ひとりぼっちのHoly Night
STORY3


―――はやみさんは、うちの会社を知っているのかしら?

ノエルの勤める東京シティホームズは大手ハウスメーカーで、名前を聞けばほとんどの人は知っているだろう。
でも、所在地まで知っているということは、彼は近くの会社にでも勤めているのかもしれない。

「はやみさんは、うちの会社を知っているんですか?」
「えっ、あぁ」
「そうですか。近くの会社にお勤めとか?」
「あっ。まぁ、そんなもんだ」

なんだろう?
妙にソワソワしているというか、返事に歯切れがないというか…。
あまり、こういうことは言いたくないことなのだろうか。

道路はそれなりに込んではいたが、電車のラッシュに比べれば天国と地獄ほどの差があった。
乗り心地のいい高級外車での通勤は、こんなにも楽なのか…。
―――羨ましいなぁ…。

そんなことを考えていると、あっという間に本社ビル脇の細い路地に車が止まる。

「ここで、いいか?」
「はい、ありがとうございました。こんなに楽な通勤は、初めてです」
「そうか」

車でしか通勤したことがない速水にしてみればこんなふうに礼を言われることはないので、ある意味新鮮だったりして。

「手間を取らせてしまって、すみませんでした」
「気にするなと言ったはずだが」

気にするなと言われても、もしかして遠回りだったのではないか?と思ってしまうから。

「・・・・・」

不意に速水の手が、ノエルの頬に触れた。
ちょっとゴツゴツとしていたが、大きくてそれでいてとても温かい手。

「そんな顔するな。ノエルは、笑ってる方がずっといいと言っただろ」

「ほら、遅刻するぞ」と言われて、慌ててノエルは車を降りた。

「ありがとうございました」

金曜日と同じように彼は優しく微笑むと、軽く手を上げて静かに車を走らせる。
その姿を見送っていたノエルは頬に手を触れると、まだ少し温かかった。

「ノエル、おはよう」
「あっ、亜佐美。おはよう」
「どうしたの?朝から、こんなところでボーっと突っ立って」
「ううん、なんでもない」

中学から短大まで一緒だった亜佐美とは、なんと就職した会社まで同じだった。
というよりも、彼女がどうせなら同じ会社がいいからとノエルに合わせて採用試験を受けたら、運よく通ってしまったのだ。

「でも、ノエルったら水臭いわね」
「え?」
「何よ。ちょっと前まで彼氏はいないって言ってたくせに、あんなカッコいい人がいるなんて」

この前は、彼氏はいないと言っていたのに数日であんなにカッコいい彼氏ができているなんて…。
もしかして、黙ってた?

「彼氏はいないけど」
「だったら、さっきの人は誰なの?」
「あの人は彼氏じゃなくて、なんて言ったらいいのかな。とにかく彼氏じゃないの。だいたいね、私に彼氏ができたら、真っ先に亜佐美に言うに決まってるじゃない」
「…ん…それもそうね」

ほとんど毎日顔を合わせているのだから、ノエルに彼氏ができたかどうかくらいわかるはず。
『でも、あの人、どっかで見たような…』

「それより、早く行かないと」

ノエルは亜佐美の腕を引っ張ると、本社ビルの中へ消えて行った。

+++

あれから速水は、毎朝バス停に並んでいるノエルを見掛けては車に乗せて会社まで送ってくれるようになった。

「あの…こんなに毎日送ってもらっては、申し訳ないんですが…」

速水とは友達という関係でも、もちろん恋人でもない。
本当にたまたまというか、偶然の出逢いであって、ノエルがここまでしてもらう理由がわからなかった。

「ついでって言ったら変な言い方だけど、ノエルが気にすることじゃない。逆に迷惑だったら、悪いが」
「迷惑なんて、そんなことは…」

車の中で話すのは、他愛のないノエルの会社でのこととか、家でのこと、その時間がとても楽しくて、道路がもっと渋滞してくれればいいのに…。
などと思ったりして…。
でも、少し図々しくはないだろうか?

