次の日、祐里香がトイレに入っていると、後から入って来た女子社員達の洗面所前でのこんな会話が耳に入ってきた。
「ねぇねぇ。稲葉さん、昨日と香りが変わったのよ。彼女かな」
「そうなのよ。でね、あたし聞いてみたの。『香り、変えたんですか?もしかして、彼女からのプレゼントですか?』って」
「うわぁっ、早。で、彼何だって?」
「『あれ、わかった?女性は、そういうところに気付くのが早いんだね』って。だから、すかさず新井さんから?って、突っ込んでみたわけよ」
「えっ、それでそれで?」
相手の子は、かなり興奮状態だ。
───香りって…あたしがあげたやつ、稲葉もうつけてくれたのね。
っていうか、肝心なのはそこじゃないのよ。
何で、あなたの口からあたしの名前が出てくるわけ?
祐里香もその先が気になってトイレを出ようにも出られず、ドアにへばりついて聞き耳を立てる。
「稲葉さん。ニコニコ笑って、何て言ったと思う?」
「何て言ったの?やぁ〜ん。もったいぶらないで、早く言ってぇ」
「『そうだよ』だってぇ〜。かぁ〜恥ずかしげもなく言われて、あたしその場に倒れるかと思ったわ」
「やっぱり〜。何人かの女子が、プレゼントを渡しても受け取らなかったって言ってたし。新井さんと付き合ってるって噂は、本当だったのね」
「まぁ、でも相手が彼女なら誰も文句は言えないわよねぇ。あぁ、でもいいなぁ。稲葉さんみたいな素敵な人が彼氏なんて」
───どこが、素敵な彼氏よっ!
あたしに断りもなく、勝手に彼女なんて言いふらしてからにっ!!
稲葉のやつぅ…許さ〜ん!!
鼻息荒く、祐里香はトイレのドアを勢いよく開けると話していた女子社員の間に割って入るようにして水道の蛇口を捻る。
まさか、彼女達も中に祐里香が入っているとは露知らず…。
これでもかというくらい石鹸をつけて、バシャバシャと手を洗う祐里香をぽっかりと口を開けたまま見つめるしかなかった。
◇
───くそぉ、稲葉のやつ…。
気のせいか、みんなの視線が自分に集まっているような…特に女子社員の…。
何で、あたしがっ。
ブツブツ言いながら、給湯室でコーヒーを入れていると真紀ちゃんが入って来た。
ちょうどこの時間は、お互いの休憩タイムにあたっているようだ。
「祐・里・香さん。稲葉さん、トワレを変えたんですね。聞きましたよ、祐里香さんからのプレゼントだって」
「真紀ちゃん、それ誰に聞いたの?」
「え?誰って、稲葉さんにですよ」
「あぁ…何であいつはそういうこと、みんなに言うかなぁ…」
───自分で言うやつが、どこにいるのよ…。
祐里香は大きくため息を吐きながら、横向きで壁に寄りかかる。
どっと疲れが出てきたようで、前身の力が抜けてなんだか自力では立っていられない。
「でも、稲葉さん。とっても嬉しそうでしたよ」
「そう?」
───まぁね、昨日の帰りにプレゼントを渡した時の彼は、確かに嬉しそうだったけど…。
だからって、いきなりあたしが彼女になっちゃうっていうのはどうなのよ。
勘違いも、いいとこだわ…。
「祐里香さんも、やりますね」
「やるって、何が?」
「告白したんですよね?稲葉さんに」
「はぁ!?ちょっ、ちょっと待ってよ。どうして、あたしが稲葉に告白なんてぇ」
だ・か・ら!どこをどう間違ったら、そういう話になるわけ?
っつうか、稲葉がわけわかんないことを触れ回るから、こんなおかしな話になるんじゃないっ!
やっと、前回の噂が静まったと思ったのに…。
「もうっ、隠さなくてもいいですよ。社内で話題になってますからね、超ビックカップルが誕生したって」
「話題って何?超ビックカップルって…」
もしかして…だから、みんなの視線が…。
はぁ…。
「羨ましいですぅ。私もお二人みたいな素敵なカップルになれたら、いいんですけど」
いや、ちっとも羨ましくないから。
───あっ、そう言えば、真紀ちゃんの告白はどうなったのかしら?
