『この前、新井が作ったメニューにもう一度、挑戦してみよう』
そう稲葉に言われ、あたしは同じ食材を買って家で待っていたのだが…。
───稲葉ったら、遅いわねぇ。
どうしたのかしら?
土曜日の午後、稲葉に料理を習うことになっていた祐里香。
時間に正確な稲葉が、約束の時刻を既に30分も過ぎているというのにまだ現れない。
何か、急な用事ができたとか?
だったら、そうならそうと電話くらいしてくれればいいのに…。
もう少し待って来ないようならあたしの方から電話をしてみようと思っていると、玄関のブザーが鳴った。
ピンポーン───ピンポーン───
───やっと来た。
走って玄関まで行くと、ドアを開ける。
「もうっ、稲葉ったら。遅いじゃないっ」
顔も見ずにいつもの調子で言ってしまったが…。
───ん?なんだか、様子が少し変…。
ちょっと顔色も悪いようだし、もしかして体調が悪かったの?
「ごめん、遅くなって。はい、これ」
「え?あっ、プリン」
それは、この前、一緒にコンサートに行った時に連れて行ってくれたお店のプリンだった。
───わざわざ、買いに行ってくれたんだぁ。
嬉しい反面、料理を教えてもらう身の自分にお土産を買って来るなんて…。
「店がいつもより込んでてさ、それで遅くなったんだ」
「ありがとう、これすっごく食べたかったの」
稲葉にとっては、この笑顔が何より見たかったもの。
少々、体調が悪くともこの日を心待ちにしていたのだから、体を押して来たのだった。
「それより稲葉、顔色が悪いみたいよ?どこか、悪いんじゃないの?」
「あぁ、いやそんなことないさ」
ニッコリ微笑む稲葉だったが、その顔はどう見ても無理をしているとしか思えない。
昨日も遅くまで残業していたようだから、疲れも出ているのかもしれない。
「取り敢えず、中に入って」
すぐに稲葉を家の中に入れて、楽な体勢で座らせると、あたしは温かい飲み物を用意する。
───無理してるんじゃないの?
別に料理なんて、今日じゃなくてもいいのに…。
「はい、稲葉。これ、飲んで」
「ありがとう」
ミルクティーの入ったカップを稲葉に渡す。
「美味い」と言って飲んでいる彼にホッとしたが、これでは料理なんてできるわけがない。
「熱は、ないみたいね」
あたしは稲葉の額に手をあててみたが、特に熱はなかった。
ということは、やはり疲れが出ていたのだろう。
「あ?何でもないって、言っただろう?」
「無理しなくていいわよ。今日は料理を作るの、止め止め」
「何だよ、せっかく来たのに。そっかぁ、新井は料理を作りたくないんだな?」
「はぁ?ちょっとねぇ、あたしが心配して言ってるってのにぃ。その言い草はないでしょっ」
───ったく、稲葉ったら、どうしてそういう考えになるわけ?
信じられないっーーーっー。
あたしは頭にきてつい、稲葉を後ろへ突き倒してしまい…。
「やだ、稲葉っ。どうしたのよっ!頭打ちゃったとかっ」
ぐったりして起き上がれない稲葉。
どうしていいかわからない祐里香は、ただオロオロするばかり…。
「どこも打ってない…けど、目の前が少しクラクラするんだ」
「えっ、うそっ…大丈夫なの?」
「大丈夫。こうしてれば、じきに治ると思う」
「ほんと?じゃあ、これ頭にあてて。今、毛布持って来るから」
側にあったクッションを稲葉の頭にあてがい、あたしはクローゼットから毛布を出して持ってくる。
───やっぱり、調子が悪かったんじゃない。
何もプリンまで買いに行って、家に来なくてもいいのに。
額に手をあてて、静かに目を瞑っている稲葉に毛布を掛けてあげる。
思ったよりも睫毛が長い…。
なんて、観察している場合じゃないのよね?
冷たいタオルを稲葉の額にあててあげると、気持ちよさそうに眠りについた。
それを暫く見つめていたあたしは彼の手をそっと両手で握ると、早く良くなるようにと祈るばかりだった。
◇
「あぁ…俺、いつのまに眠ったんだ」
2時間くらいは眠っていたようで、だいぶ楽になった稲葉はゆっくりとその場に体を起こす。
心配そうに見つめる祐里香の顔がすぐ目の前にあって、楽になった体が急にカーッと熱くなってくる。
もちろん、これは熱でも何でもなくて…。
「起きて、大丈夫なの?気分は?」
「随分、楽になった。なんか、迷惑掛けて悪かったな」
「そんなこと、気にしなくていいのよ。それより、お腹空かない?」
「そうだな、空いたといえば空いたかも」
朝も食欲がわかなくて、何も口にしていなかったから、すっかりお腹も空いていた。
祐里香と一緒に作る予定が、なぜかこんなことになってしまったわけで…。
「あたしが作ってあげられるのって卵おじやしかないんだけど、それで良かったら食べる?」
「え…新井にも作れるものが、あるのか?」
「ぶっ…。あのねぇ…あたしだって、おじやくらい作れるわよ。失礼ね」
───いくら料理音痴のあたしだって、おじやくらい作れるんだから。
それにこんな時だもの、好きな人のために作ってあげたいじゃないねぇ。
「じゃあ、作って。新井の卵おじや、食べたい」
「任せてちょうだい。あんまりにも美味しくて、また倒れたりしないでね?」
それなら倒れてもいいと思ってしまう稲葉は、すっかり彼女に惚れまくっていると言っても過言ではないだろう。
そんな稲葉の気持ちを知ってか知らぬか、祐里香はキッチンへ行き、早速卵おじやを作り始める。
とは言ったものの、おじやなんて自慢できる料理じゃないんだけどっ…。
手早く、15分ほどでそれは出来上がり、熱々の土鍋を彼のところへ運ぶ。
───我ながら、最高の出来だわ。
「熱いから、やけどしないでよ?」
「見た目は、美味そうだな」
「ひと言、余計よ」
「ったく、ひと言余計なんだからぁ」とブツブツ呟きながら、あたしは器におじやをよそってあげると「食べさせてくれないのか?」なんて、これまた余計なことを言うものだから、また後ろに突き倒しそうになった。
「どう?」
自信はあったにせよ、ここでこの前みたいに『塩っぱいっ』と言われたら、面目丸つぶれ。
ここはなんとしても、美味しいと言わせなければ。
「美味いよ」
「ほんと?」
「あぁ、卵も半熟で、出汁もしっかりしてるし。なんだか、いい香りもするんだけど」
「ダシの素に昆布茶だけどね?」
あたしが、出汁なんてきちんととるわけないし、香りは多分昆布茶だと思う。
これを入れると結構、美味しいのよね?
「なるほど、恐れ入りました」
「でしょ?だから、稲葉に教えてもらったらプロ級の腕前になっちゃうわね」
「そうかもな」
彼の笑顔は、すっかり元気になったいつもの笑顔だった。
───真紀ちゃんが言っていたみたいに少しはリベンジできたかもしれないけど、これじゃあまだまだよね。
稲葉が元気になったら、ちゃんと教えてもらわないとっ。
そしてね…。
その時は、自分の気持ちをきちんと伝えるの。
彼の美味しそうにおじやを食べる姿を見ながら、祐里香は心の中で誓うのだった。
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