愛より先に。
3


遥は蒼大(そうた)にガッシリと腰を抱かれ、二人は再びホテルへと足を向けた。
それは親密な恋人同士であるようにも見えるし、容疑者が逃げないように監視しているかのようにも見える。
これほどまでに馬鹿げた提案はないとわかっているのに、それを拒めないのはなぜなのか?
視線をそっと彼の顔へと移したが背が高過ぎて、はっきりと表情を読み取ることは不可能だった。
しかし、愛を拒んでいるはずの人間が愛を交わすとはどういうことなのだろう。
ゴージャスなホテルにはそこに集う人達までもがゴージャスで、まるで映画のワンシーンを見ているようだ。
フロントで空いている部屋を確認すると、すぐに若いベルボーイが二人を案内するために一歩前を行く。
果たして、このベルボーイに私達はどんなふうに映っているのだろうか?
エレベーターに乗っている間も蒼大は遥にピッタリくっ付いたまま、長い廊下を抜けて一番奥の部屋で立ち止まる。
これ以上先に進めばどうなるか、もう後戻りできないかもしれないというのに思いの外冷静で、心と体はなぜか一致しているようにも感じられた。
ドアが開いた瞬間、吸い込まれるように中へ。
ベルボーイが丁寧に部屋の説明をしていたが全く耳に入っては来ない、それというのもあまりの景色に遥は声も出なかったから。

「うわぁっ、すごっ。東京が一望」

スパイダーマンみたいに一面の窓ガラスにペッタリと張り付いている。

「気に入ってくれて嬉しいよ」
「はっ」

すっかり忘れていたが、浮かれ気分ではしゃいでいる場合ではなかった。
これから起こるであろう男と女の営みを頭に思い浮かべただけで、かぁっと全身の血が沸騰しそうだ。

「こういうのは、よくないと」
「どういうのが、よくないんだ?」
「だから」

馬鹿な遥。
ドア近くにいれば咄嗟に逃げることもできたのに景色に目を奪われ、これでは窓ガラスを突き破らない限り、猛獣と化した迫り来る男をかわすことなどできないだろう。

「夜景はもっと綺麗だろうな」

意に反して、蒼大は彼女の横をすり抜け窓からの景色を堪能していた。

「ねぇ、本当に」

彼女の瞳が微かに揺れたのを蒼大は見逃さなかった。
なにも、怯えさせるためにこんな場所に連れて来たのではなかったし、蒼大自身がそんなことを望んでいたわけでもない。
体だけを確かめるのなら、ラブホで十分だったはず。
ただ、あのまま別れたら二人は永遠に離れ離れになってしまう気がした。
不意にブザーが鳴り、蒼大が遥に出るように促す。

「シャンパンと薔薇の花をお持ちしました」

ワゴンにはシルバー製のシャンパンクーラーに入ったニコラ・フィアットのロゼと、クリスタルのグラスが2つ。
そして、何十本あるのか手には豪華な深紅の薔薇の花束が。
それこそ、ドラマでは見たことがあるシーンではあったが、いつの間に。
多分、遥が景色に目を奪われていた間に蒼大がベルボーイ頼んでおいたのだろう。
ワゴンを中に入れ、薔薇の花束を蒼大に渡すと邪魔してはいけないとの配慮なのか、早々に部屋を出て行った。

「どうしたの?これ」

蒼大はシャンパンの栓を豪快に開けると、吹き出す泡と共にコルクの蓋が遠くへ弧を描いて飛んでいった。
グラスにピンクゴールドのシャンパンがキラキラと輝いて、とても綺麗だ。

「二人の出会いに乾杯」

両手にグラスを持ち、片一方を遥の前に。
10年目のダイヤを催促されるのは許せないが、こんなキザな演出はOKだというのだろうか?

「言ってて、恥ずかしくない?」
「すっげぇ、恥ずかしい」

一人でカチンとグラスを合わせると一気に飲み干したのは、何もかも誤魔化すため。
こんな、こっ恥ずかしいことは飲まなきゃやってられないってもんだ。
しかし、こっ恥ずかしいついでにもう一つやらなければならない重大なことが。
一つ咳払いをすると、蒼大は彼女の年齢の数だけ用意させた深紅の薔薇の花束を彼女の前に差し出した。

「俺と結婚して欲しい」

いっそ、ひざまづいてイタリア男の如く花束を差し出した方が効果があったかもしれないと思いつつ、これだけでも十分だったと彼女の表情を見れば一目瞭然。

「気でも違えたの?」
「そうかもしれないな」
「だって、こういうの面倒くさいんじゃ」

突然過ぎるプロポーズに何をどう聞いていいのか、頭の中がこんがらがって整理がつかない。
だけど、奥底で夢に思い描いたものに限りなく近かったことだけは確かだろう。

「面倒くさいと思ってたさ、今までは」

なのにも関わらず、勢いというか、それにしたって自分がこんな突拍子もない行動に出たことに自身が一番驚いているのだからしょうがない。

「でも、案外、嫌でもなかった。で、どうなんだ?結婚するのか、しないのか」
「せっかく、いい感じだったのに」

差し出された薔薇の花束は、まだ彼の手に。
受け取らなければ、彼とは永遠にさようなら。受け取れば、生涯を共にすることになる。


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