「おはようございます、専務。本日のスケジュールですが、―――」
「おはよう。で、昨日はどうだったんだ?」
朝、一番で専務である遼に一日のスケジュールを報告しに来た野坂の言葉を遮るようにして、昨日のことを尋ねる。
「どうだったと申しますと…」
「どうだったって、伊崎さんに決まってるだろ?」
『伊崎さんに決まってるだろ?』と言われても、野坂はただ彼女を家まで送って行っただけ。
「はい。彼女なら、心配ありません。無事に家まで送りましたが」
「俺が聞いてるのは、そうじゃなくってだな」
彼女のことをどう思ったのか?どんな会話をしたのか?
もしかして、話が弾んで、もう携帯の番号を交換しちゃったり…。
いや、それはちょっと気が早いまでも、何かあっただろう。
せっかく、二人っきりにしてあげたのだから、ちょっとくらいときめくものがあったはず。
「専務。本日のスケジュールは―――」
「スケジュールなんかより、俺が聞きたいのはだな。彼女とは、どうだったんだってことなんだよ」
「ですから、どうだったと言われましても、私には専務の質問される意味がよくわからないのですが…」
野坂がスケジュールを報告しようとしているのに、これでは一向に話が先に進まない。
「じゃあ、彼女のことを女性としてどう思ったんだ?野坂の好みかどうか、とか」
いきなり好みかどうかと聞かれても、野坂も答えに困る。
…そりゃぁ、好みだったけど…とは、野坂の心の声。
「好み…ですか?まぁ…あの…お綺麗な方だと思いましたが…」
はっきりとは言わないにしても、まんざらでもない様子。
…そうか、そうか。
何度も頷く遼、やっと意図した回答が帰って来て、ホッと胸を撫で下ろす。
野坂も恋することに臆病になっているからな。
「あの、専務。どうして彼女のことをそんなに聞かれるのですか?彼女と何か…」
「あっ、いや何でもない」
…おっと、つい余計なことまで聞いてしまった。
週末に会うことはまだ秘密だから、ここで変に思われても困る。
「それで、スケジュールですが―――」
…後は彼女の方がどう思ったか、だな。
彼女は、野坂の名前は既に聞いているはずだから…。
あっ、もしかして早まったか…。
ノエルには昨日の夜、早速この話をしたところだったが、よく考えてみれば少し二人を会わせるのは早かったのではないだろうか…。
「専務?」
「あっ、あぁ」
…こりゃぁ、仕事どころじゃないな。
二人の今後が気になって、遼にとっては仕事どころではなくなっていた。
◇
「欄ちゃん、こっちこっち」
「ごめんね、遅くなって」
遼から昨日の話を聞いていたノエルはさっきこっそり携帯にメールをもらい、欄にそれとなく野坂の印象を聞いて欲しいと言われたのだ。
だから、週末の予定を確認するという名目で欄をランチに誘う。
久し振りで外の美味しい定食屋さんに、込むからと一足先に来ていたノエルと亜佐美が入って来た欄を見つけて声を掛けた。
「ううん。もう、ランチは頼んであるから」
「ありがとう」
走って来たのか、椅子に座ると欄はテーブルに置いてあった自分の分のグラスに入った水を半分くらい飲み干した。
「欄ちゃん。今週末は、大丈夫?」
「うん、取り敢えずは大丈夫…かな。今のところ、仕事も落ち着いているし」
「そう、良かった」
―――う〜ん、何て聞き出そう?
遼から聞いたとは、ちょっと言い難いなぁ。
「あのね。昨日、野坂さんとちょっと…」
「えっ、欄。野坂さんと何かあったの?」
自分から言い出してくれて良かったと思ったが、さすが亜佐美、間髪を容れずに質問してくれた。
「うん。昨日、帰りにエレベーターが途中の階で止まってね。でも、誰も乗って来る気配がなくてドアを閉めたんだけど、いきなり手がにゅうっと出てきて」
「えっ、それで?」
ノエルも亜佐美もその話は知っていたのだが、初めて聞いたように驚いてみせる。
「びっくりして、気絶しちゃって」
「えぇぇっ!欄ったら、大丈夫だったの?」
―――亜佐美ったら、大げさよ。
笑いを堪えるのに必死のノエル。
「気付いたら専務室だったんだけど、あの手は野坂さんだったらしくって。私を運んでくれたみたい」
「で、野坂さんどうだった?欄ちゃんの好みだったでしょ?」
「うん。すっごく、大人な感じの素敵な人だったけど」
「けど?」
―――えっ、欄ちゃん、もしかして野坂さんは好みじゃなかったの?
