プリンな彼女
story17


稲葉先生を迎えての料理教室も始まって早、数週間。
あたしもかなり上達したと思うのよ。
これは別に自画自賛しているわけじゃなくって、本当の話なんだからね?

「ねぇ、稲葉」
「あ?どうした」
「もうそろそろあたしも、稲葉先生の料理教室を卒業できるんじゃない?」
「何だよ、その稲葉先生の料理教室って」

勝手に祐里香が付けたのであろうネーミングがなんだかおかしくて、つい笑ってしまう。
しかし、彼女の言うように稲葉も驚くくらい腕は上達したと思う。
元々、料理の才能はあったのだが、ほんのちょっとしたことでうまくできなかっただけなのだろう。
でも、稲葉にとっては嬉しいような、寂しいような…。
二人の時間が楽しかっただけに卒業せず留年して欲しいと言ったら、彼女は何と言うだろうか?

「だって、稲葉は料理の先生でしょ?だから、稲葉先生の料理教室なの」
「ふううん、そっか」
「で、どう?あたし、卒業できそう?」

そんなに卒業したいのか…。
そうは思っても、彼女に目をキラキラ輝かせて言われてしまえば、ここはそう言うしかないかぁ…。

「じゃあ、そろそろ桜も咲き始める頃だし、約束した弁当持参で花見に行って、その弁当の出来次第で卒業できるかどうか判断するよ」
「わかったわ、任せて。絶対、卒業してみせるもん」
「あぁ、先生としてはそうなることを願ってるよ」

本心ではないけれど、彼女としてはそこで“卒業”と言わせたいに違いない。
彼女が作ったお弁当を持って、一緒に花見に行けるだけでも幸せだと思わなければ。
「それじゃあ、今日はこれを作ってみようか」と用意してきた本のページを稲葉が指さすと、彼女は明るい声で「うん」と言って微笑んだ。

+++

「祐里香さん?」

給湯室にコーヒーを入れに行っていた祐里香は、いつのまにか壁に寄り掛かって腕を組み、真剣に考え事をしていたようだ。
真紀ちゃんに声を掛けられなければ、いつまでもそうしていたかもしれない。

「あぁ、真紀ちゃん。真紀ちゃんも休憩?」
「はい。でも、祐里香さんどうかしたんですか?腕なんか組んで」
「うん。お弁当のメニューを考えていたんだけど、何がいいのかなって」
「お弁当ですか?」
「そうなのよ。稲葉に料理を教えてもらうお礼に、お弁当を持ってお花見に行く約束してるから」
「そこで、リベンジするんですね?」

料理でリベンジをと提案したのは真紀だったが、とうとうその日が来たようだ。
それと同時に、ようやく自分の想いも彼に告げるということ。

「上手くいくか、わからないんだけど」
「大丈夫です。絶対、上手くいきますから。祐里香さん、頑張ってくださいね」
「うぅ…すっごい、プレッシャーかも…」

そこで上手くいかなかったら、今までの苦労は水の泡…。
だからどうしても、完璧なお弁当を作らなければならないわけで…。
そのメニューを考えていたのだが、どうもいまいち纏まらない。

「稲葉さんに教えてもらった通りに作れば、絶対大丈夫ですって」

───そうよね?
稲葉に教えてもらったように作れば大丈夫よね?
でなきゃ、何のために習ったのかわからないものね。

「うん。教えてくれた稲葉のためにも、頑張る」
「そうですよ、祐里香さん。あと、稲葉さんの胸に飛び込むのも忘れないで下さいね?」
「あ…」

───そうだった…。
肝心なことをすっかり忘れてたじゃない。
お弁当のことに気を取られて、大事なことを忘れるところだった。
自分の気持ちも、伝えなければいけなかったんだわ。
あたしに2つもできるかしら…。
あぁ…。

