「ねぇ、稲葉ぁ。ほんとにうちに来るの?」
「なんだよ、今更」
「だってぇ…」とブツブツ言いながら、稲葉と一緒に肩を並べて歩いているあたしは、なぜかこれから彼を自分の家に連れて行って、あろうことか夕飯を作るはめになったわけで…。
結局急ぎの仕事と言っていたものも、来週に回すことになって…それもこれも、勢いであんなことを言ってしまった自分が悪いんだけど…。
「さっきの自信は、どこへ行ったんだ?」
「えっ、ほらっあたしの作ったものなんて食べて、お腹壊すかもしれないしっ」
「あ?お前、腹を壊すようなもの、俺に食べさせる気か?」
「そっ、そういうわけじゃないけど…」
───そういうわけじゃないんだけど…。
こんなことになるなら、本当のことを言っておけば良かったぁ…。
あ〜ぁ…。
仕方なく近所のスーパーで買い物して…。
とはいっても、作れるものはラーメンとうどんと焼きそばとナポリタンと…って、全部麺ばっかり!!
だって、魚とか焼くと表面だけ黒焦げになって、中身は生みたいな。
それに煮物とかもうまくできないしっ。
他にというと…野菜炒めとかなら、できるわよ?味は保障しないけどね。
でも、お味噌汁とか塩っぱくなっちゃうし…。
インスタントでもいいなら、用意するけど…。
だからっ、まともに作れないんだってぇ。
どうするのよぉ…。
ああ言った手前、さすがに夕飯に麺類を出すわけにもいかず、なんとか見栄えのする炒め物にしたものの。
だけど、野菜を切るところとか、絶対見られたくないわね。
「いつも玄関までだけど、中は綺麗にしてんじゃん」
「そりゃぁ、家の中くらいは片付けてるわよ。誰が来るかわからないし」
「へぇ、俺がいつ来てもいいように気を使ってるわけだ」
「はぁ?!誰が、稲葉にいつ来てもいいようになんて言ったのよ。自惚れるのもいい加減にしたら?」
───どこから、そういう発想が出てくるのかしら。
勝手に友達が来るから、片付けてるんじゃない。
それに稲葉にはいっつも送ってもらってるし…。
汚い部屋、なんて言われたくないもの。
あれ?これじゃあ、稲葉がいつ来てもいいように片付けてるみたいじゃないねぇ。
「その辺に座って、テレビでも見てて。すぐ作るから」
「あぁ」
稲葉はスーツのジャケットを脱ぐと、フローリングに敷いたラグの上に腰を下ろす。
男の人が家に来るなんて、かなり久し振りかも。
だいたい、一度あたしの手料理を口にした人は、二度とここへは来ないわね。
きっと、稲葉も今夜が最初で最後になるんだわ…。
初めにご飯を炊いて、これは無洗米だからバッチリなのよ。
次は、野菜を洗ってから切ってと…。
炒め物だから、ダイナミックにね。
「おい。いくら何でも、それ大き過ぎだろ」
「うわぁっ、急に声掛けないでよっ!手を切るところだったじゃないっ」
「ごめん、大丈夫だったか?それにしても、随分とまぁ大胆な包丁捌きだなと思ってさ」
「気が散るから、向こうに行ってて」
隣でごちゃごちゃ言ってる稲葉の背中を押すと、再びテレビの前に座らせる。
───いつの間に稲葉のやつったら、側に来てたのよ。
あぁ〜びっくりした。
ったく、神出鬼没なんだからぁ。
まぁね、稲葉の言うように大き過ぎよね?この野菜。
切ったキャベツを手にとって目の前に掲げると、ちょっと大きい気もするが、炒めれば縮むし。
みたいに自分に言い聞かせると、危なっかしい手捌きで野菜を刻む。
その間にお鍋に湯を沸かして、お味噌汁作り。
これは一か八か、出汁入り味噌で何とかするしかない。
自分では味覚が変だっていう意識はないんだけど、なんでかちょうどよくならないのよね。
一緒に乾燥わかめを水で戻して、油揚げは湯通ししてっと。
フライパンを火に掛けて油を敷いて熱し、お肉を入れて軽く火が通ったら、今度は野菜───。
「うあっ〜っ〜」
「何だよ、大声出して。今度は、ほんとに手を切ったのか?」
あたしがあまりに大きな声を出したものだから、稲葉がびっくりしてすっ飛んで来た。
手を切ったのではなく、水切りをよくしていなかった野菜をフライパンに入れたものだから、油が跳ねたのよ。
「違うの、油が跳ねてね」
「そういうのは、ちゃんと水切りしないから」
「あ〜もうっ、わかってるんだから。あっち行っててよぉ」
「はいはい。だけど、もう少し静かに頼むよ」
───いちいち、うるさいんだってぇ。
わかってるんだから。
火が通ったら、後は塩コショウして出来上がり。
う〜ん、ちょっと塩っぱかったかしら…。
ご飯のおかずには、これくらい濃い方がね。
「ヨシ、できたぁ」
お味噌汁も具を入れて煮立ったら、味噌を入れてっと。
なんだか、今日は上手く出来たじゃない。
見た目は、パーフェクトだわ。
「おっ、いい匂い」
「お待たせ。出来たから、食べよ」
ご飯も美味しく炊けたしバッチリ、これで稲葉に文句も言われない…はず?!