遼が心配していたことが、当たってしまったのだろうか…。
これで、週末の食事はキャンセル、なんて言われたらどうしよう…。
「私には似合わないな、あんな素敵な人…」
ノエルの言うように、野坂は欄の好みを超えた超好み。
大人な雰囲気で、欄のようなお子様でも包み込んでしまうような包容力を感じさせる。
遼が気を利かせ、野坂が車で家まで送ってくれたのだが、その時も欄が乗ると助手席のドアを閉めてくれて、とても紳士的だったし。
なにより、車内での彼は口数もそれほど多くなかったけれど、通り道で『ここは、星が綺麗に見えるんですよ』って…。
本当に綺麗に見えた星空にすっごく感動して、仕事の疲れも吹っ飛んじゃうくらい。
「そんなことないって。欄ちゃんは野坂さんのこと、嫌いじゃないんでしょ?」
「うん…っていうか、私の方が野坂さんに合わないと思う」
「そんなのまだ、わからないでしょ?会ってみなきゃ」
大人な野坂に自分は釣り合わないのでは?と、自信をなくしてしまっただけ。
亜佐美の言う通り、会って話してみなければわからない。
現に遼から聞いた話では、野坂もまんざらではないらしいし…。
「ほら、冷めないうちに食べよ。大丈夫よ、欄なら絶対野坂さんと上手くいくわよ」
「そうそう。あたしもそう思う。野坂さん、欄ちゃんのこと綺麗な人だっ―――あっ」
―――わぁっ、マズイ…。
あたしったら、余計なことを言っちゃった。
慌てて口を塞いでも、もう遅い。
欄ちゃん、目が怖い…。
「ノエルちゃん、どうして…。わかった!彼氏に聞いたのね?」
「えっ、うっうん。ごめんね」
「ということは、亜佐美も共犯?」
「ごめん…」
そっと聞きだそうと思っていたのに結局はバレてしまったが、お互い好印象で良かった。
―――すぐに遼に報告しなきゃっ!
急にお腹が空いたのか、ランチを頬張るノエルと亜佐美とは裏腹に欄は…。
『本当に自分なんかで…』と考えてしまうのだった。
◇
週末、欄と野坂を会わせるために選んだ場所は、庭に鯉なんかが泳いでしまうような池がある料亭。
まるで本当に見合いのようだったが、周りに人の目を感じないところの方がいいと思ったから。
―――それにしたって、ここはちょっと…。
「ノエルちゃん、どうしよう…緊張しちゃう」
「あたしもぉ」
「やだっ、ノエルちゃんが緊張してどうするのよ」
「だってぇ」
遼の用意した車で先に店に通されたノエルと欄だったが、こんなところに来たことがない二人はそれだけで緊張してしまう。
早く二人が来て欲しいと思う反面、来ちゃったらどうすればいい?
ノエルと欄は緊張をほぐすために手を取り合って待っていたが、どうやら二人が到着したらしい。
「お連れ様がお見えになりました」と女性の声がして、襖が開いた。
「ごめん。ノエル、伊崎さん、待たせて。出掛けに社長に呼ばれてさ、長いのなんの」
「ううん」「いいえ」
遼の後ろから野坂が入って来たが、中から聞こえたノエルと欄の声に驚きの表情を隠せない。
「どうした、野坂。早く入ったらどうだ」
「専務、これは…」
「まぁ、手っ取り早く言うと見合い?」なんて、とぼけたように言う専務にハメられた?!
…だから、専務はあんなに彼女のことを聞いたのか…。
野坂は今夜、食事に付き会うようにとしか言われていない。
見合いとなると相手はノエルのはずがないから、必然的に欄しかいないわけで…。
そんな野坂に欄は、恥ずかしそうに挨拶する。
思わず野坂も頭を下げたが、ふと遼に言われた言葉を思い出す…。
『俺が探してやるよ。野坂の全てをわかってくれる女性を』
彼女が…。
もう一度会って、話しができたら…そう思ったのは嘘じゃない、嘘じゃないが…。
彼女は、自分のことをつまらない男だとは思わないだろうか…。
野坂は不安を抱えつつも、遼の隣に腰を下ろした。
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