愛より先に。
2


散々食べて二人はホテルを出たが果たしてこの後は、そしてこの先は。

「この後、どうする?どこか行きたいところがあれば」
「デートは嫌いじゃないんですか?」
「なら、ホテルに戻るか」
「はぁ?何でっ、ホ」

何で、いきなりホテルよ。
ちょっと無神経過ぎるんじゃないの?
慌てて周りを振り返ったが、みんな何食わぬ顔で通り過ぎて行く。

「男と女なんてどの道、行き着く先はそこなわけだし、結婚するなら体の相性を確かめるのは重要だぞ?」
「だからって、会って間もないのにそんな」

動物だって、見合いしてすぐに交尾なんてしないわよ。

蒼大(そうた)は遥の腕を取ると、路地裏に彼女を引き込んで体をぴったりと密着させて外界から身を隠す。
そして、瞬時に抱き寄せると柔らかくて艶やかでさっきのデザートなど非にならないほど、実に美味しそうな唇を奪っていた。
咄嗟にとった自分の行動に呆れつつも、ついさっき目の前でデザートを口に入れていた時の、あのたまらなく官能的な彼女の唇が欲しくて欲しくてたまらなかったのもまた真実だ。
本能が理性に勝つなんて、あり得ないと思っていたのに。
最後の一滴までむさぼり尽くしても、まだ足りないとは…。

「大丈夫か」

大丈夫なわけないと声を大にして言いたかったのに言葉が出てこないどころか、全身の力が抜けて不本意にも彼に支えられていなければ立っていることもままならないはど。
こんなキスがあるなんて。

「聞くだけ野暮か」
「ど…して」

「こんなこと」最後は声にならなかったが、やっとのことで搾り出すように発した遥。
いつしか、目は潤み、甘い唇は見事に赤く熟していた。

「君は、燃えるような恋をしたいという顔をしていたからね」
「あなたは、そうじゃないはずでしょ」

ふつふつと怒りが込み上げてきて、遥は蒼大をキッと睨みつけた。
この人は初めから恋などする気がないのだから、こうやって私のことを弄んでいるのだ。
なんて人なのっ。
そんな人のキスに感じて応えてしまった自分が悔しくて情けない。

「そのはずだった。君と同じ、恋なんて煩わしいだけだと思っていたし」

だからこそ、割り切った結婚生活を営んでくれる女性を探していたのだから。
なのに意思とは無関係の行動に出てしまったのは予想外だったが、実は本心だったのかもしれない。

「だけど、体は正直だってことだ」

益々、意味がわからない。
言っていることと、やっていることが違い過ぎる。

「バカにしないでっ」

心の奥底に押し秘めていたものが溢れそうになって、それを悟られないように彼の胸を突き返す。
淫らな欲望のキスに惑わされるとは。

「嫌だったか?」

嫌だったら、どんなにいいか。
こんな人、好きでもなんでもない。というか、まともに話したのはほんの少し前のことで、失礼で勝手なことばかり。

「何も言わないってことは、嫌じゃなかったと受け取ってもいいってことか」
「か、勝手に決めないで」
「俺は嫌じゃなかったね。っていうか、もっと味わいたい」
「愛はないのに」

言ってしまって、ハっとした。
この男は、愛などなくても別の意味で愛せるのだということをすっかり忘れていたなんて。

「ごめんなさい。私はあなたには相応しくない相手ね」
「どうして?お互いの結婚観とキスの相性はピッタリなのに?これなら、体だって」
「残念だけど、あなたの言う通り、燃えるような恋をしたくなっちゃったの」

心が危険だと警笛を鳴らしている。
きっと、間違いなくキスだけでこの男に溺れ、あれほど同じ過ちは犯さないと誓ったはずなのに、いつまで経っても学習しない馬鹿な私は最後は傷つきボロボロになってようやく気付くのだ。

「だから、なかったことにしましょう。素敵な女性(ひと)に巡り会えることを祈ってるわ」

「さようなら」遥は腰に回されていた彼の腕をそっと振り解く。
もっと違う出会い方をしていれば、何かが変わったのだろうか?
いや、どんな形であれ、この人とは上手くいくはずがないし、いっそ、愛なんてすっ飛ばして結婚してしまえは、苦しまずに済むかもしれない。

「ちょっと待った」

言うのと遥の手を掴んで引き戻すのと、どっちが早かっただろうか。
蒼大はただ、彼女を力強くでも包み込むようにぎゅうっと抱きしめた。
それはお互いが同じ気持ちだとわかってしまったから、たった一度のキスがキッカケで奈落の底に転げ落ちて行くかもしれないのに…それでも、いいとさえ思えたから。

「結婚しよう。俺達、絶対上手くいく」
「は?この期に及んで何を」

言い出すかと思えば、とうとう気が変になったのか?それとも相手構わず余程、結婚したかったのか。
呆れて言葉も出ないとは、こういうことを言うのだろう。

「あの、人の話、ちゃんと聞いてます?私は、燃えるような恋をしたくなったって言ったんです。あなたと結婚なんて───」

このまま彼の傍にいたら間違いなくどんどん好きになって、溺れ傷ついてボロボロになってしまう。
そうなれば、今度こそ立ち直れない。

「俺は大歓迎だ」
「あぁ?」

遥は途方にくれた返事をするしかなかった。
歓迎だなんて、心にもないことを言わないで欲しい。
どうせ、面倒くさいだけなのに。

「嘘ばっかり。恋することが面倒だって思ってるあなたが、私と結婚したいですって?チャンチャラおかしくて笑っちゃうわ」

遥は大げさに笑って見せたが、内心はちっともおもしろくなんかない。
本当は付き合って一ヶ月目にお祝いしたいし、誕生日やクリスマスは二人だけでロマンチックに過ごしたいと思ってる。
結婚10年目には、ダイヤをおねだりしたいわよ。
たった今、その全てを否定し、御免だって言ったクセに。

「私だけが一方的にあなたを好きになるなんて…嫌」

愛されないなんて嫌。
蒼大の遥を抱きしめる腕の力が一層強まった。

「すごい愛の告白だな」
「べ、別に愛の告白なんてっ」

頭の上でクスクスと笑う彼の振動が伝わってくる。
これから会社でも顔を合わせることがあるというのに…さっさと帰れば、こんな失態を見せることもなかったのに。
悔しい悔しい悔しいっ。

「君は思った通りの女性(ひと)だったよ」
「どーせ、勝手に想像してるクセに」
「そうだな。君は俺一筋、他の男のことなんか見えなくなって、俺がちょっとでも女性と楽しそうにしていただけでも嫉妬する。こっそり携帯電話をチェックするタイプだな。付き合って1ヵ月目にはお祝いをして、可愛らしい花なんか贈れば尚いい。誕生日やクリスマスにはホテルに部屋を取って二人だけの優雅なディナーを。もちろん、結婚10年目に露骨にダイヤが欲しいとは言わないが、心では贈られることを望んでいる」

「あながち、想像でもないんじゃないか?」あまりに的を得ているだけに言い返す気もなくなってくる。
えーそうですよ。
私は嫉妬深くて、単純な女なんです。

「あなたの最も避けたい女でしょ」
「確かに」

そこで、納得しないでよ。
無理に『そんなことないよ』なんて、お世辞を言われるのはまっぴらだけど。

「だから。もう話すことなんてないんだから、離して」
「いや、俺達はとことん話す必要があるんじゃないかな。よし、さっきのホテルに」
「だからぁ、どうしてホテル?」
「今夜はゆっくり、愛を交わしたいからさ」


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