「この先、ずっと真っ直ぐ行った銀行の前のバス停までしか俺はわからないから、それから先は教えてくれ」
「私が、バスに乗ることを知ってるんですか?」
「あぁ。毎朝、ここを通るんだ。その時にいつも並んでるの見掛けるから。言っとくけど、俺はストーカーじゃないからな」
―――この人、私がバス停で並んでるのを毎朝見てるの?
「俺だって、一応男だからな。あんた可愛いし、つい目がいくんだよ」
「へ?」
反射的に顔を上げて、彼の方へ視線を向けると心なしか赤くなっている!?
―――男の人に可愛いなんて言われるの、生まれて初めてかも…。
でも、こんなにカッコいい人だものきっと誰にでもそう言ってるんだわ。
「やっぱり、ストーカーじゃないですか」
「違う、つってんだろが。何が、可笑しい」
クスクス、笑い出すノエル。
そのあまりの可愛さに、彼は怒る気さえ無くしてしまう。
毎朝、この道を通るようになったのは、ここ1ヶ月ほどになるだろうか?
たまたまいつも通る道が1週間工事で通行止めになったために迂回したのがきっかけだった。
少し遠回りになる分、家を早く出なければならない。
朝が弱い彼にとって苦痛以外の何者でもなかったが、バスを待っていたノエルを見て、それも一気に吹き飛んだ。
『可愛い』
女性に対して特別な感情を抱くことは今まで一度もなかったが、彼女だけは別だった。
恐らく、本人にはその自覚がほとんどないであろう、作り上げたものではない天然の可愛らしさ。
それからは、早起きも全く苦にならないほど毎朝彼女を見るのが密かな楽しみになったのだ。
もちろん、誰にも言っていない。
うっかり友人に話したら、前日から泊まり込んで彼女を見に来るに決まってる。
それよりも、『お前が…』と散々からかわれる方が先か…。
「ごめんなさい。笑うつもりは、なかったんですけど」
「いいよ。怒った顔より、笑った顔の方が数倍可愛いからな」
―――何でこの人、こういうことを平気で言うのかしら?
「あの…」
「なんだ?」
「みなさんに、そういうことを言われるんですか?」
―――え…。
オイオイ、俺は誰にでもなんて言わないぞ?
勘違いすんな。
「言うわけないだろ。俺は、そんなに軽い男じゃないぞ、って言っても信じてないんだろうけどさ」
「だって…私、可愛いなんて生まれて一度も言われたことないですし」
「そりゃ、おかしいな。そんなはずないだろ。あんた、めちゃめちゃ可愛いよ。俺が、保証する」
また、ノエルはクスクスと笑い出す。
可愛いなぁと思いつつも、この笑いを素直に喜ぶべきなのかどうか…。
「あなた、おもしろい人ですね」
「そうか?俺の方こそ、そんなこと生まれて一度も言われたことはないが」
―――怖いとか、冷たいとかは言われたことがあるが、おもしろいってのは初めてだな。
「そう言えば、あんた名前はなんて言うんだ?」
「あっ、別に変な意味で聞いてるんじゃないぞ」と急いで付け加えたが、また笑ってるし。
どうせ、俺はあんたの前じゃおもしろい男なんですよ。
バス停で見掛けるだけの彼女とせっかく、こうして話すチャンスができたというのに…これってどうなんだ!?
「金子 ノエルって、言います」
「のえる?のえるって、クリスマスのか?」
「やっぱり、わかりますよね。12月25日生まれなので、親が付けちゃって」
「字は、どう書くんだ?」
「カタカナで、ノエルです」
「ノエルか、いい名前だな」
「ありがとうございます。そんなふうに言ってくれる人も、初めてです」
「彼氏も言ってくれないのか?」
「彼氏なんて、いませんから」
―――いない?
うそだろ。
こんなに可愛いのに?
「私、もうすぐ22歳になるんですけど、彼氏いない暦更新中。こんな名前なのにクリスマスも彼氏と過ごしたことがないんです。―――ヤダ、初対面の人に何言ってるんだろ、私ったら」
ノエルにもわからなかったが、なぜか彼の前では素直に話せる自分がいることが不思議だった。
本当ならすごく恥ずかしいことで、こんなことは実際彼氏ができたとしても自信を持って言えることではないのに…。
「変なこと言って、ごめんなさい。あっ、そこの角を左に入ってすぐのところで降ろして下さい。家は、前ですから」
―――彼氏いない暦22年…。
到底信じられない話だが、こんなことは嘘や冗談でもまず言わないだろう。
ノエルの言う通り、角を曲がった家の前で車を止める。
門に付いている可愛らしい表札には、確かにローマ字で『KANEKO』と書いてあった。
「わざわざ、送って下さってありがとうございます。変に疑ったりして、すみませんでした」
「いいんだ」
「じゃあ、失礼します」
ノエルが車を降りると大粒の雨も少し小降りになったように感じられたが、何はともあれここまで送ってもらえて良かったと思った。
「あっ、ちょっと待って」
門の中へ入ろうとしたところを、彼に呼び止められた。
「はい?」
「俺の名前、言ってなかっただろ。速水、速水 遼って言うんだ」
「はやみ りょう、さん」
彼は、優しく微笑むと軽く手を上げて静かに車を走らせた。
―――はやみ りょうさんかぁ。
また少しだけ雨に濡れてしまったが、それでもノエルは車が見えなくなってもずっと見送っていたのだった。
+++
月曜日の朝、いつものようにノエルはバス停に並んでいた。
速水が、毎朝ここを車で通ると言っていたのを思い出す。
―――はやみさん、いつも私を見掛けるからって…今日もここを通るのかしら?
淡い恋心…とでも、言うのだろうか?
また逢いたいという気持ちが、ノエルの心の中に芽生えていたことに当人はまだ気付いていない。
「ノエルっ」
どこからか、ノエルと大きな声で呼ばれ、慌てて辺りを見回すとそこには誰もが知っている高級外車。
「こっちこっち」
「え?はやみさん」
心の中の思いが、通じたのだろうか?
―――はやみさん、声、大きいですって…。
バス停に並んでいた人達が、一斉に二人を見ている。
「おい、モタモタするなっ。この辺、長く止められないんだ、早く乗ってくれ」
「はっ、はい」
なぜか、彼にはいつも怒られ口調のような気がしないでもないが、この場は言われた通りに乗ることにする。
「おはようございます」
「おはよう」
「すみません、わざわざ乗せていただいて」
「気にするな。どうせ、通り道なんだし」
この前は暗がりだったから、カッコいいくらいしか印象はなかったが、明るいところで彼を見ると一段と素敵に見えた。
それに車といい、見るからに仕立てのいいスーツといい、只者でないことを感じさせる。
「俺の顔に、何か付いてるか?」
「いっ、いえ」
あんまりノエルがジーっと見つめていたものだから、速水も危うく信号を見落とすところだった。
「そう言えば、勤め先はどこなんだ?その格好から、OLだと思ったんだが」
「はい。電車で5駅のところにある、東京シティホームズという会社に勤めているんです」
―――あ?東京シティホームズだと?
そっかぁ、そうだったのか…。
妙に納得している速水。
「あの、はやみさん。駅はそっちじゃ」
「いいんだよ。俺も同じ方角だから」
ひとりゴチている速水を、ノエルは隣の席で首を傾げて見つめているのだった。
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