始まりはHoly Night
STORY13


「おはようございま―――専務、どうなさったんですか?大丈夫―――」

「ですかっ」と青ざめた表情で、野坂が遼のところへ駆け寄った。
ノックをしても応答がなかったので、そのまま専務室のドアを開けて入って来たのだが、遼はデスクにうつ伏せたままピクリとも動かない。

「専務、どこか痛むんですか?」
「あぁ?野坂…おはよう。別にどこも痛くないから大丈夫だし、至って元気だから」

そう言って、ダルそうに上半身を起こした遼だったが、すぐに大きく溜め息を吐いた。
元気だというわりにこの状況は、一体どうしたというのだろう。
また、ノエルと何かあったのか…。

「では、どうなさったんですか?金子さんと何か」
「あっ、そうだ忘れてた。ノエルも来るんだったな。あんなの見せられるかよ。ったく、親父のやつ」

野坂のひと言で、「あぁ〜」とまたデスクにうつ伏せる遼。
『親父のやつ』と言っていたところをみると、早朝会議で社長に何か無理難題でも言われたのだろうか?

「早朝会議で何か」
「今度の社員旅行の余興で何をやるか、親父から言われたんだ」
「社長から。で、今年は何をやることになったんですか?」

毎年、役員が余興で何をやるかの決定権が社長にあるのは、暗黙の了解。
誰も文句は言えない。

「何て言ったと思う?フラダンスをやるって、言い出しやがった」
「フラダンス?」

ハワイアンズに行くのだから、やはりフラダンスは外せない。
社長がそれを余興でやろうというのは妥当な線だと思うが、実際やらされる方は微妙だろう。

「そう。ムームーっつうのか?あれを着て踊るらしい。去年の女装と、そう変わらないと思うんだけど」
「それは、女子社員が喜びますよ?専務のフラダンスなんて」

本人にとってみれば、とても喜んで引き受けられるものではないかもしれないが、いい男である遼がそれをやれば女子社員は喜ぶに決まってる。
全くの他人事のように話す野坂だったが、まさか自分がやるなどとはこれっぽっちも思っていないのだろう。
しかし、遼がそんなことを許すはずがない。

「笑ってるけどなあ。もちろん、野坂もやるんだぞ?」
「え…私もですか…」

「当然だろう?」

去年は休日ながらも大事な出張が入り、二人は女装をせずに済んだわけで、その前の年というのは遼はまだ専務職に就いていなかったから、余興に加わるのは今回が初めてということになる。

「あんな姿をノエルに見られたら、後々まで言われるぞ」ともう一度、遼は大きく溜め息を吐いた。
そして、ノエルに見られるということは、必然的に欄にも見られるということ。
クールな野坂で通っているのにフラダンスなんて…。
本当の姿を彼女はわかっているが、しかしこれは…後々までっていうのは、同感だなと野坂も思った。

「明日から毎日、定時後にみっちり2時間は練習するらしい。いつの間にか親父のやつ、プロの先生まで頼んでたんだ」
「えっ、毎日ですか?」
「そうだよ。社長命令だから、欠席は許されないそうだ。野坂も覚悟を決めた方がいいぞ?」
「はぁ…」

覚悟を決めろと言われても…しかし、やらないわけにはいかないのがサラリーマンの辛いところ。
社員旅行まであと1ケ月半あるから、毎日2時間も練習となれば相当なもの。
それに欠席が許されないとなれば、平日に彼女とデートもその間はできないことになる。

「それと、余興でフラダンスをやることは当日まで絶対に秘密だから。伊崎さんにも、言ったらダメだぞ?」
「わかりました」

朝からこれを聞かされてドッと疲れが出た二人はこの後、一日溜め息を吐いてばかりだった。



―――あっ、遼からのメール。
ノエルが亜佐美と社員食堂で昼食を取っていると、胸ポケットに入れてあった携帯に着信メールがあったことを告げるメロディ。

『今夜、夕飯でもどう?』

遼の誘いについ、亜佐美の前で頬が緩む。
もちろん、OKだったノエルはすぐに返事を返す。

「彼氏から?」
「うん。食事のお誘い」
「なんだ、いいなあ。豪華ディナーに連れて行ってもらえるんでしょ?」

お金持ちの彼氏がいれば、きっと高級なレストランに連れて行ってもらえるのだろう。
それに比べて亜佐美の彼氏はというと普通のサラリーマンだったから、そういうお店には記念日くらいしか行くことはない。
欄の彼氏だって大人だし秘書だから、お金を持っているだろうし…。
それで自分の彼氏を嫌いになったりはしないけど、ちょっぴり羨ましく思う。

「そんなこともないけど。あっ、またメール」

折り返し遼からメールが来たが、そこには明日から1ケ月半は定時後2時間、社員旅行の余興の練習で平日は逢えないのだと書いてある。
だから、今夜誘ったのだなとノエルは思った。
――― 一体、余興って何をやるのかしら?
そう言えば去年も、当日までのお楽しみって言われてたわね。
その時は遼とも付き合っていなかったし、お偉いさん方の余興には正直ノエルはそれ程興味を持っていなかった。

「明日から毎日定時後2時間、社員旅行の余興の練習なんだって。だから、週末しか逢えないらしいの」
「余興の練習に2時間?一体、何をやるのかしらね」
「ちょっと待って、一応聞いてみるから」

同じ疑問を持っていたノエルはそれを遼に早速聞いてみたが、『当日まで絶対秘密。社長命令だから』の文字にがっかり…。

「当日まで絶対秘密なんだって、社長命令らしいわ」
「社長命令?そっかぁ、ノエルになら教えてくれるかなって思ったんだけど。残念」

社長の趣味だから、知られてはつまらないのかもしれない。

「でも、社員旅行の日まで、平日には彼に逢えなくなっちゃう」
「定時後、2時間練習じゃね。それに仕事もあるだろうし」

恐らく、練習の後に残っていた仕事をやることになるだろうから、忙しい彼はノエルと逢う時間を作る余裕がないだろう。
旅行まではあと1ケ月以上あるから、その間は少し寂しい思いをすることになるかな。

「社長命令じゃ、遼も何も言えないもん」
「お父さんがトップってのも、辛いのね」

しみじみ言ってみる二人だったが、これはある意味平和なんだなと思う。
世の中じゃ、リストラだ何だって騒いでるのにお蔭様でこの会社にはそんな心配は、今のところなさそうだし。

―――だけど、遼は何をやるのかな?
野坂さんも一緒なのよね?
あ〜ん、待ちきれな〜い。

彼の苦労など知るはずもないノエルは、社員旅行が待ち遠しくて仕方がないのだった。


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