「おはよう、莉麻。どうしたの?そのリング」
「綾子、おはよう。えっ、あっうん…」
会社に出社すると莉麻の左手の薬指に収まっている大きなダイヤのリングを見て、先に来ていた綾子が大きな声を発した。
彼女はこういうところにはすぐ気付く、というかこんなに大きなダイヤのリングなら、綾子でなくとも目がいくだろう。
『近いうちにダイヤの指輪を買いに行こうか』と命に言われて買いに行ったら、本当にこんなに大きな物を彼は選んでしまったのだ。
『すっげぇ、大きいやつ』と両手一杯に広げる命を大げさなと思ったが、実際指に嵌めてみると芸能人じゃないんだからと少々恥ずかしいくらい。
それでもこれは彼の気持ちだからありがたく受け取ったけれど、オフィスでこれはどうなのかしら…。
「ちょっと見せて。うわぁっ、もしかしてこれ、ハリー・ウィンストンでしょ?何カラットあるのよ。やっぱり、証券アナリストはやることが違うわ」
「私は、こんなに大きなものはいらないって言ったんだけど」
―――さすが、綾子。
見ただけで、そこまでわかってしまうとは…。
莉麻の手を取って綾子は自身の目の高さまで持ってくると、灯りにかざしてそれを眺めている。
「おめでとう、莉麻。幸せになってね」
「うん、ありがとう」
「そのわりには、あんまり嬉しそうじゃないわね。まさか、マリッジブルーじゃ」
「そういうわけじゃないんだけど…」
命との結婚に何の迷いもないけれど、『絶対出来た』と嬉しそうに言っていた彼の言葉が現実のものにならなかったから…。
「何?どうしたのよ」
「うん…あのね」
絶対子供が出来たと思っている命同様、莉麻もそう思っていたのだが、今朝、生理がきてしまい今回はそれが叶わなかった。
なんだか、彼に申し訳ないような気がして…。
「そっか。でも、結婚すればいくらでも子作りに励めるでしょ?」
「まぁ、そうなんだけどね」
「落ち込まないの。また、彼に頑張ってもらいなさいって」
「頑張ってもらいなさいって…」
―――その言い方、妙に引っかかるんだけど…。
こればっかりは授かりものだから、仕方がないわよね。
「ねぇ、莉麻。結婚したら、会社辞めちゃうわよね」
「どうかな、命がそうして欲しいって言うなら」
「私と一緒に定年まで勤めて、ね?」
「定年まで?!」
―――いくらなんでも定年までっていうのは、どうなのかしら…。
仕事は楽しいし、家にずっといるのもって思うけど。
でも、命は在宅勤務が多いから何て言うか…。
「そう。私と一緒にお局様って、呼ばれても」
「嫌よ。お局様なんて、呼ばれるの」
「いいでしょ?二人で居座れば、どうってことないわよ」
前から綾子は子供が生まれても、産休取って定年まで勤めると言っていた。
それに付き合わされるのもどうかと思うが、それを決めるのはもう少し先の話。
+++
「あれ?もう、しまっちゃうのか」
莉麻は婚約指輪を大事にケースにしまっていると、ちょうど部屋に入って来た命がそれを見て少し寂しそう。
「うん。私には立派過ぎて、もったいないから」
これは命には言えないけど、社内で色々冷やかされるし、みんなの視線を浴びてしまうから。
「なんだ、せっかく買ったのに」
命に背後から包み込むように抱きしめられて首筋に吐息をかけられると、ビクッと莉麻の体が反応する。
「…ぃやぁ…っ…」
「嫌じゃないだろう?莉麻」
「…ぁ…っん…だ…め…っ…」
―――今日は、ダメなの…。
尚も命の唇は莉麻の首筋を這っていき、手は服の下から直に肌に触れてくる。
そして、段々と上がってくる手はブラの中に…。
「…ダメぇっ!!」
いつになく強く拒絶されて、命は手を止めた。
「莉麻?」
「今日は…ダメ…なの…」
「なっちゃったの…」と小さな声で言う莉麻に、やっと事の真相がわかった命。
朝も少し元気がなかったのは、このせいかと…。
「ごめん」
「ううん。でも…赤ちゃんできなかった」
「そんなこと、気にしてたのか?」
命は莉麻を自分の方へ向かせ、羽が触れるようなくちづけを落とす。
子供が出来たらいいなと思ったのは事実だが、まさかこんなふうに彼女にプレッシャーを与えていたとは…。
………結婚すれば、こんなことも気にすることないのにな。
「だって…」
「大丈夫。結婚が決まったんだから、俺はもう我慢しない。頑張って、子作りに励むよ」
「やだ…綾子みたいなこと言ってぇ」
―――命ったら、綾子が言ってたのと同じようなこと言ってるし…。
「横田さん、みたいって?」
「うん。『結婚すればいくらでも子作りに励めるでしょ?』『彼に頑張ってもらいなさいって』」
「そっか、横田さんは俺の気持ちがわかるんだな」
「それとね。私に定年まで一緒に勤めてって言うのよ?どう思う?」
………定年までか。
そんなに長い間勤めたら、周りの若い人達にお局様って呼ばれるぞ?
「あはは、定年までか。そこまでいたら、みんなにお局様って言われるぞ?」
「綾子はお局様って呼ばれても、頑張るんだって。私は嫌って、言ったんだけど」
「いいじゃん。呼ばれてみれば」
「もうっ、他人事だと思って」
クスクスと笑う命を、莉麻は膨れっ面で睨み返す。
―――命まで…失礼ねぇ。
私は、定年まで勤めても素敵なままでいるんですからね?
「莉麻は、勤めを辞めたくないのか?」
「そうね、できればこのまま勤められたらいいかな。でも、命が辞めて欲しいって言うのなら、辞めるけど」
「俺は、莉麻がやりたいようにすればいいと思ってる。子供ができても、俺が面倒みられると思うし」
「専業主夫?」
「カッコいいだろ。旦那さんが、専業主夫なんてさ」
「奥さんが、お局様で?」
お互い額をくっつけて、笑い合う。
命と将来生まれてくるであろう赤ちゃんと、きっと楽しい家庭が築ける。
そう思ったら、胸の奥がふんわりと温かくなるのを感じる莉麻だった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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