メゾン塚田
Story9


『あ〜ぁ…会社行きたくないなぁ…』

心とは裏腹になぜか熟睡できたけれど、昨日の出来事を思い返すと急に憂鬱になってくる。
―――こういう時にお隣さんとか、職場が同じとかって厄介よねぇ。
ズル休みするわけにもいかず、帆波は仕方なく起き上がる。

『でも、よく考えてみてよ。あたし、あのナンパなスケベ男と付き合っていたわけじゃないのよ?』

少なくとも、自分の中ではそのつもりだったはず…ということは、何も悩む必要なんてないのよ。
この中途半端な付き合いを止めればいいだけなんだから、いい機会じゃない。
そうよね?
勝手に自己完結したらなんだかすっきりした帆波は、洗面所に行くと顔をバシャバシャと勢いよく水で洗った。

いつもより少し早く家を出ようと玄関のドアを開けると、何かがあたる音が。
『うん?』
見れば、ドアノブに小さな紙袋が掛けてあった。
『何かしら…あっ』
袋の中に入っていたのは、日本では見かけたことがない包装紙で包まれた小さな箱。

「それさ、ニューヨークで人気のチョコレートショップのものなんだ。俺は甘いものは苦手だけど、結構イケルよ」
「え?」

いつの間に部屋を出てきたのか、声の主は今一番会いたくない人物だった。
しかし、もう出勤時間だと言うのにTシャツに単パンという超ラフな服装で、髪はボサボサのまま。
―――今日は、休み?それともフレックスなのかしら?
まぁ、あたしにはどっちでもいいけど…。

「ありがとうございます。でも、もうこういうの止めてもらえませんか?」
「なんで?」
「なんでって…、迷惑だからです」
「ふうん。でも、せっかく買ってきたんだから、最後にもらっといたら?好きなんだろう?」

そりゃあチョコレートは大好きだし、ニューヨークで人気のものなんてそうそう口にできるものでもないから、彼の言うように今回限りということでありがたく受け取ることにする。

「じゃあ、お言葉に甘えていただきます」
「そうして」
「ところで、そんな格好のところを見ると今日は会社はお休みですか?」
「会社?あぁ、休み休み。もう疲れちゃってさ」

―――何が、疲れちゃってさよ。
まったく、暢気なものね。
とは思っても口には出さず、ニッコリと返す。

「そうなんですか、いいですね。では、遅れますので」
「行ってらっしゃ〜い」

脳天気な声が背後から聞こえてきたが、帆波は振り返らずにそのまま階段を降りていった。
―――何?あれ…信じられない。
あの感じだと、昨日の女性はまだ部屋の中よね?
どうでもいいと思っていても、ついついあれもこれもと余計なことを考えてしまうところが、諦めが悪いというかなんというか…。
それにしても、ニューヨークって…。
なんだかよくわからないが、せっかく早く家を出たはずなのにこれでは遅刻してしまう。
帆波は、小走りに駅に向かった。



「おはよう、帆波ちゃんっ!!」
「え???」

会社に着くと、さっきまでラフな格好で自分と会話していたはずの人間が、スーツ姿でビシッと決めて立っていた。
―――さっき、疲れたから今日は休むって言ってたじゃないの。
なのになんで、ここにいるわけ?
まるで、ワープでもしたみたいに…帆波には今の現状が、まったく把握できなかった。
ついさっき、見た人間は誰なのよ?!

「今日は、お休みなんじゃ」
「休み?そう言えば、全然取ってないなぁ。引越しの時も休みをもらえなかったしさ。今は忙しくて、それどころじゃないんだけどね。そうだ仕事が片付いたら、今度一緒に休もっか」

―――いいえ、結構ですぅ。
何が、一緒に休もっかよ。

「勝手にひとりで休んでください」
「ちょっと、帆波ちゃん。どうしたの?今度こそ、アレになっちゃった?」

―――だ・か・ら。そういうこと、会社で言わないでって、言ってるのに!
相変わらずの言い方に帆波もちょっと腹が立ってくるが、ここは大人を装って冷たく返す。

「別に」
「別にって…ツレないなぁ。あっそうだ。ドアのところにチョコレートの入った袋を掛けておいたんだけど、気付いてくれた?あれね、ニューヨークで人気のお店なんだって。帆波ちゃんチョコレート、好きでしょ?」

―――気付いてくれた?って、自分で説明したくせに…わけわかんないわねぇ。

「それは、さっき聞きましたけど」
「聞いたって?」

まるで、話した覚えがないかのように目をパチクリさせている湊。
ちょうどその時、始業のベルが鳴り響く。
会話は途中になってしまったが、帆波はそのまま自分の席に行ってしまった。
その後姿を見つめながら、『どうしちゃったんだろう、帆波ちゃん…』と呟く湊だった。



どうにも湊のことが腑に落ちない帆波は、仕事中もしばしば考え込んでいたようで…。

「帆波、日向さんと何かあった?」

そんな帆波を見て話し掛けてきたのは、真由だった。

「え?そんなことないけど」
「そう?日向さんも何か考え込んでいる様子だし、帆波もね」

今日は課長も出張だとかで出払っていたし、帆波と真由はフロアを出て自販機のある休憩場所へ行くことにした。
それぞれ好きな飲み物を買うと、丸いテーブルを挟んで座る。

「昨日の帰りにね、見ちゃったの」
「見ちゃったって?」
「日向さんと女の人が、一緒に歩いてるところを」
「え?」

驚いた真由は、「でっでも、一緒に歩いていただけなんでしょ?」と慌てて言葉を付け足した。

「別に日向さんが女の人と歩いていたらいけないってわけじゃないんだけど、アパートのすぐ近くのコンビニの前でキスされちゃうとね」

二人の住むアパートに帰る途中にあるコンビニの近くで目撃したことを聞いて、更に驚いた真由。
単なる喧嘩だとばかり思っていた真由だったが、まさか湊の女性問題だったとは…。

「キスしてたわけ?」
「もう、濃厚なやつね」
「え〜なんか信じられない。あの日向さんが?確かにちょっと軽いかなっていう印象はあるけど、帆波のことを特別に扱ってるところを見たら、そんなことありえないでしょ」

面白半分で帆波の家に遊びに行った真由だったが、湊の口から帆波と他の子をきちんと区別した態度を取っていると聞かされて、納得したばかりだった。
帆波を疑うつもりはないけれど、とても信じられない。

「でも、なんかおかしいの」
「おかしい?」
「うん。今朝ね、出かけようとしてドアを開けたらドアノブに紙袋が掛けてあって、あぁいつものお土産って思ったんだけど、日本では見たことがないショップのもので。そうしたら、いつの間に部屋を出てきたのか日向さんが立ってたのよ。それも出勤時間だっていうのにTシャツに単パン姿で、髪はボサボサ。なのに会社に着いたら先に来てるからびっくりして」
「えっ、何それ。ってことは、帆波が玄関先で話したのは、日向さんじゃないってこと?」
「ううん。でも、あれは絶対日向さんだった。間違いないもん」

単なるお隣さんで、勤め先が同じというのではない。
何度も体を共にした相手を見間違うはずがなかった。

「でね。その時、紙袋に入ってたのはニューヨークで有名なチョコレートのお店だって説明してくれたのよ。それをまた、会社に来ても言うのよ?」

帆波の話を聞いているとアパートでの湊と会社での湊は別人のように思えるが、一応付き合っているであろう彼女が同一人物だという。
一体、どういうことなのか?
首を傾げるばかりの二人だった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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