「美味そう、いただきます」
「どうぞ、たくさん食べて」
まず、お味噌汁に箸をつけた稲葉だったが、その表情は複雑で…。
「美味しくなかった?」
「いっ、いや。そんなこと…ないよ…」
───誰がどう見ても美味しくないって、顔じゃない。
あたしも急いでお味噌汁を口にしたが…。
うぇっ、塩っぱい…。
何よこれっ、どうしてこんなに塩っぱいのよぉ。
って、ことは…こっちも…。
野菜炒めに同時に箸をつけた稲葉とあたしだったが…。
「「塩っぱいっ!!」」
二人は、用意してあったウーロン茶のグラスを一気に飲み干した。
「お前、どういう味付けしてんだよ」
「ごめん…今回は、上手く出来たと思ったんだけど」
───あぁ…やっぱり、ダメだった…。
どうして、あたしってこんなに料理音痴なのかしら…。
これじゃあ、稲葉に嫌われちゃう…。
別に稲葉に嫌われたって…そう思う反面、それがとても寂しいというか、そんなの嫌…。
「馬鹿っ、泣くな。俺は、そんな意味で言ったんじゃないんだからっ」
「だってぇ…」
こんなことで、泣く女じゃなかったのよ。
ましてや、稲葉の前で…。
でも、仕方ないでしょ?勝手に出てきちゃうんだから…。
───え?
体が自分の意思とは無関係に勝手に稲葉の方へ向いていて…というか、彼に引っ張られていたという方が正しい。
稲葉の胸は、広くて大きくて…。
「馬鹿だな」
「馬鹿、言わないでよぉ」
「こんなことで、泣くやつがあるか」
「だって、こんな不味いもの食べさせて…」
「俺が教えてやるよ」
「教えるって、何を?」
ゆっくり顔を上げるとすぐ目の前に稲葉の顔があって…ニッコリ微笑んでいる。
───で、何を教えてくれるわけ?
「料理」
「えっ…稲葉が?料理?!」
「あぁ、これでも得意なんだからな」
───稲葉が料理…それも、得意なんて…。
信じられない…。
「嘘…」
「嘘じゃないよ。今度、美味い手料理食べさせてやるから」
「今度?」
───だって稲葉、もうあたしのことなんて…。
嫌いに…。
「ダメか?」
「ううん、そうじゃないけど…。ほら、稲葉もこんな料理の下手な女と関わるのなんて…」
「馬鹿だな」
「だ・か・ら・馬鹿馬鹿、言わないでっ」
「そんなわけないだろ」
そんなわけない…。
料理が下手だろうが、そんなこと。
不味いもの食べさせたって、泣いちゃうような可愛いやつなのに…離すわけ、ないだろう。
稲葉は、祐里香を抱きしめている腕に力を込めた。
「ありがと。じゃあ、今度教えて?」
「あぁ」
「それと…ねぇ、稲葉」
「ん?」
「離して」
「嫌だね」
「ちょっとっ、嫌だねってっ」
せっかくのチャンスなのに離すわけがない。
『好きだよ。祐里香』
稲葉は心の中でそう囁くように言うと、祐里香の額にそっとくちづけた。
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