「ごめん、遅くなって」
命が待ち合わせの喫茶店に入ると、先に来ていた陽子の視線が突き刺さる。
―――何だよ、わざと遅れて来たのに今度は時間通りか?
この前は命の方が早く来ていて待たされたからと今回はわざと遅れて来たのだが、時間通りに陽子が待っているとは…。
「15分の遅刻ね」
「何だよ、15分くらいで。女は寛大でないと」
「何が寛大よ。そっちが、呼び出したくせに」
お互い前回とは全く逆の台詞に思わず笑い出す。
そこへ、すぐに水の入ったグラスを持って来たウェイトレスに命はホットコーヒーを注文した。
「お互い様ってことで、許してくれよ」
「ん〜どうしようかなぁ」
「あぁ?その奥歯に物が挟まったような言い方は、何なんだ」
「だって、田村君。この前は、あたしだけが悪いみたいな言い方したじゃない」
「そうだったか?」
「もうっ、お爺さんじゃないんだから、自分の言ったことくらい覚えててよ」
―――そうだったか?
言われてみれば、そうだったような…。
そんな細かいことまでいちいち覚えていないというのが命の言い分だったが、お爺さんとは失礼な。
そこまで、ボケてないだろうがっ。
「人を爺さん扱いするな。ってことは、伊集院は婆さんになるわけだ」
「婆さんってねぇ、あたしはそんなに年寄りじゃないわよ」
「だから、お互い様だって言ってるだろ?」
「もうっ、いいわよ。田村君と話してると、シワが増えそう」
陽子はブツブツ言いながら、手で弄んでいたアイスティーのストローを銜える。
こんな他愛のない会話だけど、同級生というだけでなぜか心が和んでくるのが不思議だった。
「あのね。同窓会の打ち合わせの前に、田村君に報告したいことがあるんだけど」
「報告?」
偶然だが、命からも陽子に話しておきたいことがあった。
それが彼女にもということは、もしかして…。
「うん。あたしね、結婚することにした」
そう言って、左手を顔の辺りにかざす陽子。
その薬指には光る物が…。
「けっ、結婚?!」
不倫関係にあるという話は聞いていたが、いきなり結婚とは一体どういうことなのか?
『このままじゃいけないと思ってるから』とは言っていたけれど、まさか別れて新しい男と結婚を決めたとか?
「そんなに驚かなくてもいいでしょ」
「だって、伊集院。この間は…」
「田村君に話してすぐ彼に言ったの、別れようって。このままじゃ辛い思いをするだけだし、きれいさっぱり別れて新しい恋をしよう、そう思ってね」
「え?」
「そうしたらね。彼が結婚しようって」
「彼ね、ずっと考えてたみたいなのあたしとの結婚のこと。ところが、いきなり別れるって言ったものだから、すっごくびっくりして」と話す陽子。
男としてこのままの関係でいいはずがない、奥さんとはきちんと離婚して陽子との新しい人生を歩んでいこうと。
「それがね、奥さんとはとっくに別れてたの」
「はぁ?何だそれ」
―――別れてたって、どういうことだよ。
何で、もっと早くそれを言わないんだ。
伊集院にどれだけ辛い思いをさせたと思ってんだ、そいつは。
『彼は絶対、今の奥さんとは別れないと思う。別れられないわね、きっと』と悲しそうに話していた彼女が自ら別れを口にしたというのに…。
二人の問題に口を挟むつもりはないが、これだけは納得できない。
「あたしと付き合い始めて半年くらいで奥さんとは正式に離婚してたの。全然、気付かなかった」
「随分と前の話だな。ってことは、彼は1年以上それを黙ってたってことだよな。何でだ?」
付き合い初めて2年になると言っていたが、なぜ1年以上もの間、彼は陽子にそのことを黙っていたのだろうか?
「仕事のことが一番かな、離婚したことで失うものが多いから。彼ね見掛けによらず、意地っ張りなの。だから、あたしと結婚したら前の奥さんよりも幸せにしたいからって」
この言葉を聞いて、命もやっと彼の気持ちがわかったような気がした。
本当に陽子のことを想っているのだろう、だからこそ黙って1年以上頑張ってきたに違いない。
今の幸せそうな彼女の顔を見れば、これで良かったと命も祝福してあげなければと思わずにはいられなかった。
「おめでとう」
「うん、ありがとう」
「実はさ、俺も結婚しようと思って」
「えっ、そうなの?やだ、早く言ってよ」
自分のことばかり話してしまって、慌ててそんなことを言っても遅い。
「伊集院に先を越されたからな」
「そっかぁ、田村君もとうとう結婚かぁ。お互い、遅い春ってとこ?」
「そんなとこか」
遅い春なのか、早い春なのか、いずれにしてもおめでたいことには変わりない。
命も負けてはいられない、陽子の彼のように頑張って莉麻を幸せにしなければ。
+++
「命、なんか嬉しそう」
いつになく嬉しそうな命に莉麻は何があったのか、気になる様子。
「そうか?」
「ねぇ、何があったの?」
「ヒ・ミ・ツ」
「もうっ、教えてよぉ」
膨れっ面の莉麻を命は自分の膝の上に抱き上げる。
すると、みるみるうちに頬を染めていく彼女が愛しくて仕方がない。
「ほら、この前話した同窓会の幹事を一緒にやってる伊集院がさ、今度結婚するんだって」
「えっと、すっごく綺麗だって言ってた人よね?辛い恋をしてるって」
「そう。まぁ、色々あったみたいだけど、最終的にはうまくいったようだから良かったなって思って」
「それで、命も嬉しそうだったの?」
「同級生が幸せになるんだからな、やっぱり嬉しいよ」
友達の幸せを心から喜んでいる命が、素敵だなと莉麻は思う。
「だから、俺達も彼女に負けないように幸せにならないとな」
「うん。えっ、何?」
命は莉麻の左手を握ると、そっとくちづける。
その意味がわからない彼女は、首を傾げて命を見つめている。
「近いうちにダイヤの指輪を買いに行こうか」
「指輪?」
「そう。すっげぇ、大きいやつ」
「どれくらい?」
「そうだなぁ、これくらい?」
両手一杯に広げる命に「そんな大きなダイヤの指輪なんて、できないわよ」と言うと、「これは、俺の愛の大きさだよ」って。
命と一緒にいるだけでこんなに幸せな気持ちになれるのだから、莉麻にはそれだけで十分。
その想いを込めて彼の頬にそっとキスすると、ぎゅって抱きしめた。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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