「できれば、何かお礼をしたいんですが」

この言葉には、何もない。
ただ、ノエルが本心からそう思っただけなのだが…。

「なんだ。ノエルは、朝以外でも俺に逢いたかったのか。早く言えばいいのに」
「え…そういうつもりじゃ」
「じゃあ、どういうつもりなんだ」

―――どういうつもりなんだ、と言われても…。
そんなのわからないわよ。
勝手に口から、出ちゃったんだから。

当の速水だってノエルを困らせるつもりはないが、可愛さのあまりついついからかいたくなってしまうのだ。

「わかったよ。で、俺はどうすればいい?」
「えっと…」

―――えっと、えっと…お礼って、何をすればいいの!?
自分からお礼をしたいと言っておきながら、いざとなったらどうしていいのかわからない。

「取り敢えず、食事でもするか?」
「え…あっ、はい」
「なら、今週の金曜日でどうだ?」
「金曜日ですか?多分、大丈夫です」
「夜7時にここで、待っていてくれるか」
「はい。お店は、私が予約しておきますので」
「期待してるよ」

―――はやみさんと食事かぁ…。
男の人と食事をするなんて初めてだし、どこに行ったらいいのかな。
心は既に、週末の金曜日に飛んでいるノエルだった。



「ノエル、やけに嬉しそうね」
「そう?」
「何、もったいぶってるの?教えなさいよ。もしかして、あの彼とうまくいった?」

見るからに浮き浮きしているノエル。
亜佐美でなくとも、みんなそれに気付いているだろう。
もしかして、毎朝送ってくれる彼とうまくいったのだろうか?

「お礼に食事に誘ったの」
「へぇ、奥手のノエルがね。やるじゃない」
「だって、毎朝送ってくれるんだもの。お礼くらいしないと。でも、どこに行ったらいいかなって」

彼は身なりからしても、上流階級層の人に違いない。
そんな人を食事に誘うとなれば、自分達が普通に入るお店というわけにはいかないだろう。

「そっかぁ、なんだか彼はすごくお金持ちそうだものね。でも、お礼をするのにお金じゃないでしょ?ノエルの気持ちがこもっていれば、それでいいと思うけど。それに彼はそういうこと、こだわらない気がする」

亜佐美の言う通り。
これはノエルの感謝の気持ちなのだから、豪華なお店に連れて行けばいいというものでもないはず。

「うん、亜佐美の言う通りね。私のお気に入りのお店にする」

彼の前で、背伸びをしたって始まらない。
等身大の自分を見てもらえばいい。
そう思ったら、ノエルはとても気が楽になった。

+++

週末の金曜日。
夜7時にはあと15分あるが、ノエルは約束の場所で彼が来るのを待っていた。
―――はやみさん、喜んでくれるかな。
選んだ店は、ここからそう遠くない場所にあるしゃれた洋食屋さん。
昔は、一流ホテルで腕を振るったというご主人と奥様の二人で経営している小さなお店だが、味は絶品。
会社に入ってすぐ、先輩女性社員にこっそり連れて行ってもらったのだが、ノエルはすぐにそこが気に入ってしまった。

「ごめん、遅くなって」
「いえ、私も今来たところですから」

彼は車から降りて、助手席のドアを開ける。

「どうした?早く乗ったら?」
「はっ、はい」

朝は込んでいる道で車を止めるから、ノエルは急いで車に乗らなければならないが、今は違う。
初めてのことで、少々戸惑ってしまった。

「どこへ行けば、いいんだ?」
「真っ直ぐ行って、交差点を右に曲がった少し先なんです」
「了解」

静かに車が走り出した。
洋服と変わらないが、髪形だけは亜佐美が器用にアレンジしてくれた。
自分では可愛いと思う!?けれど、彼はどうだろう…。

でも、本人が心配しなくても、速水はちゃんと気付いている。

「髪型、変えたんだ」
「お友達が、やってくれたんです。どうですか?変ですか?」
「似合ってるよ。すごく」

『俺は、そんなに軽い男じゃないぞ』と言っていたが、どうしてこんなに恥ずかしいことを面と向かって言えるのか…。
ノエルの顔が、みるみる赤くなっていく。
暗い車内でも、その様子が速水にもわかる。
あまりの可愛さに思わず、抱きしめてしまいたいくらいだった。