+++

テレビのニュースで桜の開花宣言が出され、週末に稲葉とお花見に行く約束をした。
メニューもバッチリ決め、仕事を終えて家に帰ると毎晩その練習に励む日々。

「週末は天気も良さそうだし、絶好の花見日和になりそうだな」

あたしがコピーを取っているところへ、ちょうど稲葉が入って来た。

「そうね。お花、満開だといいんだけど」
「その前に弁当の方は、大丈夫なのか?」
「もうバッチリよ。任せて」
「すごい自信だな。期待してるよ」

お弁当は多分、大丈夫だと思うけど…。
もし…もし、気持ちを伝えて今の関係が壊れるようなことになったらどうしよう…。

「新井、コピー終わってるぞ?」
「えっ、あっ、うん。ごめんね」
「どうした、ボーっとしたりして」
「ううん、何でもない。コピーなら、あたしがやって持っていってあげる」
「そうか?悪いけど、これ10部ホッチキス留めで頼むよ」

彼の後姿を見送って小さく溜め息を吐くと、稲葉に預かった書類をコピー機にセットしてスタートボタンを押したのだった。

+++

土曜日は、稲葉の言っていたように快晴のお花見日和。
あたしは朝早くから起きて、お弁当作りに励む。
中でも頑張ったのは、だし巻き卵。
何度も練習してやっと上手くできるようになった一品だから、他のものはともかくこれだけは自信があった。

「ごめん、待った?」
「ううん、あたしも今来たところだから」
「随分、大きな荷物だな」

そう言って、稲葉はあたしが持っていた手提げバックを持ってくれる。
お弁当を頑張って作ったから、荷物が予想以上に大きくなってしまったのだ。

「お弁当頑張って作ったら、こんなになっちゃった」
「そうか、楽しみだな」

二人肩を並べて歩いていると、同じ方向に歩いて行く家族連れやカップルがたくさんいた。
みんな、お花見に行くのだろう。
既に場所取りをしている人達もいるだろうから、自分達がお弁当を広げるスペースがあるかどうか。

「ちょうど、満開ね。すっごく綺麗」
「そうだな。天気も良かったから、ここ数日で一気に咲いたんだろう」

少し早いかもしれないと思っていたが、天気がいい日が続きここ数日で一気に咲いたようだった。
そんな桜の木を見上げながら歩いている祐里香を見つめる稲葉には、もちろん花も綺麗だったが、彼女の美しさに比べたら到底及ばないと思ってしまう。
自然に彼女の手に触れていたが、嫌がられていないことにホッとする。

「やっぱり、もういっぱいね。お弁当食べる場所ないかも」
「この先に穴場があるんだ。そこなら空いてると思う」

前に来た時に見つけた穴場があって、そこは狭いせいか、あまり人がいない。
二人で花見をするには、ちょうどいい場所だろう。

「そんなところ、あるの?」
「あぁ、前に来た時に見つけたんだ。ほら、あそこ」

稲葉が指差すところは確かに人が少なくて、場所も空いている。

「ほんと、すっごい穴場」
「だろ?」

手を繋ぎながら満開の桜の下を歩く、こんな日が一度でも来るとは思わなかった。
ずっと彼女を想い続けて来た稲葉には、夢のように思えてならない。

「ここでいい?」
「あぁ」

ちょうど大きな桜の木の下が空いていて、あたしが持って来た手提げバックの中からビニールシートを取り出す。
「こんなものまで持って来たのか?」と稲葉に驚かれたけど、これは必需品じゃないねぇ。

「はい、おしぼり」
「ありがとう。これ、何で2つあるんだ?」

道理で重いと思ったが、ステンレスのボトルがなぜか2つあった。

「これ?一つはお茶で、もう一つは甘酒」
「甘酒?」
「そう。稲葉、甘酒嫌い?」

嫌いではないが、祐里香がこんなものを飲んだら、酔っ払うんじゃないかとそっちの方が心配なだけで…。

「いや、嫌いじゃないけど。お前、飲んで平気なのか?」
「甘酒くらい、平気よ」

本当に平気なのか?
と思ったが、この雰囲気は悪くない。

「お弁当、上手く出来たと思うんだけど」
「どれどれ」

重箱まで用意したのか、二段重ねになっているそれの蓋を開けると色とりどりの綺麗なおかずに目を奪われる。
稲葉が教えたと言っても、ここまでできるようになったのは本人の努力があったから。

