自分とそれほど変わらない目線で見つめられて思わず一歩後ずさりした一輝だったが、自分の名前を言われてハっとした。
―――もしやこの人が笹川警視長?嘘だろう?だって女だぞ?それもこんなに若くて綺麗な人が警視長だと?
「本日付でベルリン支庁から赴任した、笹川です」
一瞬何を言われたのか理解できなかった一輝だったが、脳を一周して戻ってきた情報を慌てて処理すると、チャームポイントである丸くて可愛い目を一層見開いて言葉を発した。
「大変失礼致しました笹川警視長。私は、これから警視長のお世話をさせていただきます高梨 一輝と申します。よろしくお願いしますっ」
そう大声で言ったかと思ったら思いっきり敬礼なんてものをしたために、周りの視線は一気に恵と一輝に集まった。
一輝の突拍子もない挨拶に頭を抱えたくなった恵だったが、いまだに敬礼を止めない彼の真面目な顔を見ていたら怒ろうにも怒れなくなってしまったのだ。
逆に恵はクスクスと笑い出す始末。
「こちらこそよろしく。それより高梨警視、もう敬礼はいいから。私長時間のフライトで疲れているの、早くホテルに連れて行ってくださる?」
やっと正気に戻った一輝は、素早く恵のスーツケースを手に取ると、「駐車場に止めてある自分の車を取りに言ってきます」と言い残してその場を後にした。
彼の車は、中型の国産車。
なんでも仕事で使うことが多いからという理由で、小回りが利いて走りのいいものになったということだ。
後で聞いたらFORESTERという車らしい。
後部席ではなく、助手席のドアを開けて恵を乗せると手早くスーツケースとバックをトランクに入れて、一輝も運転席に乗り込んだ。
「警視長、ホテルに直行でよろしいですか?」
アラン副総監から今日は空港からそのままホテルに連れて行くように言われていたのと、さっきの恵の疲れているという言葉を思い出していたが、一応念のためにそう尋ねてみた。
「ええ、お願い。あっ、そう言えば東京の桜はもう満開かしら?」
「はい、昨日あたりから満開だとニュースで放送されていましたが」
「じゃあ忙しいところ悪いんだけど、どこでもいいから桜の見られる所に寄ってもらってもいいかしら?」
一輝にとっては少し意外なお願いだったけれど、海外暮らしの長かった恵にとっては懐かしいのだろうと少し微笑ましく思いながら快く返事を返す。
「はい、わかりました」
そう答えると一輝はゆっくりと車を走らせた。
桜の見えるところと言われてさてどこに連れて行ったらいいか正直迷ったが、恵の宿泊先の帝国ホテルにも近い千鳥ヶ淵が一番いいだろうと思っていた。
―――しかし、警視長が女性だとはな、それに歳も俺よりは上だろうけどそんなに変わらないだろうし。
一輝はボスから聞いていた“ササガワ・ケイ”という名の警視長はてっきり男とばかり思っていた。
それも自分よりもずっと年上だと。
まさか、こんなに若くて綺麗な女性だったとは…。
こんなふうに先入観を持っていては警察官という職は務まらないと思うのだが…、一輝はひとり苦笑した。
仕立てのいい濃紺のパンツスーツに身を包んだ恵は、一瞬モデルか女優と見間違うくらい綺麗だった。
すらっとしていて身長は170cm以上間違いなくあっただろう、187cmの一輝がさほど見下ろすことなく会話のできる女性に会ったのは久々のことだった。
少しブラウン系のウェーブの入った肩までの髪が、彼女にとてもよく似合っている。
普段あまり女性に対して興味を抱かない一輝でさえも、見惚れてしまうくらいの美女だった。
すっかり忘れていたが、一輝はさっき大勢の人の前で大声を出したことを冷静になった今、思い出しても顔が熱くなってくる。
―――副総監が見ればわかるとかはぐらかして、ちゃんと警視長のことを教えてくれないからだろう?