「今日のお店、とっても美味しいんですけど、はやみさんに気に入ってもらえるか」
「ノエルの連れて行ってくれるところなら、気に入るよ。必ず」
「だと、いいんですが…」

彼はそう言ってくれるが、ノエルは内心かなり心配だった。
これで嫌われるようなことになったら、どうしよう…。

短い会話をしているうちに、お店にはあっという間に着いてしまう。

「ここ?」
「はい」

速水はこういう店には来たことがなかったが、何よりもノエルらしさを感じてそれがとても嬉しかった。
今まで付き合った女性は、誰もが有名シェフだの高級店ばかり。
お金さえ出せばというところが、どうも性に合わなかった。

「お任せで頼んでしまったんですが、嫌いなものとかなかったですか?」
「俺、好き嫌いはないから」
「それなら、良かった」

ノエルはうっかり確認するのを忘れてしまい、お任せでオーダーを頼んでしまっていたのだ。
お礼をするはずだったのに、これでは…。
―――でも、好き嫌いがなくて良かった…。

車の速水とあまりお酒の飲めないノエルは、特製のジュースで乾杯する。
向かい合って座ると彼の顔が正面にあって、視線をどこへ持っていっていいかわからない…。

「どうした?元気ないな」
「そんなことはないです。緊張しちゃって」
「緊張?」

彼氏いない暦21年のノエルにとって、男性と二人っきりで食事をするということもそうあることではないのだろう。

「あんまり、見ないで下さい」

見るなと言われると、見たくなるもの。
ましてや、毎日横顔しか見ることができないのに今はゆっくりと堪能できるのだ。
食事もさることながら、できればずっと彼女を見ていたい。

そうはいっても、胃袋を刺激するようないい匂いの料理が目の前に並べば自然に目はそっちへ行ってしまう。
ノエルの心配そうな顔も、同時に飛び込んでくるし…。

「美味いなぁ。俺、こんなに美味い料理食べたことがない」
「本当ですか?」
「あぁ、決してお世辞とかそんなんじゃないから」

なんというのか、ものすごく吟味された良質の材料を使っているというのが、舌の肥えた速水にはすぐにわかる。
こんなところに、これだけの店があったとは…。

可愛い彼女と美味しい食事。
これ以上の幸せはないなと、至福のひと時を味わった速水。
しかし、幸せな時間にも終わりは来てしまう…。


「今夜は美味しいものも食べられたし、すごく楽しかった。ありがとう」
「気に入っていただけて、良かったです。こちらこそ、毎朝送ってもらってお礼を言わなければいけないのに」
「いいぞ?そんなに気を使わなくて」
「でも…」

あ〜もうっ、そんな顔されると抱きしめたくなるだろうがっ。
とは、速水の心の声である。
シートに押し倒したい衝動を辛うじて堪えながら、車をノエルの家に向かって走らせた。

「だったら、たまにこうやって食事に付き合ってくれないか?」
「えっ」
「ダメか?」
「ダメってことは…あっ」
「どうした?」

急に声を上げて固まってしまったノエル。
一体、どうしたというのだろう?

「速水さんは、彼女さんがいらしたのでは」

さっきやっと名前はどういう字を書くのか、聞いたばかりだった。
しかし、食べ物の好き嫌いの確認を忘れたり、彼女がいるかどうかの確認は、もっと先にしなければならなかったはずなのに…。

「いたら、毎朝送っていかないし、いくらお礼にと食事に誘われても行かないだろう」
「それは、そうなんですが…」
「いないから、安心しろ」

良かった―――。
そう思うのは…。

「っつうか、ノエルに拒否権はないな」

―――えっ、拒否権がない…。
それって…。

そうこうしているうちに車は、ノエルの家の前に着いていた。

「ノエル」
「・・・っ・・・」

名前を呼ばれて、速水の方へ顔を向けると目の前に彼の顔があって…。
すぐに柔らかいものが唇に触れたが、何が起きたのかわからないノエルはそのまま固まってしまう。
体に電流が流れたような衝撃で、動けなかったと言う方が正しいかもしれない。
後頭部をしっかり彼の大きな手で押さえられて、何度も何度も啄ばむようなくちづけ。
ノエルは、ただ黙って彼を受け入れることしかできなかった。


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