酔った勢いでという話はよく聞くが、まさか自分がそれをやるとは思わなかった。
莉麻が目を開けた時、目の前に田村の顔があったのには心底驚いたが、その表情はとても優しくて…。
彼は女性には慣れていそうだったし、30を過ぎればそれなりの経験もあっただろう。
―――何も言わなかったけど、きっと初めてだってバレちゃったわよね。
恥ずかしい話だが、莉麻はこの歳でまだ経験がない。
もう男性と付き合うこともないと思っていたし、それでもいいと思っていたところがどこかにあったからかもしれない。
それが、どうしたことか田村と付き合うことになるとは…。
+++ *** +++
田村が翌日目を覚ますと、隣でまだ眠っている莉麻の顔がすぐ目の前にあった。
その顔はとても穏やかだったけれど、涙ながらに口にしたソウジという男の名が今も頭から離れない。
あの酔い方では、きっと何も覚えていないだろう。
初めてだということもあったし、できるだけ彼女には優しく接したつもりだった。
それをわかってくれただろうか?
名前のことも敢えて聞くことはしなかったが、田村はどうしても聞いておきたくて綾子の携帯に電話を掛けた。
その頃、綾子は部屋でくつろぎながら「莉麻ったら、田村さんとうまくいったのかしら」などと考えている時だった。
携帯が鳴り出し、見知らぬ番号にイタデンか間違えねなどと思いながら出たのだが…。
『もしもし』
「あの、横田 綾子さんですか?」
『はい、そうですが』
「田村です」
『田村って…えっ、田村さんですかっ!うわぁっ、あの…』
またもや、田村が電話を掛けて来るとは…。
しかし、ここは綾子の部屋であり、この場に莉麻はいない。
―――まいったなぁ、どうしよう…。
何で莉麻はちゃんと言ってないのかしらって、そんなことを今、言っている場合じゃないわね。
『ごめんなさい。私は綾子の友達で、彼女はちょっとここにはいないんですが…』
「君が、本当の横田 綾子さんなんだろう?」
『え?』
―――やだ、うそ…知ってるの?
「里中 莉麻さんのことで、聞きたいことがあるんだ」
『莉麻の?』
―――何かしら、聞きたいことって…。
「電話ではなく直接話したいんだけど、都合つかないかな」
『えっと…わかりました』
莉麻と田村の間に何かがあったのか。
―――変なことになっていなければいいけど…。
うまくいけばいいと思っていた綾子だけに少し不安だった。
+++
綾子が田村と待ち合わせたのは、普段からよく行く若者で賑わう街だった。
一応、来ている服だとかを教えてはいたが、彼の顔は見合い写真でしか見ていないので人込みの中でうまく会えるかどうか。
「横田さん」
キョロキョロと辺りを見回していた綾子に声を掛けたのは、田村だった。
こんなにたくさん人がいる中で、よくわかったなと感心してしまう。
「田村さん、ですか?」
「そう。見合い写真とは、だいぶ違うだろ?」
そう笑ってみせる彼は、確かに綾子が見た写真とはかなり違う。
無造作な髪に無精髭…そして、ラフな格好。
ただし、いい男だということに変わりはないが。
二人は近くにあったコーヒーショップに入ると、ちょうど空いていた席に腰掛ける。
店内は女子高生らしき女の子達や買い物帰りの主婦だろうか?で、いっぱいだった。
「わるかったね、いきなり呼び出したりして」
「いいえ。でも、莉麻のことで聞きたいことって何ですか?」
「まず、彼女の名前のことなんだけど、里中 莉麻さんに間違いないんだよね」
「あの、本人から聞いたわけじゃないんですか?」
電話番号はともかくとして、莉麻は名前もまだ言っていなかったのだろうか?
「あぁ、酔っ払って自分のことを里中 莉麻だって言ってたものだから」
「そうですか。ということは、私の代わりにお見合いに行ったことも?」
黙って頷く田村。
本来自分が行くはずだった見合いを代わりに莉麻に行かせた責任は自分にあったわけだし、ここは綾子からきちんと話をしなければいけないだろう。
「彼女は里中 莉麻と言って、私と同じ会社に勤めています。お見合いのことは、本当に申し訳ありません。私には彼がいたのにその時ちょっと喧嘩をしていて、つい話を受けてしまったんです。前もってきちんとお断りすればよかったのですが、代わりに莉麻に行ってもらったんです。だから、彼女は悪くないんです」
「そういうことか。いや、俺はそのことを責めるつもりはないんだ。ただ、彼女は何も話してくれないんでね」
「莉麻も、お見合いの話は断るつもりだったんだと思います。だから、ずっと黙ってたんだと…」
名前を偽っていた理由は、特に深い意味はなさそうだ。
となると後は、ソウジという男のことだけ。
「ところで横田さんは、ソウジって男のことは知っている?」
「ソウジさん、ですか?いいえ、莉麻から聞いたことはありませんが」
「そうなんだ」
―――横田さんが知らないとなると、どういう関係なんだろうか?ソウジという男は。
「そのソウジさんが、どうかしたんですか?」
「いや、特には。あのさ、こんなことを聞くのは何だけど、里中さんって男と付き合ってたことはないの?」
「えっ?」
「ごめん、変な意味じゃないんだけど」
ソウジという男の名を呼びながら、初めてだったということ。
彼女の過去に一体、何があるというのだろう。
「私も莉麻のことは、会社に入ってからしか知りませんので。入社して4年になりますが、その間に彼氏がいたことはないですね」
「いない?」
―――え、あんなに可愛いのに4年も彼氏がいない?
よっぽどの男嫌いか相当の面食い以外、普通じゃあり得ないだろう。
「ええ、私も不思議ではあったんですよ。あんな可愛い子ですから社内でもかなり人気があって、声を掛けられているのを何度も見ていますし。初めは相当な面食いなのかな?って思ってたんですが、どうもそうではないようで」
「というと?」
「男性を自ら避けているように思えて」
「避けている…」
それは、やはりソウジという男と何か関係があるのだろうか?
「だから、田村さんとのお見合いに莉麻を行かせたんです」
「俺との見合いに?」
「田村さんの写真を見て思ったんです。この人なら、莉麻の運命の人になるんじゃないかって」
「運命?何だか、ものすごく大げさな気がするけど」
田村は、苦笑しながらいつもの無造作な髪をガシガシと掻きあげる。
「そうでしょうか?」
綾子には、初対面の田村が既に莉麻にとって運命を変えるような人になっていると思えてならなかった。
「君は、そういう勘が鋭いのかな?」
「それは、わかりません。でも、莉麻のことをこうして私に聞きに来ている時点でそうかなと」
「下心があるヤツなら、みんなそうなんじゃないかな?」
―――俺はただ、彼女のことが気になっただけだし。
「こんなこと、わざわざ聞きに来ないと思います。それって、田村さんが莉麻のことを本気で想っているからですよね?」
―――本気…。
そうなのか?
「お願いします。もしかしてとても辛いことかもしれませんが、莉麻の心の中に潜んでいる何かを田村さんの力で取り除いてあげて下さい」
綾子の気持ちがわかるだけに、田村もできるものならなんとかしてあげたい。
「俺にできるかどうかはわからないけど」
こればかりは田村にもわからなかったが、1つ言えることは莉麻のあんな涙は二度と見たくない―――それだけ。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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