「ねぇ、真紀ちゃん。真紀ちゃんの告白は、どうなったの?上手くいった?」
「おかげさまで、なんとか」
「そっかぁ、良かった。聞いていいものか迷ったんだけど、気になって」
良かった良かったと思った祐里香だったが、真紀ちゃんの表情は複雑だ。
上手くいったはずなのに、どうかしたのだろうか?
「実を言うと、ちょっと無理矢理っぽかったんですけどね」
「無理矢理?」
「私の方が、一方的って言うんでしょうか…」
───彼は、押しに負けたってわけね。
だけど、その彼はどういう人なのかしらねぇ。
こんな可愛い子に告白されて、即答しないなんて。
「大丈夫よ。彼はOKしてくれたんだから、いつもの調子で真紀ちゃんがガンガン押しまくれば」
「嫌われないでしょうか」
「そんなことするようだったら、すぐあたしに言って。相手の男の首根っこひっ捕まえて、ボコボコにしてやるんだからっ」
───え…
それはちょっと…。
祐里香さんの気持ちはありがたいんですけど、それだけは…。
相手が相手だけに、真紀自身もそれだけは非常に困る。
あぁ、でも祐里香さん、本当にやりそうなんだもの。
「祐里香さん、何もそこまで…」
「任せて、真紀ちゃんは何も心配することないんだから。それより、あたしちょっと稲葉に一言言って来るわね」
「ったく、勝手なこと触れ回って…」と、祐里香は一人出て行ってしまった。
その後姿を見つめながら、例え自分が嫌われるようなことがあっても祐里香には当分言わない方が彼のため、と思う真紀だった。
+++
どうしても稲葉に一言言っておかないと気がすまない祐里香は、稲葉が一人のところを狙って声を掛ける。
二人でいるところを誰かに見られると、厄介だから。
「いいところにいたわ。稲葉、ちょっと話があるんだけど」
「あぁ、何?」
「ごめん、忙しかった?」
「いや、ちょうどよかった。これ、やるよ」
稲葉が胸ポケットから取り出したのは、祐里香が大好きなバンドのコンサートチケットだった。
───やだ、これ行きたかったのよ。
だけど、超人気で行きたくてもなかなかチケット取れないし。
なのに、何で稲葉がこれを?
「これ、どうしたの?」
「うちの携帯作ってるメーカーさんがさっき来て、くれたんだよ。彼ら、CMに出てるだろ」
「そうなの。あたし、このバンド大好きだから、もらえるならすごく嬉しいけど。でも、稲葉は?せっかくだから、行けばいいのに」
───そうよね、行きたいのは山山だけど、稲葉だってこのバンドは好きだったはず。
あたしにくれるより、自分で行けばいいのに。
「これ、何枚あるように見える?」
「ん?2枚だけど…」
───え…。
2枚ってことは…まさか、一緒に行こうとか言わないわよねぇ…。
「ちょうどいいだろ。俺と新井が、一緒に行けば」
───やっぱり…。
って、あたしはこんな話をしに来たんじゃなくってっ!
稲葉に一言文句を。
「何で、あたしが稲葉と一緒にコンサートに行かなきゃならないわけ?」
「なら、これいらないか。山本さんに、あげてこようかな」
「うわぁっ、だめ!」
チケットを顔の辺りで、わざとチラつかせる稲葉からそれを急いで奪い取る。
ムカつくぅと思いながらも、今はそれどころじゃなくってっ。
───そんな、もったいない。
せっかくのチケットなのにぃ、あげちゃうなんてぇ…。
「じゃあ、俺と行く?」
「行く行く。この際、稲葉と一緒でも我慢するっ」
「我慢ってなぁ。俺と行くのが、そんなに嫌なのかよ」
「ううん、そんなことないって。稲葉と一緒に行けて、嬉しいっ!」
ふて腐れたように言う稲葉に慌てて祐里香は弁解すると、瞳をパチパチさせて満面の笑みを彼に向ける。
ゲンキンなやつ…。
と稲葉は思ったが、彼女が断れないことをわかっていて自分もモノで釣っているのだから同じこと…。
チケットを愛おしそうに撫でている祐里香を見ていたら思わず抱きしめそうになって、天井を見上げて誤魔化した。
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