「あのね、このだし巻き卵から食べて?」

「自信作なの」と言われた通りに稲葉はそれを口にすると、お世辞抜きで本当に美味しくて。

「どう?」
「美味いよ」
「ほんと?」
「あぁ、俺だってここまでできないからな」

料理が得意の稲葉にでさえも、これはちょっと作れない。
ふんわりしていて、だし汁がじわっと口の中に広がる。

「他のも、食べてみて」

祐里香は無意識なんだろうが、稲葉を覗き込むようにしているものだから、そっちが気になって食べる方に集中できない…。
………とは、気付いていないんだろうなぁ…。

「どう?」
「美味いよ。今日で、料理教室は卒業だな」
「えっ、ほんと?やった!ありがとう、稲葉っ」

いきなり首に抱きつかれて、こんな嬉しそうな顔を見せられては、稲葉も抑えるのが大変で…。

「じゃあ、乾杯しよ?」

あたしは持って来た甘酒をコップに注いで、その一つを稲葉に渡す。
ちょうどその時、彼の手にしたコップの中に桜の花びらが舞い落ちた。

「あっ、桜の花びらが」
「えっ、どれ?」

稲葉のコップを覗き込もうとすると、あたしは彼に強く腕を引かれて胸に抱き寄せられた。

「ちょっ、稲葉っ離して。こぼれちゃうでしょ」
「ごめん、でもちょっとだけこのままでいて」

目の前に好きな子がいて…もう、我慢なんてできそうにない。

「稲葉…」

───あたしの方が、胸に飛び込むはずだったのに…。
でも、稲葉の胸は大きくて、温かくて、心地いい…。

どれくらい、そうしていたのだろう。
稲葉が名残惜しむように祐里香から体を離そうとしたのだが…。

「新井?」
「稲葉が、好きなの」

………空耳か?
『好きなの───』
そう、聞こえたような…。

「えっ、今なんて…」
「好きなの、稲葉がっ。ちゃんと聞いててよ」
「いや、だって…」
「迷惑?」

顔を上げて見つめる祐里香の瞳が、不安げに揺れている。

「そんなわけ、ないだろう?嬉し過ぎて、どうしていいかわからないのに」

まさか、こんな展開が待っていようとは…誰が想像しただろうか?
嬉し過ぎて言葉にならない。

「それって…」
「俺も好きだよ。新井のことが、祐里香が」

稲葉は、祐里香のことを強く抱きしめる。
………やっと自分のモノになったんだ。
もう離さない、離すものか───。

「稲葉…くっ、苦しい…」
「航貴だよ」
「はぁ?何、言ってるのよ。そんな急に言えるわけないでしょっ」

───たった今、気持ちを伝えたばっかりなのにそんな名前で呼べなんて…。
無理、ぜーったい無理なんだからぁ。

「だったら、言うまで離さないけど」
「えっ、やだ、ちょっと」
「やだ、じゃないだろう?恋人同士になったっていうのに」
「そうだけど…恥ずかしいもん」
「二人だけなんだから、恥ずかしがることないだろ」

───二人だけっていうのが、恥ずかしいんじゃない…。
だけど、言わなきゃいつまでもこうなのよね。
そっちの方が、もっと恥ずかしいわ。

「こ…き…」
「あぁ?聞こえない」
「聞こえないって、ちゃんと言ったじゃないっ」
「聞こえなかったんだから、もう一度」
「っもう…今度はちゃんと聞いててね」

恥ずかしかったけど、きちんと目を合わせて「航貴」って呼んだ途端に彼の唇が自分のそれに重なった。

「あのさ、こういう時は目を閉じて欲しいんだけど」
「そんなこと言ったって、急にするからでしょっ!」

クスクスと笑ってる稲葉が、もとい航貴が憎たらしいっ!
だって、しょうがないじゃない。
いきなりキスする方が悪いんでしょ!!

「キスするから、目を瞑ってくれる?」
「いちいち、言わなくっても」
「うるさいお嬢さんだなぁ」

今度はちゃんと目を瞑ると再び彼の唇が重なって…。
彼のくちづけはどこまでも優しくて、まだ甘酒を飲んでいないのに既に酔わされてる…。

桜の木の下で二人は、永遠の愛を誓ったのでした。


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※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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