たまにオフィスに顔を出すこともあるがほとんど毎日自宅で仕事をしている命は朝、莉麻を送り出すと自室に籠もってひたすらパソコンの前で過ごす。
時間に縛られない自由があるといえばそうかもしれないが、案外退屈なものである。
―――あ〜ぁ…。
首を数回まわし、両腕を頭の上に高く上げるとぎゅーっと伸ばして一気に力を抜く。
いつの間にか肩に力が入っていたのか、かなりこっているなと冷静になってみればそんなふうに思ったりして。
自分も、そう若くはないということだろう。
コーヒーでも入れようと椅子から立ち上がると無意識のうちにヨッコイショという言葉までついて出るようになっていたが、この時点で本人は気付いていない。
これを莉麻が聞いたら真っ先に『命ったら、オヤジみたい!』と突っ込みを入れるところだろうが、なぜか彼女の前ではまだやっていなかったのがせめてもの救いだったかもしれない。
キッチンでコーヒーを入れていると暫くして携帯が鳴っているのが聞こえる。
―――あれ?これは、俺のじゃないな。
莉麻が、忘れたのか?
自分の物ではない着信音に『莉麻のやつ、おっちょこちょいだな。これがなかったら、困るだろう』と思いつつも音の発信源に耳を澄ますと何でこんなところにという場所に根源が見つかった。
それは、ちょうどリビングの中央に置いてある大きなデザイナーもののソファーの下にあって、恐らくテーブルの上にあったものが下に落ちたとかそんなところ。
それを手に取ったところで命が出るわけにもいかないのだが、もしかして莉麻本人が掛けてきているのかもしれないと思い、何気なくディスプレイの表示を見てハッとした。
総司―――
―――え?総司って、大学生の時に付き合っていけど、急にアメリカに行ってしまったというあの彼のこと…。
その彼が、電話を掛けてきている。
日本に戻っているのか?なぜ、今更、莉麻と…。
そんなことよりも、どうすればいい…。
電話に出て、相手が聞いていた総司という男なのかどうか確かめるべきなのか?それとも、このまま知らないフリをしている方がいいのか。
『もしもし、莉麻?ごめん、忙しいのに電話を掛けて』
考えているより先に、命の指は勝手に通話ボタンを押していた。
電話の向こうから聞こえてくる声は、意外にも低い。
―――彼が、総司っていう男なのか?
『莉麻、聞こえてる?』
通話ボタンを押したはいいが、自分は彼に一体何と言うつもりだったのか?
口篭もっていると不審に思ったのだろう、総司が何度か莉麻の名前を呼んで聞き返してくる。
ここで切ってしまってもいいが、このまま真相がわからないままより直接聞いてしまった方がすっきりするのは確か。
「すみません。莉麻は携帯を家に忘れていってしまって」
『えっ?』
いきなり出てきた男の声に、電話の、向こうで総司は驚きの声を上げた。
てっきり相手は莉麻だとばかり思っていたのだから、それも無理はない。
しかし、彼も相手が誰なのかはすぐにわかる。
『田村さん、ですか?』
「俺を知ってるんですか?」
『えぇ、莉麻に聞いていますから』
莉麻はどこまで彼に話しているのか、自分が知らないところでいつからそういう関係になっていたのか。
聞きたいことは山ほどあったが、これを今彼に向かって問い質したところで、なんだか自分が惨めになるような気がした。
「そうですか。失礼ですが、あなたは―――」
『日渡 総司と言います。大学の1年先輩です』
―――先輩だった…。
彼が間違いなかったという確信よりもそっちの方に気が回り、『付き合っていただろう?』そう、喉まで出かかったが、グッと堪える。
「莉麻に何か」
『いえ、あの仕事のことでちょっと』
「仕事?」
『彼女は、何も話していないんでしょうか?では、今彼女の勤める会社が映画の製作に協力していることはご存知ですよね』
「えぇ、それが」
『俺は、その映画の映像カメラマンをやってるんです』
「え?」
―――そうだったのか…。
そこで、再会したというわけか。
彼は仕事の話と言っていたし、それ以外の目的がないとすればこの場でもう莉麻に構わないで欲しいとは言えないわけで…。
『やっぱり、話していなかったんですね。映画の話が来る少し前に日本に帰国していたのですが、彼女とは連絡を取っていませんし、取るつもりもなかったんですけど、偶然撮影現場で再会して。あなたが心配するようなことは、何も』
「莉麻を信じていますから」
『そうですね。あなたなら…彼女を幸せにしてあげてください』
「言われなくても、そのつもりですよ」
『すみません、余計なことを言ってしまって』
「いえ、撮影頑張ってください」
『ありがとうございます。では、失礼します』
―――幸せにしてください…か。
今更、自分ができなかったことを後悔しているとでも言うのだろうか。
命は莉麻の携帯を握り締め、ソファーに深く腰掛けると天を仰ぐようにして背もたれに体を預ける。
そして思うのが、彼はまだ莉麻のことが諦め切れていないということ。
連絡を取るつもりはなかったことは確かかもしれないが、一度会ってしまえばその気持ちも薄れてしまうのではないだろうか…。
最近では酔っても彼と自分を間違えるようなことはなくなったけれど、少なからず莉麻の心の中には彼への想いというか、未練なのかがまだあるような気がしてならなかった。
+++
その夜、莉麻が帰宅するといつもなら出迎えてくれるはずの命がいない。
電気も点いていないし、どこかに出掛けているのかと思ったが、リビングに入るとソファーに座ったままの命の姿が目に入る。
「命、どうしたの?電気も点けないで」
「あぁ、莉麻お帰り。もう、そんな時間だったんだ」
辺りはすっかり暗くなって、かなり長い間そうしていたことに本人が驚くくらいだったが、心配した莉麻が命の隣に腰掛けて額に手をあてたりしている。
熱でもあると思ったのだろう。
「熱はないみたいだけど」
「何でもないよ」
「そう?あっ、これここに忘れて行っちゃったのね。掛けたけど出なかったからって、会社に掛かってきて初めて気付いたのよ」
命がずっと手に握り締めていた携帯電話を見て莉麻が言う。
「あ?あっ、あぁ。ソファーの下に落ちてたぞ」
「きっと、テーブルの上から落ちたのね。他に誰かから、掛かってきた?」
「え?」
彼以外の着信もあったかもしれないが、以前に掛かってきた電話に関しては自室に入っていたから気付かなかった。
その後は、多分掛かってきてはいないと思う。
「あのさ、莉麻」
「ん?」
本当なら、莉麻から話してもらいたかった。
―――そうすれば、こんな不安な気持ちにならなくても済んだかもしれないのに…。
真剣な眼差しの命を心配そうに見つめる莉麻を、何も言わずに強く抱きしめた。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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