「専務、金子さんをその…」
野坂はこんなことを上司に聞いていいものか迷ったが、彼女のあの様子を見てこのままにしておくのはどうなのかと…。
「何だ、野坂。ノエルが、どうかしたのか?」
「あっ、いえ…」
やはりプライベートなことだし、専務には専務の考えもある…。
言いかけておきながら、野坂は言葉に詰まってしまう。
「野坂、何なんだ。はっきり言ってくれ。ノエルが、どうしたんだ」
ノエルに何かあったとなれば、遼だって黙っているわけにはいかない。
しかし、このはっきりしない野坂の態度は何なんだ。
「はい。あの…さっき、エレベーターで金子さんに会いまして」
「ノエルに?」
「その時、『野坂さんは、付き合ってどれくらいで彼女に合鍵を渡したんですか?』と聞かれたものですから」
「合鍵?」
―――何で、ノエルは野坂に合鍵のことなんて聞いたんだろう?
そう言えば、ノエルに自分の家の合鍵は渡していなかったな。
それというのも、彼氏いない暦21年の彼女にいきなり渡したら引かれるんじゃないかと思ったから。
でも、野坂にそんな質問をしたところをみるともしかして…。
「彼女、なんだか元気がありませんでした。聞いても、そんなことはないと言っていましたが」
「そうか。鍵を渡さないのは、決して彼女を信じていないからじゃない。本当はいつでも家に来て欲しいと思うけど、いきなり渡したりしたら引かれると思ってさ」
それに、帰せなくなってしまうから。
「わかります。きっと、誰かに聞かれたか、そんな話を耳にしたのでしょう」
「だろうな。ノエルがそんなこと自分から言うとは考えにくいからな」
遼にも、大方の予想はついている。
友達で同じ部にいる、あの子だろう。
―――でも、合鍵を渡さいないことをノエルが気にしなきゃいいが…。
問題は、そこなんだ。
「余計なこととは思いますが、早めに渡された方がいいのでは」
「俺が野坂から聞いたって、バレないかな」
「そうですね。急に渡したりしたら、そう思われるかもしれませんが…でも」
「まぁ、機会があったら渡しておくよ。こんなことで、ノエルを不安な気持ちにさせるわけにはいかないからな。だけど、最近忙しくてさ、全然デートもしてないんだ。野坂、なんとかしろ」
「私に言われましても…」
野坂のことを責めても、仕方がないことはわかってる。
とはいっても、帰りも遅いがついに早朝会議まで。
だからこそ、合鍵を渡しておくことが必要なのかもしれない。
そうすれば、少しでも彼女と一緒にいる時間を持つことができるのだから。
「ところで、野坂はさっきのノエルの質問には何て答えたんだ?」
「え…」
「俺と付き合いは長いのに野坂の女性関係って、全然知らないよな。今は付き合ってる彼女は、いるのか?」
「私のことは…いいじゃないですか」
どうして、話がそこに行くのだろう…。
鋭い突っ込みに、野坂は何とか誤魔化してこの場を去りたかった。
「そういうわけには、いかないな。上司の俺は、知る権利がある」
「どこにそのような権利が…」
「いいんだよ。で、どうなんだ?」
トゥルルルルル―――
トゥルルルルル―――
そんな時、ちょうどデスクの電話が鳴り出した。
助かったと思った野坂に対して、いいところだったのに邪魔が入ったと思った遼。
今度、じっくり聞かせてもらおう。
その前に、ノエルのことを何とかしておかなければ…。
+++
翌朝、ノエルは出勤の支度をしながらテーブルの上に置いてあった携帯を見ると“着信メールが1件”。
―――あっ、遼から。
急いでメールを開いてみる。
『急に出張になったんだ。だから、朝は一緒に行けなくなった。ごめん。でも、夕方までには戻れるから。週末だし、美味い夕飯でも食べに行こう』
―――出張…。
一緒に行けないのは寂しいけど、お仕事だもの仕方ないわよね。
それに、夜は逢える。
すぐ『お仕事頑張って、無理しないで下さいね』と返事を返したが、こんな時間まで会社にいるなんて…。
こういう時に家で待っていてあげられたらと思うけど、きっと迷惑なのよね。
昨日、亜佐美に言われたことを思い出して暗くなる。
『―――彼の家で待ってれば?合鍵持ってるんでしょ?』
『あたし?すぐもらったわよ。付き合って、1ヵ月くらいだったかしらねぇ』って言ってたけど、みんなそうなのかな?
野坂さんは、どうだったんだろう?
返事は聞かずに来ちゃったけど、ちゃんと聞いておけば良かったな…。
+++
今朝は遼が出張だからノエルにとっても久し振りの電車通勤、ラッシュはやはり体に応える。
ホームに降り立つと、前を歩いている亜佐美が見えた。
「亜〜佐〜美、おはよう」
「あっ、ノエルおはよう。どうしたの?電車なんて、珍しいわね」
「うん。今日は、出張なんだって」
「出張?」
『最近忙しいみたいで、お休みの日もゆっくり逢えないの』とノエルは言っていたが、毎日一緒に通勤するのを楽しみにしていたのに…だけど、そのわりには何だか嬉しそうねぇ。
「でもね、夕方までには戻れるって。食事に行こうって誘われたの」
………なんだ、そういうこと。
亜佐美は合鍵のことをうっかりノエルに言ってしまったことが、ずっと気になっていた。
そのせいで、元気がなかったことも…。
「良かったね」
「うん」
微笑むノエルに、少しだけホッとした。
+++
ったく、これじゃあ帰れないだろ―――。
出張先の会議が長引き、余裕で夕方までに戻れるはずが、既に17時だというのにまだ終わる気配がない。
イライラを募らせる遼、ずっと忙しくて逢えなかったのに…。
だから、今夜だけはどうしてもノエルとの約束を破るわけにはいかなかった。
―――くそっ!どうすりゃいいんだ…。
大事な会議だが、今はそれどころではない。
無意識にポケットに手を入れる。
あっ…。
そうか…これを野坂に渡してもらえば…。
遼は会議を一時抜け出して、野坂を呼び出す。
「野坂、悪いが一足先に社に戻ってこれをノエルに渡してくれないか?ついでに、彼女を俺の家まで送ってもらえるとありがたいんだけど」
「これは―――わかりました」
「あっ、もう一つ。ノエルには今夜外泊するって、家に電話もさせておいてくれ」
野坂は微笑むと遼に手渡された物を持って、急いで社に戻った。
ちょうど、その頃―――
『遼…どうしたのかな…』
定時の鐘が鳴ったというのに、彼からの連絡はない。
―――お仕事、忙しいのかな…。
そんな時、「金子さ〜ん、電話」という声が聞こえ、急いで電話に出る。
「はい、金子ですが」
『野坂です。専務は会議が長引いてまだ出張先から戻られていませんが、預かっている物がありますので帰宅できるようでしたら、支度をしてこちらに来ていただけますか?』
「えっ、野坂さん?はっはい、わかりました。すぐ行きます」
―――遼、まだ戻ってないのね…でも、預かっている物って何かしら?
ノエルは野坂に言われた通り、帰り支度をして彼の元へ向かう。
「野坂さん」
「金子さん。これを専務より預かって来ました」
「これ…」
手渡されたのは、黒いレザーのキーケース。
「専務宅に送るよう言われていますので。後、外泊すると家に電話しておくようにとも」
「え?」
外泊?!
「さぁ、行きましょうか」
野坂にそう言われて、ノエルは「はい」と答えると後に付いて行った。
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