

「でもあれは帆波ちゃんに買ってきたんだから、俺はいいよ」
「2個も食べたら太っちゃいますから、日向さん甘いの嫌いですか?」
「そんなこともないけど」
「だったら、食べていってください」

あたしは、キッチンにコーヒーを作りに立ち上がった。

「なんだか手間掛けさせて、ごめんね」
「そんなことないですよ。気にしないで下さい」

彼は申し訳なさそうに言うが、こんなことさして面倒でもなんでもない。
逆に突然の来客に喜んでしまっているとは、彼も想像すらしないだろう。
大阪での話とか他愛もない話で盛り上がると、気付かぬうちに結構時間が経ってしまっていた。

「今日はごちそうさま、パスタすっげぇ美味かった」
「こちらこそ、お土産いただいてありがとうございました。また、よろしかったらいつでも来てください」

二度目はもうないつもりだったが、社交辞令のつもりであたしはこう答えていたが…。

「本当?俺、その言葉信じちゃうよ」

この男は、そうは取ってくれなかったようだ。
いくらなんでも、もう来ないでくれとも言えないわけで…。

「ええ、いつでもどうぞ」

笑顔で返すあたしも、どうなんだか…。
まあ、ひとりで食事をするより二人の方が楽しいし、彼はなんだかわからないけどあまり男を感じさせないというか、嫌な気もしない。
たまに来るくらいなら問題もないだろう。
というのが、甘かった…。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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