一輝は声にならない声で愚痴を叫んでいた。
「日本へは、どれくらい振りですか?」
一輝は何か話した方がいいのかそれともそっとしておく方がいいのか迷ったが、取り敢えず他愛ない質問を投げかけてみた。
「うん、そうねえ13、4年振りくらいかな」
「そんなにですか?それ以外は、ずっと海外ですか?」
「そう、ベルリンは赴任した2年だけで、生まれたのもニューヨークだしね。日本には中学校の2年間しか住んでいなかったから。言っとくけど私、国籍はアメリカだからこれでも一応アメリカ人」
「そうなんですか?」
一輝が海外に住んだのはニューヨーク特別警察学校に入った1年間だけの話、恵はそれと同じくらいの期間しか日本に住んでいなかったのだ。
「あぁ、この景色お祖母ちゃんの田舎に似てる」
思わず口にしてしまったが、窓の外に見える成田市内の風景は、まだ開発の手が入っていない昔ながらの日本の風景そのままだ。
それを見た恵は、すっかり懐かしさに浸っていた。
恵の両親は二人とも日本人、母は東京出身だったけれど父は新潟の出身だったから、日本に住んでいた間は夏休みやお正月は揃って父の実家へ遊びに行ったものだ。
―――お祖母ちゃん、元気かな?
両親の親は、4人ともまだ揃って健在だ。
あれから一度も帰って来ていなかったから落ち着いたら顔を見せに行こう、恵はそんなことを考えていた。
「警視長の田舎は、どちらなんですか?」
「新潟県。父方の実家なんだけど、お米が美味しくてね。あ〜やっぱり懐かしいなぁ」
母は、アメリカ暮らしをしている時でも食事はほとんどが日本食だった。
父が和食しか食べなかったというのもあったけれど、お米はいつも新潟の家から取り寄せた正真正銘のコシヒカリ、カルフォルニア米なんて米じゃないって父はいつも怒っていたっけ。
ほんの数年前の思い出が、一気に走馬灯のように恵の脳裏を駆け巡っていた。
「いいですね、田舎があるって。私は、両親とも東京なのでそういうのわからないんですよね」
運転している一輝の方へ視線を向けるとちらっとだけど、少し寂しそうに恵に微笑む一輝の顔があった。
ほどなくして、車は段々都心へと入っていく。
こうなると景色は一変して大都会の顔になる、10数年の間に日本はこんなにも変わってしまったのかと驚きを隠せない。
―――ニューヨークとそう変わらないわね。
どんどん近代化されていく街並みに恵の心は少し複雑だった。
「もうすぐ桜の名所に着きますから」
一輝に言われて窓の外をじっと見つめていると、濠沿いの桜並木が視界に入る。
「うわぁ、すご〜い」
夕方という時間もあって、近くでは夜桜見物の場所取りなのだろうか?新入社員らしき真新しいスーツに身を包んだ若者が、ビニールシートを囲んでなにやらたむろっている姿が見える。
ニューヨークでもベルリンでも桜は結構見られるが、これを見てしまえばやはり日本には敵わないと恵は思った。
子供の頃に見た桜の印象は確かに綺麗な花だとは思ったけれど、ただそれだけだった。
年齢を重ねるごとに情緒とかそういうものがわかってくるのだと、恵は感慨深げにそれをじっと眺めていた。
一輝の横で無邪気に窓に貼り付くように桜を眺めている恵は、警視長というよりはひとりの若い女の子だった。
外人から見た日本のイメージは、フジヤマ、ゲイシャに続いてサクラと言われるようにまさに恵にとってはそれなんだろう。
しかし一輝にはそれとは別に、こんなふうに自分の気持ちをストレートに表す女性を見たのは久しぶりのような気がしていた。
―――やはりアメリカ育ちのせいだろうか?
一輝は何度かその場所を往復すると、目的の帝国ホテルに車を走らせた。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
NEXT
BACK
INDEX
SECRET ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.